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熊本県立美術館 設計:前川國男 1977
熊本県立美術館 設計:前川國男 1977

美術館は、熊本城二の丸公園の熊本城とは反対側、西の端の茂みの中に静かに佇んでいた。

美術館を目指していてもなかなか気がつかないほど、目立たない存在だった。

1905年生まれの前川國男が72歳という最晩年に手がけた作品である。

数多くの作品で試行錯誤を繰り返し、完成した様々な手法が集大成した傑作という評価が高い。

いきなり美術館の玄関がボーンと現れるのではなく、さりげなく内へ内へと導いてゆく、こんなアプローチを考えた建築家がほかにいるだろうか。

2色のタイルを混ぜ張りにした床の舗装、打ち込みタイルの壁面、どれも前川國男が長年試行錯誤を繰り返してきた手慣れた手法である。

建設時に植え込まれたケヤキが竣工後42年たって見事に茂っている。

前川國男はケヤキが好きで、設計した建築にはよく植えたと言われている。

そのケヤキも大切なものは、山へ入り自分で確認したうえで決めていたという。

右側の広場から左側の広場へ、そして奥の玄関へ。次第に高くなる三つの広場の関係がよく判る。

三番目の広場の中央に植えられたケヤキは、まるで広場の主役のように堂々とした枝振りだ。

美術館の入口はまだよく見えない。ただ壁面の構成が入口を示唆しているだけだ。

回り込んだアプローチという手法は、埼玉県立博物館とよく似ている。ただし、埼玉の中庭が平坦だったのに対して、熊本は敷地に起伏があり、緩やかな階段を2度登ることが求められる。

正午に右側の壁面に日が差し始め、アプローチが明るくなってくる。

玄関がはっきり見えてきた。正面の壁面には「県立熊本美術館」という文字があるのだが、色が壁面のタイルに近いので、目立たないというか、ほとんど見えない。これは前川建築の共通の特徴であるが、じつは近代建築の共通の性格でもある。ゴシックの寺院、ルネッサンスのパラッツォ、バロックの宮殿、どれをとっても堂々たる正面玄関を特徴としていた。権力者のモニュメントにとって堂々とした正面玄関は権威の象徴だったのだ。

これらを全部否定して、玄関がどこにあるのか判らない建築を作り始めたのは近代建築の大きな特徴だ。ル・コルビュジエの設計した上野の国立西洋美術館を思い出すとよく判るのではないだろうか。

打ち込みタイルの壁面は前川建築の手慣れた手法だが、ますます完成度を高め、美しい。3種類ほどの色タイルを混ぜ張りしたものだが、その色や形は建築ごとに微妙に異なっている。

壁面の照明器具とその影もよく考えられている。

熊本県立美術館 平面図
熊本県立美術館 平面図

左下の広場1から広場2、そして広場3と回り込んで玄関へ達する様子がよく判る。

玄関を入ると突然、息をのむような広いロビーの空間が目の前に広がる。

広場から連続したタイル貼りの床。

打ち放しコンクリートによる格子梁の天井。

その天井を支える細く丸いコンクリートの柱。

そして左側のオレンジ色の壁面、そして右側の大きなガラス窓。

じつに見事な空間だ。

左側のオレンジ色の壁面。有明海の夕陽の色だというが。

前川國男は建築の色を決めることに非常にこだわった。そして非常に大胆な色を選ぶことが多い。東京文化会館の真っ赤な廊下。埼玉会館の3色の壁。それぞれに建築に固有の色が思い出される。

そして、展示室へ向かう階段。

大きなロビーの中に点在する彫刻たち。これらを見ながらロビーをゆっくり回るだけでも充分な満足感を得ることができる。

この大きなロビーの空間は埼玉県立博物館でも共通の要素であったが、埼玉では平行した梁が天井を支えていたのに対し、ここでは格子梁が一面に広がって埼玉とはまた違った風景を見せている。

ロビーの正面は1階分下がった吹き抜けになっており、その右側に管理部門へ通じる廊下がある。この右側の廊下は当初の図面にはないので、あとから加えられたものかもしれない。

正面の階段を上がれば管理部門、下がれば喫茶室。

円柱にとりつけられた廊下を吊る金具。注意深く設計されている。

格子状の天井を見上げる。打ち放しコンクリートが実に美しく打たれている。その天井から下がっている照明器具。

格子の間の天井面には鮮やかな青い色が塗られている。この色は最近のリフォームで塗られたものだそうだ。昔の写真で見るとも少し薄い青だ。

ちなみに、この美術館では、年に一度竣工の日に、企画者、設計者、施工者、管理運営者が集まり、建築の現状を確認し、問題があればお互いに相談する。10年間は毎年行ってきたが、あとは15年目、20年目に行ってきたという。それは、東京文化会館、東京都美術館、埼玉会館でも行われたという。

リフォームの際には必ず前川建築設計事務所に相談し、その指示を仰いでいるという。それは埼玉会館でも同様であった。しかし、世田谷区民会館・区庁舎では、前川國男は第2庁舎の設計までで、あとの耐震補強やリフォームは入札により関係のない業者が入っているという。その結果建物に現れた差は歴然だ。

3階の展示室へ向かう階段と1階へ向かう階段。

管理部門の方から吹き抜けを通してロビーを見る。広い大きな天井が見事。

ロビーから熊本城公園に向かって開かれた窓を見る。この視線の向こうに熊本城があるのだが、樹木に遮られて見えない。

ロビーの静かな空間と、光溢れる外の空間との対比が心地よい。

吹き抜けの大きな窓から外部を見る。樹木の生い茂る光溢れる外との対比で、内部空間が一段と静かで落ち着いた空間を感じることができる。

ここにはピアノやモニターもあるので、定期的に講演会、演奏会などが行われているようだ。

オレンジ色の壁、白い壁、タイルの壁、タイルの床、そして打ち放しコンクリートの天井と丸い柱。

こうした多様な素材の組み合わせが、静かだが豊かな空間を作り出している。

モダニズムの空間がともすると単調な空間になりがちなところを救っている。

インターナショナルスタイルと呼ばれた世界共通の近代建築とは相当異なる、個性豊かな空間が生まれている。

吹き抜けの大きな空間。

 熊本県は美術館建設にあたり、知事直轄の美術館建設準備室をつくり、9年の歳月をかけて準備をし、設計者を探したという。

美術館の敷地は、初めからここに決まっていたのではない。熊本県は熊本城内に2カ所、市内に1カ所、計3カ所の候補地を示し、前川國男が見て回った結果、ここ熊本城二の丸公園の西端の敷地を選んだという。

建築の配置を決めるにあたって、前川は敷地に茂っているクスノキを調べ、クスノキの間を縫うように配置していったという。

完成して42年たつが、まるで出来たばかりのように美しい。

公共建築にありがちな張り紙や看板が一切目に入らない。

むしろ使い込んでツヤを増した美しさが漂っている。

非常に気持ちがいい。

管理者たちが誇りを持って美しい建築を維持管理している様子がよく伝わってくる。

よく熊本県立美術館は前川建築の最高傑作と言われるが、建築の完成度もさることながら、管理の良さも加えて最高という評価にうなずけるものがある。

座席の向こうにはピアノとモニターがあり、階段の奥には喫茶室がある。

空調吹き出し口の2つの丸い穴が少しとぼけた表情で緊張感をほぐしてくれる。

ここで子ども向けのワークショップ、ミュージアムセミナー、展覧会にあわせた講演会、学芸員によるギャラリートークなどが行われている。

前川國男は、大学卒業と同時にパリのル・コルビュジエのアトリエに入り、2年間パリでの生活を体験している。パリでは音楽会に通い、オペラを鑑賞し、美食を求めて都市生活を満喫した。若き日にパリで生活した体験は前川の心に焼き付き、前川は表面的には近代建築を追求していても、心の奥では次第に中世ヨーロッパへの憧れが強くなっていたのではないだろうか。

前川國男は日本の近代建築の開拓者だったと言われるが、むしろ、ヨーロッパの都市生活の豊かさを求める心の方が強かったように思えて仕方がない。

ベルギーの古都、ブルージュに行ったとき、運河のほとりで古い煉瓦の家並みを眺めながら、なんという豊かな都市の空間だろうと感動した逸話が残っているが、前川は近代よりも中世ヨーロッパにより強く引かれていたのではないだろうか。

晩年になるほど、前川の建築には、中世ヨーロッパの都市の面影が色濃く漂っているような気がするのだ。

そんな空気がこの美術館にも色濃く漂っているように見えるのは私だけだろうか。

前川はモダニズムよりも中世主義と言ってみたい気がする。

これは喫茶室。

 

前川國男はル・コルビュジエの弟子であるが、その原則はかなり変形し、日本の風土に寄り添い独自の進化を遂げてきたように見える。

この建築には屋上庭園のかわりにアプローチの広場。ピロティはないがロビーに打ち放しコンクリートの円柱。水平連続窓としては東側の大きなガラス窓。そして現れたのはヴィヴィッドな近代建築というより穏やかで静かな中世的な空間。時代を超えた価値を発揮している。

 

築後50年で建て替えが進んでいる近代建築が多いなかで、前川は「建築は100年だよ」と語っていたというが、これだけの建築になるとだれにも建て替えだなどと言わせない存在感がある。これが前川建築なのだ。

 

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