22.池袋は近代建築の意外な宝庫

「池袋は東口に西武百貨店、西口に東武百貨店があるのよね」恵美ちゃんが地図を見ながらつぶやいた。

「この彫刻が集合場所だわ」真っ先に到着した恵美ちゃんがまたつぶやいた。

「ごめん、またせたね」東郷さんと宮武先生が少し遅れて到着。

「池袋はときどき来るんですけど、建築なんて意識したことありません」

「ところが池袋には意外と面白いものがあるんですよ」

東京芸術劇場 設計:芦原頼信 1990年
東京芸術劇場 設計:芦原頼信 1990年

「池袋駅西口の目の前にこんな大きな劇場があったんですね」と恵美ちゃん。

「立地条件は最高。だけど、いろいろと問題のある建築だった」と建築家の東郷さん。

「できたのは、1990年、バブル経済の真っ最中。そして22年後の2012年に大規模なリニューアルが行われて、生まれ変わったものなんです」と宮武先生が歴史を解説。

「しかし、外観はほとんど変わっていないね」

「入口が角にある建築って、珍しいですね」

「角入りの建築は、昔はたくさんあったんだけど、最近はほんとに珍しい」

「なんだか鋭い形してますね」

「うわ、大きい」

「大劇場が5階にあって、いきなりエスカレーターで登るんだ」

「あのエスカレーター怖いみたいですね」

「改修前は、1階からいきなり5階までまっすぐのエスカレーターがバーンと空間を横切っていたんだ」

「それが怖いと言われてとっても評判が悪かったんです」

「新建築」1991年1月号より
「新建築」1991年1月号より

「この写真は竣工当時の雑誌の写真をコピーしてきたんだけど、真ん中の大きなエスカレーターが写ってるでしょう」

「なんだか、巨大な装置だったんですね」

「上から入口を見た写真も見てごらん」

「新建築」1991年1月号より
「新建築」1991年1月号より

「広場に大きく開いていて、アトリウムと広場が一体化しているでしょう」

「いまは、角に風よけ室ができて、角から入るようになっているけど、始めは広場とアトリウムがつながっていたっていうわけだ」

「わー、下へ行くエスカレーターもある。エスカレーターの多い建築ですね」

「そうなんです。この建物は地下4階、地上10階建てなんだけど、1999席の大ホール(コンサートホール)が5階にあるし、その下に841席の中ホール、地下に300席の小ホールが2個もあるんです」

「ホールの数がすごいですね」

「東京都が芸術文化の発信地として、ずいぶん力を入れて作ったみたいなんです」

「あーら、大ホールが一番上にあるわ。すごい建築なんですね」

「それは珍しいね。この断面図は改修前のものだから、右側のアトリウムに一直線のエスカレーターが見えるね」

「いくつものホールをタテに積み重ねた建築は珍しいと思いますよ」

「中ホールの舞台の上にステージタワーがありますね」

「よく気がついたね。これで、中ホールが劇場、大ホールが音楽専用のコンサートホールということが分かるよね」

三人はエスカレーターで5階へ移動。

「ああ、怖かった。今のエスカレーターでも十分怖いわ」

「上から見てもすごいですね。バブルの絶頂期にできただけあって実に贅沢な感じです」

「大ホールの下のロビーです。天井に絹谷幸二のフレスコ画が3つある」

「フレスコ画はここにあったんですか?一度見たいと思ってました。でも、なんで大ホールがこんな高いところにあるんでしょう?」

「なんでも、この下を通っている地下鉄の音からの影響を遮断するためだなんて言われていたねえ」

「ふーん。それから、この大ホールが1999席って、なんだか半端な数ですね」

「残りの1席はミューズのために明けてあるそうです」

「????」

「展覧会の会場もあちこちにある」

「いろいろと余裕のある建物ですね」

「バブルの最盛期、東京都もお金があったんだね」

「この柱、不思議ですね」

「ここに大ホールがあるよ、というシンポルだろうね」

「そういえば、この建物に入ったとき、すぐ目につきました」

「当初のエスカレーターがここについていたから、この柱は改修後のものかもしれないね」

「直角が目立ちますけど、斜めにカットした線も目につきますね」

「そうなんだ。つまり幾何学的な造型感覚が際立っている」

 

「これを設計した芦原義信というのはどんな人なんですか?」

「芦原義信(1918〜2003)という人は、1942年つまり戦争中に東京帝国大学を卒業して、戦後坂倉建築事務所につとめ、それから渡米してハーバード大学に入学して修士号を取得して、さらにマルセル・ブロイヤーの事務所で働いたんです。アメリカ帰りの颯爽とした建築家として注目を集めていたんです。アメリカ仕込みのバリバリのモダニズム建築家。数寄屋橋のソニービルが有名です」

「武蔵野美術大学の建築学科を創設したのも芦原さんだよね」

「武蔵美のキャンパスも設計しました」

「丹下健三や大江宏など、その前の世代が日本の伝統との葛藤に苦労したのに対して、この人は迷わず全身でモダニズム建築を造り続けた建築家ですね」

 

「ひと頃は、街並の美学を主張して、一世を風靡しました。今の銀座が美しくなったのも、この人の影響が大きいと思いますよ」

 

「京橋の中央公論社の本社ビルで建築学会賞をもらったんだけど、中央公論社の経営が傾いて読売新聞に買収されてしまった。すると読売は中公ビルを取り壊してでっかいビルをゼネコンの設計施工でつくってしまったんだ。その報告を聞いた芦原さんは黙って涙をながしたそうだ。亡くなる直前だったそうだ」

「ソニービルも壊されるそうだし、お気の毒。でも、この東京芸術劇場が改修されて残ったのはよかったですね」

 

豊島合同庁舎 設計:大江匡 1991(平成3)年
豊島合同庁舎 設計:大江匡 1991(平成3)年

「目の前に不思議な建築がありますね」

「豊島合同庁舎。アフリカの土でできた建築みたいだ」

「設計したのは、大江匡という若いけど実力のある建築家なんです」

「東大を出た秀才だよね」

「お役所の建築にしては、随分思い切ったデザインですね」

「そうですね。できたのが1991年。やはりバブル時代の最後の建築ですね」

「いまでは、絶対にできないものだなあ」

「大江匡は、公共建築もある大きさになると、視覚的な公共性を備えなければならない、と主張しています」

「頭のいい建築家だから、時代の読みが的確なんだよなあ」

 

自由学園明日館 設計:フランク・ロイド・ライト 1921(大正10)年
自由学園明日館 設計:フランク・ロイド・ライト 1921(大正10)年

「わーっ、可愛いい。」

「フランク・ロイド・ライト(1867〜1959)が設計した自由学園明日館です」

「写真では見てましたけど、こんな街の中にあったんですか」

「ここは学校だったんですか?」

「1921(大正10)年に開校した、始めは女子の幼児の学校だったのです。羽仁もと子が「婦人の友」を創刊して、次に女子教育の大切さを訴えて創設した学校なんです」

「ライトって近代建築の巨匠といわれているフランク・ロイド・ライトですか?どうしてそんな巨匠が設計したのですか?」

「ちょうど、帝国ホテルの建設のために日本にいたライトに教育の夢を語って頼んだところ、意気投合して設計してくれたそうです」

「ライトの片腕になって協力していた遠藤新がここでもがんばったので、ライトが日本を去るときに、この建築は君の作品として発表しなさい、と言ったと言われているんです」

「遠藤新はライトにものすごく信頼されていたらしいね」

「そうなんです。ライトが帝国ホテルの設計で日本に来たとき、早速弟子入りしてライトから建築を学んだ人なんです」

「神戸に甲子園ホテルという遠藤新が設計した建築(今は武庫川学園が管理する甲子園会館)があるけど、まるでライトの建築です」

「とっても、可愛らしくて、居心地がいいお部屋ですね。いつまでもここに居たい気持ちです」

「隅々まで心をこめて設計したのがよくわかる」

「今は学校としては使ってないんですか?」

「次第に生徒が増えて、ここでは手狭になったので、1934年に東久留米市に移転したんです。西武池袋線のひばりケ丘の近くに今も大きなキャンパスがあります」

「あそこも、遠藤新が設計したから、規模はよっぽど大きいけど、建築はこことそっくりだよ」

「テーブルや照明器具もみんな手作りみたいで、どれもとっても親しみ深い感じがします」

「そうですね。これは、ライトと遠藤新の設計だけど、机や椅子はそれをお手本にして子どもたちが手作りしたものも使われています」

「身の回りのものを自分で考えて作るのは、この学校の教育方針だから、ライトの設計ととってもよくマッチしているわけだ」

「生活の全てが教育という考え方なんです」

「うーん。可愛らしいなあ」

「建築を作る人と、使う人がこんなに意気投合して一体化しているのは、ほんとに幸せなことですよね」

「ライトが心を込めて設計したのがよくわかります」

「設計を楽しんでいるんだよなあ」

「暖炉には、帝国ホテルで使われた大谷石が使われています。これも珍しいことなんです」

「大谷石は火には意外と強いみたいだよ」

「いい感じだなあ」

「暖炉、飾り棚、照明器具、椅子、テーブル、全部がみごとに調和しています」

「隅から隅までライトが自分の手で設計したのがよくわかる」

「こんな学校があったなんて、信じられない」

「ライトは、斜線を使った菱形のデザインがうまいんだよね」

「すてきな窓!!」

「ガラスの透明感が一段と際立って見える」

「窓と可愛らしい椅子、素敵なお部屋ですね〜」

「ライトワールドに完全に引き込まれてしまうなあ」

「あっ、外でも大谷石がたくさん使われています」

「ライトは帝国ホテルのために大谷石の山を一つ買ったという話もある」

「それまで粗末な石として扱われていた大谷石を本格的な建築に使ったのはライトが初めてですから、ライトは大谷石をよっぽど気に入ったんでしょう」

「門を含めて、すべてを強いこだわりをもってデザインしている」

「この求心力、驚くべきものですね」

「100年近くたつのに、よくきれいに維持されていますね」

「学校が東久留米市へ引っ越したあと、次第にさびれて、1970年ころには、雨漏りも激しくて、室の中で傘をさすほどになったらしい。関係者は建て替えか保存か随分迷ったらしいけど、卒業生を中心に関係者の努力が実って、重要文化財に登録され、完全復元保存が実現したそうだ」

「同じライトの作品でも、帝国ホテルが壊されてしまったのに、ここが残ったのは、学校関係者の愛情、熱意が勝っていたせいかもしれないなあ」

「これは、ライト、遠藤新、羽仁もと子と、素晴らしい人と人の出会いが作り出した、日本の近代建築の歴史の中で一番美しいエピソードだと思います」

宮武先生がしめくくった。

 

「わーっ。駅からこんな近くにこんなに素敵な公園があったんですね」

「地下に東電の変電所があるんですけど、長い間、ホームレスが住み着いた、怖くて汚いところだったんです」

「区が管理していたんだけど、どうしても周辺の理解も得られず、手がつけられなかったみたいです」

「どうしてこんなに奇麗になったんですか」

「周辺の住民に管理を任せたら、うまくいったらしい」

「きっかけは、豊島区長からランドスケープ・デザイナーの平賀達也さんが頼まれて、公園の運営を地域の住民にまかせる仕組みを提案して、動きだしたらしい」

「区ではなくて住民が主体になって運営しているんですか」

「時間をかけて辛抱強く相談するうちによい関係ができた」

「平賀さんは、アメリカでランドスケープを勉強してきた人なんだ」

「公園といっても、普通の公園とはちょっと違いますねえ」

「どこにでもある遊具がない」

「廻りの商店会のおやじさんたちが毎月集まって、相談して運営しているそうだ」

「秋のサンマまつりとか、イベントもやるそうですね」

「冬は芝生の養生のため、芝生に入れないけど、土日だけ開放しているそうです」

「すごい人出ですね」

「うん。子どもがこんなにいるのは驚きだ」

「大人も子どももいっしょに楽しめる場所ですね」

「そこがよくできていると思うなあ」

「おしゃれなカフェがありますよ」

「カフェの運営は地元の商店からプロポーザルで選んだそうだけど、売り上げの一部を公園の運営費にあてているそうです」

「カフェを中心に人が集まっているみたい」

「なかなか人気があるんですよ」

「カフェの建築もなかなかいいですね」

「この建築を設計したのは、久間常生という建築家。防災拠点として、備蓄倉庫やトイレも備えた建築なんです」

「しゃれたデザインで、公園の雰囲気によくあっている」

「内部もおしゃれだ。若い女性も気に入りそうだ」

「素敵なお店ですね」

「いいですね。公園とよくマッチしてます」

「ちょっと気のきいた人に任せると、これだけ質の良い公園ができるんだねえ」

「池袋のイメージが一変するようなインパクトがあるりますね」

「なんでも役所がやろうとしないで、民間の知恵を活用するということだよね」

 

ルボア平喜 設計:梵寿綱
ルボア平喜 設計:梵寿綱

「わっ、すごい。…なんですか、この建築は」

「とりあえず、外側を見てみましょう」

「うーん」

「すごい!」

「5、6階の窓廻りのレリーフだよね」

「これって、ヤバくないですか?」

「うん、近代建築の規範からは、かなり外れていることは確かでしょう」

「なにしろ、近代建築は装飾の否定から始まったことは間違いない。こんなビル危なっかしいから近寄らないほうがいい、というのが普通の建築家の反応でしょう」

「でも、この強い吸引力に私は負けそうです」

恵美ちゃんが興奮してシャッターを切りまくっている。

「そうですね、建築に本来備わっているものを遠慮なく追求するとこういうものも当然出てきておかしくはない」

「わたしは、引き込まれるほうです」

「近代建築のドグマに囚われなければ、これに興味をもつ人はいてもおかしくはないですね」

「外は白一色だったのに、エントランスの天井はずいぶんカラフルですね」

「扉の鋳物も、天井のモザイクの技術もすごいでしょ」

「モザイクはローマの昔から使われてきた建築の装飾技法です」

「うーん。今はほとんど使われない。とくにモダニズムは絶対に使わない」

「モザイクをこんなに自在に使いこなしているのはただものではないねえ」

「鋳物のデザインもすごいでしょ」

「赤、緑、青、金色、強い色を大胆に使ってますね」

「わーっ。すごい玄関ですね」

「この照明器具。ちょっと怖いけど、すごいです」

「独特の雰囲気を醸し出しているねえ」

「壁のタイルも凝ってます」

「ますます、すごい雰囲気になってきました」

「天井モザイクがまだまだ続いてますよ」

「こんどはモザイクの天井がめくれ上がっている」

「いろんな色だけど、全部同じ正方形のモザイクだ」

「天井モザイクはここで吹き抜けに向かってめくれ上がっているんですね」

「左側に不思議な壁が出てきました」

「うーん。ますますすごいデザインですね」

「ちょっと不気味です」

「このビルはマンションだよね」

「そうです。酒の卸問屋さんの店、事務所、そしてマンションを合わせたビルなんです。いま見ているのは、マンションの玄関ホールというわけです」

「わたし、目がくらみそうです」

「そうだよね。魔法使いの館という感じだよね」

「わっ。この椅子を見てごらん。普通じゃないよ!」

「あっ。二人用もあった」

「ガウディとダリが一緒につくったみたいな建築だなあ」

「この建築を設計したのは、いったいどんな人なんですか?」

「梵寿綱(ぼん じゅこう)(1934〜)という建築家なんです」

「そうとうやばい人だなあ」

「建築の雑誌はまともに紹介しないし、ゲテモノと思っている人も多いと思うけど、実はなかなかすごい人なんですよ」

「本物の建築家?」

「早稲田大学の建築科を卒業している。さらにアメリカの学校で建築を学んで、帰国後最初に雑誌に発表した作品が塚田ビル。きょう、コピーを持ってきたから見てください」

「えっ、ずいぶん固いビルですね」

「これが塚田ビル、1969年11月の「新建築」に掲載されたものです」

「同じ人が設計したなんて、まったく想像できない」

「日本橋、茅場町にあった。いまはあるかどうかわかりません」

「いったいこのビルのどこが面白いんですか?」恵美ちゃんがキョトンとしている。

「うーん。かっちりした立方体。強い正面性、シンメトリー、柱・梁ではなくて壁、さらに正方形と丸の窓、どれをとってもモダニズムへの反逆だ」

「内部も見てください」

「丸窓の中はこうなっていたのか。これもすごいなああ。まるで白井晟一の世界だ」

「すてきなインテリアですね」

「この時の『新建築』には、設計者は「梵」となっている。しかし、解説がついていて、そこには、「梵は、国立劇場設計競技に佳作入選、最高裁設計競技に選外佳作に選ばれた田中俊郎を中心とする設計者集団である。あえて設計者集団というのは、6名の構成員全員、資格から給与まで同一で、事務所は有するが通常の組織形態をもっていないためである。」と書かれているんです」

「すごい記事だねえ」

「この塚田ビルが1969年、梵寿綱と名乗ったのが1974年ころらしい」

「ふーん。田中俊郎、ただものじゃない」

「それからは、装飾の多い建築に踏み込んでいくんだけど、いろんな職人を集めた集団を作って活動してきたらしい」

「ほかにも作品はあるの?」

「ドラード和世蛇、ラポルタ和泉、マインド和亜などが知られています、どれもマンションです」

「おどろいたなあ」

「じつは、この近くにもう一つあるので、今から見にいきましょう」

 

東商ビル(Royal Vessel) 設計:梵寿綱
東商ビル(Royal Vessel) 設計:梵寿綱

「すごいファサードですね」

「よーく見てごらん。モザイクになっているパネルが全部違うデザインでしょう」

「うーん。違うねえ」

「よく見るとすごく手が込んでいるなあ」

「近代建築がタブー視している装飾が全面を覆っているわけです」

「しかも、その1枚1枚がものすごく手が込んでますねえ」

「金属とモザイクタイルの組み合わせみたいだけど、すごい完成度でしょう」

「うーん。まいったなあ」

「見れば見るほどすごい」

「こんな密度の高い作品が惜しげもなく建築の全面を覆っているんですね」

「全体が芸術作品ですよ」

「入口廻りのデザインもすごいですよ」

「ここは金属がメインですね」

「小さなパーツを組み合わせたり、色ガラスを入れたり、これでもかという感じだなあ」

「ドアの足元まで手を抜いてない」

「職人わざがどこまでも貫徹していますねえ」

「うっかりすると見逃してしまいそうな小さなビルですが、よく見るとなかなかすごいでしょう」

「建築全体が芸術作品でした」

「驚くのは、こんな特異な建築が偶然ではなく、梵寿綱という建築家の手によっていくつも作られたということなんです」

「建築は、決して経済性、合理性だけではない、ということを改めて考えさせられたなあ」

 

「近代建築は、経済性や合理性を追求して、ひからびた建築で日本の都市を征服しつくしたようみ見えますが、オーナーたちは、決してそんなモダニズムだけでは満足していないということなんです」

「こういう建築を求めるオーナーがいるということ、ならば、それに応える建築家も必要だということを忘れてはいけない、建築家にはいろんな可能性が残されていることを教えてくれたと思います」

「とっても楽しかったわ。私は梵寿綱がすっかり気に入りました」

 

としまエコミューゼタウン(豊島区役所) 設計:日本設計、隈研吾、ランドスケープ・プラス 2015
としまエコミューゼタウン(豊島区役所) 設計:日本設計、隈研吾、ランドスケープ・プラス 2015

「では、いよいよ豊島区役所へ行こうか」

「正式の名称は、としまエコミューゼタウン、というらしい」

「えーっ、区民にそんな名前で呼ばせるつもりかしら???」

「大きいですね」

「めちゃくちゃ大きい。区役所とマンションを合わせて、老朽化した区役所をただで立て直した、とすごく話題になったビルだ」

「下の9層分が区役所、11階から49階がマンションです」

「10階はなんですか?」

「免震層になっているらしい」

「大きすぎてまったく理解できません」

「下のごちゃごちゃした部分もなんだかさっぱり分かりません」

「日除けのルーバーや太陽光発電などになっているらしい」

「森の木が葉っぱに覆われているように、ランダムに配置したパネルに覆われているわけです」

「本物の木や草も植えてありますね」

「なんだか工事現場みたいです」

「完成した建築が備えているはずの何かがないんだよなあ」

「そうだなあ、品格がないということかなあ」

「美しさがない、ということかしら」

「周辺の雑然とした環境に合わせたといえるかもしれません」

「この巨大さでそれをやられたらたまらん」

「離れてみると森の上に高層ビルが立っているように見えませんか」

「やっぱり大き過ぎる」

「足元のカフェテラスです」

「ちょっと殺風景ですね」

「せっかくだから、ちょっと遠くなるけど、ビル直結の東池袋駅から建物に入ってみましょうか」

「うーん。これは、正に隈研吾の世界だなあ」

「ここは地下鉄とは思えないおしゃれなエントランスですね」

「隈研吾は外観と低層部のデザインをやったことになっているんです」

「アラー。私のカギがこの木に当たったらチャリンっていったけど、なんだかへんですね」

「どれどれ」

東郷さんがポケットからカギ束をとりだして振っている。

「うん。たしかにこれは木じゃない。金属だ。ということは、これは、全部金属に木目プリントした塩ビシートを貼ったものだ」

「えーっ。これは、木じゃないんですか」

「たしかに塩ビシート貼りの金属バーだ」

「こんなことやっていいんですか」

「あっという間に劣化してしまうんじゃないかかなあ」

「一階のホールに出たねえ」

「内部には、徹底して、あの塩ビシート貼りの金属バーが貼り巡らされているんですね」

「木かと思ったけど、木の雰囲気を出したということか」

「だれだって、木だと思うよなあ」

「わざわざ、ホコリの付きそうな部分を増やして、いったい掃除はどうするんでしょうか?」

「そうだね。雰囲気はいいけど、これはかなり問題あるなあ」

「離れて見ると木に見えるけど、そばで見るとやっぱり金属だ」

「必要なものなら仕方がないと思いますけど、、、」

「ここもよく似た造りだけど、この部屋だけは本当の木みたいだよ」

「ほんとだ、ここだけは本物の木が使われている」

「吹き抜けも徹底的にあの”木”が使われてますよ」

「うーん。すごい量だなあ」

「だいたいこの木はなんの意味があるんでしょうか」

「一種の装飾とでもいうものかなあ」

「隈さんの建築はどこでもこれとよく似たものをくっつけてますよね」

恵美ちゃんが反っくり返って見上げている。

「これはおれがデザインした、というブランド作戦というべきかもしれない」

「建築というよりコマーシャルの世界のパッケージに近いかも」

「三越なら猪熊弦一郎のあの赤い包装紙ですね」

「隈研吾が関わったというだけでマンションの価格があがったというからなあ」

「これはたしかに分かりやすい隈研吾イメージにちがいない」

「建築としていいかどうかは別として」

「では9階の屋上へ上がってみましょう」

「あれ、まるで雑木林ですね」

「自然な木や草がいっぱいです」

「せせらぎもじつによくできていますね」

「ここの庭園を担当したはが、さっきの南池袋公園のプロデュースを依頼された平賀達也さんなんです」

「アメリカでランドスケープ・デザインを勉強してきた人ですね」

「そうか、なかなかすごい人だなあ」

「ここでの仕事ぶりを見込まれて、豊島区長から池袋南公園を頼まれたらしいよ」

「区長もなかなか見る目があるなあ」

「このパネルだけはぜんぜんいただけない」

「外から見てもへんだったけど、内側から見ても変だねえ」

「意味がわかりません」

「ちっとも面白くない」

「スカスカだね」

「まるでわからん」

「建て替えの事業としては大成功だったそうですよ」

「経済最優先の計画だったわけだ」

「そこへ隈さんのデザインでトッピングを振りかけた」

「ここがマンションの入口です」

「かなり高額のマンションだったらしいですね」

「うーん。ここにも隈さんデザインだ」

「ここは、木じゃなくて石の板を貼ってある」

「高級感を加味した隈さんのブランドがはっきり刻印されているわけですね」

 

「池袋の建築散歩、いろいろ見ましたね」

「なかなか充実したウォーキングだったよね」

「近代建築の三大巨匠の一人というアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト。バリバリのモダニズムの建築家芦原義信のバブル期の作品。モダニズムに背を向けて職人集団を率いて装飾一杯の建築をつくる建築家梵寿綱。そしてコマーシャルの手法で大組織と手を組んで仕事を展開する建築家隈研吾など、実に多彩な顔ぶれでした」

「造園家というかランドスケープ・デザイナー平賀達也の仕事ぶりも興味深いものでした」

 

「この5人は共通した経歴をもっていますよ」

「えー、私には、まろっきりバラバラに見えますけど、、、」

「全員アメリカで教育を受けているんです」

「なるほど、それは珍しいなあ。戦前の建築家はみんなヨーロッパへ留学してヨーロッパの影響を受けて日本の近代建築を築いてきたので、これは意外だ」

「戦後に学んだ人はアメリカを目指したわけだ。ただ、ひと口にアメリカといっても、随分多様なアメリカの、しかもそれぞれがいろんな面を掴んできていますね」

「とっても楽しかったわ。池袋がこんなに面白い建築の街だとは知りませんでした。建築の価値がどこにあるのか、いろいろ考えさせていただきました」

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。