ワールド・カップとル・コルビュジエ

恵美ちゃん 毎日暑いし、毎晩ワールドカップで寝不足だわ。

宮武先生 サッカーで一ヶ月楽しませてくれたけど、試合は全部夜だったからね。

東郷さん しかし、最後にフランスが優勝して、恵美ちゃんはうれしかったんじゃないの。

恵美ちゃん そうなんです。フランスチームの戦い方は格好よかったですね。私はフランス語の勉強を始めて10年たってもいっこうにうまくならないけど、フランスの映画、音楽それから建築は大好きです。

 東郷さん おれは、フランス国歌ラ・マルセイエーズが流れたり、観客席にフランスの国旗が揺れる映像には胸が熱くなったなあ。

恵美ちゃん あら、どうしてかしら。東郷さんはフランスが好きなんですか?

東郷さん あの三色旗はトリコロールと呼ばれているけど、あの三色がフランス革命のスローガン「自由、平等、博愛」を表していることは知っている?

恵美ちゃん それは、学校で習ったから知ってますけど。

東郷さん 我々の学生時代には、戦後の気分が残っていたうえに、安保条約反対のデモが連日街を埋めていたから、それこそ革命的な雰囲気が満ちていたんだ。デモではラ・マルセイエーズもよく歌われていたんだよ。この歌はフランス革命のときに歌われて、その後フランス国歌になったものなんだ。

恵美ちゃん でも、日本で革命というのはちょっと大げさじゃないですか?

宮武先生 でもね、戦前の日本に比べると、戦後の民主主義の社会は革命的な変革だったことは確かなんですね。日本は戦争に負けて始めて「自由・平等・博愛」の市民社会になったことは間違いないでしょう。

東郷さん おれは、あの三色旗の裏にル・コルビュジエが見えるような気がしたんだけど。

恵美ちゃん えーっ、それはどういうことですか?ル・コルビュジエがサッカー好きなんて聞いたことありません。

東郷さん つまり、あの三色旗の「自由・平等・博愛」を社会の原理にしている国がEUやアメリカという市民社会の自由陣営だと思うんだけど、その基礎を築いたのがフランス革命だったわけだよね。

恵美ちゃん そっかー。

東郷さん ル・コルビュジエはフランス革命を胸に抱いて生まれて来たような気がするんだよ。かれは、スイスに生まれたけど、先祖がフランス人で、30歳くらいでパリに出て、それから次々に世界を驚かすような建築や都市計画の思想を発表してたちまち近代建築運動の先頭に立ってしまったわけだよね。彼は自分が革命家だと思っていたと思うよ。

恵美ちゃん そうですね。ずいぶん過激な言動ですものね。

東郷さん フランス革命が王侯貴族を打倒して近代社会を打ち立てたように、ル・コルビュジエも王侯貴族の建築を打ち壊して、市民のための建築を打ち立てようと奮闘したわけだ。そのスローガンが「近代建築の5原則」や「住宅は住むための機械」というわけだ。

恵美ちゃん なるほどねー。それで、ル・コルビュジエの建築の革命は成功したんでしょうか?

東郷さん コルビュジエの建築革命は間違いなく成功した。現代の建築はすみずみまで、コルビュジエの思想が浸透しているのは間違いないでしょう。

宮武先生 たしかにそうなんだけど、一つ問題なのは、建築の革命は成功したけど、ル・コルビュジエは建築と同時に都市の革命を提唱していたんですよ。「300万人の現代都市」をはじめとして、高速道路と巨大な高層ビルを組み合わせた都市計画なんです。

それができれば、地上は市民に開放されて、公園のような都市に快適に暮らすことができるというわけです。

じつは、これも現代の世界の大都市ではほとんど実現してしまったけど、出来てみるとまるで、コルビュジエの描いたようなのどかで快適な都市ではなく、理想とは正反対の悪夢のような環境になってしまったわけです。

東郷さん フランス革命もじつは王侯貴族を打倒したのはいいけど、そのあとで大混乱に陥り、ナポレオンというとんでもない怪物を生み出してしまったんだ。ヨーロッパ中にフランス革命の理念を広げて市民社会を確立したまでは良かったんだけど、自ら皇帝になって戦争に継ぐ戦争で、結局ヨーロッパ中を戦乱の海に突き落として多くの死傷者をだして疲弊してしまったわけだ。フランスは本当の市民社会を実現するためにものすごく大きな犠牲を余儀なくされたわけだ。

恵美ちゃん 大きな革命的な変革のあとには負の部分もあるということですね。

 宮武先生 ル・コルビュジエの都市計画で、彼自身の設計で実現したのはインドのチャンディガールだけですけど、あそこの建築は確かに美しく記念碑的ではありますけど、都市は巨大でむなしい失敗作だと思います。ブラジリアも同じですね。あそこに住みたい人はいないでしょう。つまり、ル・コルビュジエの建築革命は成功したけど、都市革命は失敗したというわけです。

東郷さん ちょっと待った。チャンディガールは失敗とは言えないと思うけどなあ。あのシティセンターへ行ってみると、ル・コルビュジエ風のピロティ建築がよく地元の生活に溶け込んで活気ある街になっているよ。

 

 

http://justchandigarh.com/shoppers-stop/
http://justchandigarh.com/shoppers-stop/

 恵美ちゃん ル・コルビュジエはチャンディガールで何をどこまで設計したんでしょうか。

東郷さん はっきりしているのは、全体の都市の配置図、建築では最高裁判所、合同庁舎、議事堂の3つだけど、自分は主としてパリにいて、従兄弟のピエール・ジャンヌレをチャンディガールに派遣して、現場をまかせたんだ。ジャンヌレは死ぬまで10年ほどインドに滞在して献身的に仕事したそうですよ。ジャンヌレはディテールの達人と言われた人だし、よく人の話に耳を傾ける人だったから、コルビュジエのコンセプトをインドに根付かせた功績は大きいと思うなあ。

宮武先生 ル・コルビュジエがあそこで百万人のための都市みたいな高層団地を作らなかったのはよかった。

恵美ちゃん ル・コルビュジエの都市計画をナポレオンに例えたわけですね。コルビュジエも大きな功績とともに負の遺産をばらまいたことはたしかですね。面白い見方ですね。

たしかに、ル・コルビュジエは先祖がフランス人だし、フランスを誇りにしていたことは間違いないでしょうね。でもフランス革命との比較は驚きました。

宮武先生 東郷さんの思い込みもありますが、あまり外れてはいないと思います。

ル・コルビュジエはなかなかフランス社会に受け入れてもらえなかったみたいですが、いまでは、フランス人もル・コルビュジエを誇りに思っているのではないでしょうか。

恵美ちゃん ワールド・カップがル・コルビュジエに関係しているとは意外でしたが、とっても面白いお話でした。コルビュジエの作品がまた少し親しみをもって見られそうです。機会があったらチャンディガールへ行ってみたいです。

 

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。