歌舞伎座・再訪

「今日は突然呼び出してごめんなさい。」連休の最中に宮武先生から電話があった。

「どうせ行くとこないからいいよ」東郷さんは気楽に応じた。恵美ちゃんもすぐにやってきた。

待ち合わせ場所は歌舞伎座のまん前だ。
「実は、この前、オープン直前にここを見て、ついでに大阪と京都を見ましたよね。それで各地の劇場建築で唐破風が大活躍しているのを確認しました。だけどこの歌舞伎座が竣工前だったので、この建築についてはあまり議論できなかった。オープンして一ヶ月、少し落ち着いたし、ここで改めて見直してみようというわけです。」
「私も見たかったのですが、切符が高すぎてとても手に入りません。」恵美ちゃんが悔しそうだ。
「今日は中には入れませんが、周りからじっくりと拝見しましょう。」
「雑誌にも発表されたし、隈さんのコメントも出てきたし、建築の様子が分かってきたからね。」

「改めて見直すと、唐破風が異常に大きいことに気がつきました。」
「私もあれからお寺やいろんな唐破風を注意して見て来たんですけど、ここのは、特別大きいと感じました。」恵美ちゃんも宮武先生に共感したようだ。
「このデザインは岡田信一郎だけど、これだけ大きな唐破風を付けてデザインを破綻なくまとめる人は他にないだろうな。」
「吉田五十八が一部変更したけど、基本は岡田信一郎のものです。」
「隈さんはそのデザインに指一本触れずに再現したわけだ。」

建築家の東郷さんは、軒裏を見上げて、食い入るように見つめている。

「垂木がアルミ製だと書いてあったけど、ぜんぜんわからん。コンクリート製だと思った。」
「垂木がアルミ製で出桁(だしげた)がGRC(ガラス繊維強化コンクリート)らしいですね。」
「白一色なので、同じ材質のように見えるけど、いろんな部材を組み合わせたものなんですね。」
「前のデザインを踏襲したと言っても、材料も作り方もまったく違うわけだ。」

素材を正直に表現するのが近代建築の鉄則とすれば、これは、そこから大きく逸脱していることになる。

「地下鉄からの入口は広くなってずいぶん楽になりました。」

「これは楽だね。」

「劇場の中に入らなくても、地下で歌舞伎関係のグッズが買えるわけだ。」

「歌舞伎ファンにはうれしいことだね。」

「建築家隈研吾はこの建築で何をしたのか気になりますね。」
「雑誌では、地下の広場、座席や天井、照明の改良などを語っている。さらに鉄筋コンクリートを鉄骨に変えたので庇が長くできた、などと言っている。」
「それは細かい話だし、隈さんがいなくても、できたことです。僕は隈さんの最大の貢献は超高層ビルの正面部分のガラスのカーテンウォールを隠したことだと思う。連子格子のようなプレキャストコンクリートの縦線の繰り返しはいかにも隈さんらしいデザインだし、あのせいで、歌舞伎座の後ろのビルが気にならない。」

「横に回ると普通の超高層ビルなのに、正面からは、ほとんど気にならないのは、そのせいなんですね。」

「歌舞伎座の建て替えは、超高層ビルの収益で賄ったと書いています。あくまでも超高層ビルとセットで実現したわけです。」
「後ろのビルはずいぶん大きいですね。」
「超高層ビルは歌舞伎座の後ろではなく、舞台の上に舞台をまたぐように建っているんです。ビルと歌舞伎座はあくまでも一つのビルなんです。」

「そういう大きな計画は、三菱地所がやっているから、隈さんの出番はないだろうな。隈さんはあくまでも歌舞伎座のデザインだ。」

「しかし、歌舞伎座のデザインは岡田さんと吉田さんだし、つまり、隈さんの最大の仕事はデザインを変えないという決断だったということになります。
「えーっ、そんなことアリですか。」恵美ちゃんがカメラを構えたまま振り返った。
「しかし、それは隈さんだからこそできた決断なんだよ。丹下健三や前川国男なら絶対に自分の歌舞伎座を作ったと思うよ。槇さんも菊竹さんそうだ。黒川紀章なら岡田さんのまま作ったかもしれないけど、黒く塗ったにちがいない。そのまま再現して、素人衆も玄人すじも納得させる、それは実は極めて難しいことなんだよ。
「そこがこの建築の設計のキモだと思うんだけど、『新建築』の巻頭論文では、隈さんはそこをはぐらかしてしまいましたね。」
「まさか、何もしないのが俺の仕事だったとは言えないからなぁ。」

「しかし、この巨大な唐破風、何か思い出しませんか?」
「そうなんだ。オレもアレを思い出したところなんだ。」
「えーっ、何ですか?アレって。」恵美ちゃんが振り向いた。
「M2という、隈さんのデビュー作があるんだ。ギリシャ神殿の柱頭を巨大化した建築なんだ。隈さんはこれが悪評で建築界から干されたと言っているけど。あれとこの巨大な唐破風がダブって見えるんだよ。」

「様式建築の装飾を強調するってことですか?」

「そうなんだ。なんといっても隈さんの代表作だし、隈さんのデザイン力を遺憾なく表している。」
「岡田信一郎と隈さんは不思議な因縁で結ばれていますね。」

M2 設計:隈研吾 1991
M2 設計:隈研吾 1991

「岡田信一郎はビフォー・モダンの巨匠として巨大な唐破風をデザインしたけど、隈研吾はアフター・モダンの巨匠として巨大なギリシャ神殿の柱頭をデザインした。この一致は決して偶然とは言えないねえ。」

「唐破風もギリシャ神殿もモダニズムが親のかたきのように嫌ったものですからね。」

「モダンを挟んで両巨匠が同じ衝動に突き動かされて同じようなデザインをしたということ、深い歴史の必然を感じますねえ。」

「隈さんを歌舞伎座の設計者に選んだのは、松竹か三菱地所か知らないけど、実に的確な人選だったというわけだ。」
「最近書いた本『建築家、走る』(新潮社)に、隈さんは、屋根をなくす案を含め、ハコに入れる解決案の模型も十案ほど作りました、と書いているね。」
「ハコに入れろという外部からの圧力があった、とも書いていますよね。」
「しかし、最後に自分はデザインをしないという決断をしたわけだ。」
「こういう時こそ建築家の真価が問われると思います。」
「そうすると隈さんの役割は、外向けのスポークスマン、千両役者、建築界の市川團十郎というわけだ。」

「そこに居るだけで価値があるという感じですね。」

「今日は、すごく深いお話を聞かせていただきました。目からウロコが落ちた気分です。」

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。