世田谷区役所・区民会館を見る

世田谷区役所・区民会館 設計:前川國男 1960(昭和35)年
世田谷区役所・区民会館 設計:前川國男 1960(昭和35)年

世田谷区役所第一庁舎、第二庁舎、区民会館は、広場を囲んだ一群の建築だが、住宅地の中によくなじんだ環境を形成している。

市役所へ行くにも、じつにさりげなく近づいてゆけるのが気持ちよい。

打ち放しコンクリートの柱・梁、ベランダ、深い庇、1950年代の近代建築の特徴がよく出ている。

ピロティが区役所と区民会館を結んでいる。正面が区役所第一庁舎。

整然と並んだ柱・梁が近代建築の生真面目な初心をよく表現している。

第一庁舎の入口だ。

上の「世田谷区役所」が明朝体、下の「世田谷区役所第一庁舎」はゴチック体。その違いに何か意味があるのだろうか?

第一庁舎の入口を入ると2階分吹き抜けの大きな空間にでる。その正面にはまるで縄文人が土を捏ねて作ったような大胆なレリーフが描かれていた。

天井を見上げると、格子状の梁の間のトップライトから光が注いでいる。梁は極めて薄く、成が高い。まるで同時代の丹下健三の香川県庁舎のようだ。

吹き抜けに架かっている大階段は、途中で微妙に曲がっているのが、特徴だ。

壁画は、古代人が壁に彫りつけた壁画のようにも見える。踊る人々を描いた群像であろうか。

壁画と階段がこのホールの主役になっていることがよくわかる。

50年前にこれだけの区役所ができたとは、驚きだ。丹下健三の香川県庁舎とほぼ同時代ということになる。

前川國男設計の世田谷区庁舎と丹下健三設計の香川県庁舎を比較してみたくなる。

 県庁舎と区役所では比較にはならないが。

それにしても、大向こうのウケを狙った丹下と、区民に優しい視線をそそいだ前川の違いは一目瞭然だ。

手摺が不思議なデザインになっている。たぶん、出来た当時は木の手摺までだったのだろう、後に白い鉄製の部分が追加されたに違いない。せっかくの木のぬくもりが生かされていないのが残念。

後にできた法律に合わせたのだろう。

壁画を間近で見る。ここは母子像だろうか。

壁画は大きいわりに、一色だし、浅い浮き彫りで統一されているので、穏やかな表情をたたえている。

第一庁舎は、離れて見ると、なかなか端正な表情をたたえている。

垂直、水平の柱・梁が打ち放しコンクリートでまとまっている。

白い斜線の部分は後の耐震補強であろう。耐震補強が白く目立つのはいただけない。打ち放しコンクリートより暗く控えめな表現にすべきだ。

右端の筒状のものは水槽だろうか?端正な本体に対して、ちょっと不思議な存在だが、まあ、全体のアクセントになっているのでしょう。

前川國男は、日本人として初めてル・コルビュジエに弟子入りした建築家である。東京大学の卒業式の日、夜行列車で神戸をめざし、そのまま神戸から舟に乗って大連へ渡った。1928(昭和3)年のことである。

当時、パリへ行くには、船かシベリア鉄道を選ぶ必要があったが、船なら1,000円、鉄道なら450円だった。前川は鉄道を乗り継いで17日間かけてパリまでたどり着き、そのままコルビュジエの事務所に入れてもらい2年間修業した。

このエピソードは有名だが、前川の切迫したコルビュジエへの傾倒ぶりがよく分かる逸話である。

パリには国際連盟事務局長をしていた伯父の前川尚武がおり、その伯父を頼ってパリを目指した。コルビュジエはやっと住宅建築を造り始めたところであり、これから売り出そうというときであった。

戦後の日本建築界でコルビュジエの影響が圧倒的に大きかったのは、この前川のもたらした情報が大きかった。

世田谷のこれらの建築ができたのが、1960年ころだから、1905年生まれの前川が55歳くらいのころである。試行錯誤の末、確信をもって設計にあたっていたことが伝わってくる安定感がある。

水槽だと思われるが、直線的なデザインのなかで、ここだけが曲線となっている。すごい迫力だ。まことに珍しい。

1950年代末期の吹き上がるエネルギーを感じさせてくれる。

この建築群の設計で前川のもっとも強く意識したのが、この中庭である。建築群に囲まれた市民のための広場。前川國男の特徴がもっともよく表現されている部分である。

事実、この広場は区民に親しまれており、日常的な休息やお祭りや各種のイベントによく活用されているという。

区役所・区民会館の平面図。広場を囲んだ配置がよく分かる。

建築群の中で、最も存在感のあるのが、公会堂だ。

折り紙のような、角度をつけたコンクリートの板を組み合わせた構造になっている。折版構造という。大きな空間を経済的に作る方法の一つだ。この時代、いくつかの名作がある。

群馬音楽センター(設計:アントニン・レーモンド)、今治市公会堂(設計:丹下健三)などが有名だ。ともに補修されてみごとに蘇っている。

なかなかの存在感ではないか。

整然と打ち上げられたコンクリートの壁面は、すごい迫力だ。

この時代、世界中で流行したブルータリズム影響を受けた作品だろう。この時代のエネルギッシュな表現力がみなぎっている。

ただし、少し変質したコンクリートの壁面が薄汚れた感じがする。迫力がある、と見るか、汚いと見るか。

打ち放しコンクリートの肌合いはあくまでも維持すべきか、思い切って例えば真っ白に塗装するのもアリか。

単調になりがちな壁面を回廊が上下に分断している。

力強い!

前川は、このあと、次第に打ち放しコンクリートから離れ、外壁にはタイルを使うようになる。日本の風土には打ち放しコンクリートは向かないと判断したのだろう。タイルといっても普通使われているようにコンクリートの壁に貼り付けるのではなく、予め立てたタイルの内側にコンクリートを打ち込んでタイルと一体化する極めて堅牢な仕上げの方法を開発してゆく。上野の東京都美術館、埼玉県立博物館などで見られるものだ。

世田谷のこの壁は、前川の打ち放しコンクリート時代の代表作だ。

区民会館(公民館・公会堂)の入口。

公会堂のエントランスホール。

エントランスホールの大階段。

食堂の奥に池のある庭園。

中庭とはガラッと雰囲気の異なる、和風の静かな庭園である。

かなり水量のある滝の音だけが響き渡っている。

広場とは道を挟んで第二庁舎がある。

第二庁舎は第一の10年ほど後のもの。ここも耐震補強が目立つ。

よく見ると柱・梁がほぼ同一平面となり、第一庁舎とはことなる表現となっている。

 

世田谷区は、いま、この建築群を建て替えようとしているようである。完全に建て替えるか、この環境を維持しながら、部分的に建て替えるか、そろそろ案を募集して着手するようだ。

50年代の近代建築はどこも狙われている。人口は増えるどころか、縮小しようとしている時代にどうしたらいいのだろうか。

今こそ建築家の構想力、アイディアが問われていると思うのだが。

 

築後50年、内部はほとんど当時のままの状態で使われている。いかにも古く雑然とした感じは否めない。家具、水周りなど、大胆にリフォームすればいいと思うのだが、日本人は、ぶちこわして立て直すことには情熱を傾けるが、日常的にリフォームして快適に使うことができないらしい。もう少し賢くならなければ…。

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。