上野公園の建築

東京文化会館(設計:前川国男)
東京文化会館(設計:前川国男)
上野公園案内図
上野公園案内図

上野駅公園口の目の前、西洋美術館が先生から指定された今日の待ち合わせ場所だ。

「やあ、待たしてごめんなさい。学会の歴史部会が延びちゃって。」

宮武先生は相変わらずいそがしそうだ。

「こんな建築の前ならいくら遅れても心配ないよ。このあたりの建築を久しぶりにゆっくり見せてもらったよ。」

建築家の東郷さんは今日ものんきだ。ハンチングが似合っている。

「コルビュジエのことを東郷さんからうかがっていました。コルビュジエってすごい建築家なんですね。」

恵美さんは新しいスニーカーを履いて張り切っている。

 

西洋美術館

西洋美術館 設計:ル・コルビュジエ 1959年
西洋美術館 設計:ル・コルビュジエ 1959(昭和34)年

「この西洋美術館が日本で唯一ル・コルビュジエの作品なんです。端正なたたずまいでしょう。爪楊枝の上に豆腐を乗せたようだ、なんていう人もいるけど、コルビュジエが提唱したピロティやフラットルーフが見事に実現していますね。」宮武先生の説明だ。

「とってもいい感じですね。」

これぞ近代建築!!

「ピロティの上に乗った四角い箱、近代建築のお手本のような感じです。」

「とっても分かりやすいです。」

「これはなんですか?」

「コルビュジエの設計図には出口となっていたそうです。でも、ここが使われたのを見たことはありません。」

「へそだな。これがないと単純すぎて面白くないから、コルビュジエ先生、なにか付けたかったんだろうなあ。」

「どこが入口かしら。」

「ピロティの部分がなんとなく入口になっている。」

「近代建築には、ぎょうぎょうしい玄関というものはないのです。」

西洋美術館19世紀ホール
西洋美術館19世紀ホール

19世紀ホールは意外に小さい。」

「そうなんだよ。コルビュジエはむやみに大きなものは作らない。ヒューマンスケール、こけおどしのようなことはやらない。」

「おおげさな感じはどこにもないですね。とっても親しみやすいです。」

「ここから展示室へと進むためにはこの斜路を登る。」

「建物のなかに坂道があるのは珍しいですね。」

コルビュジエの得意なランプというやつだ。」

「ここを登りながらホールの景色が変わってゆくのを楽しむんですね。」

「コルビュジエはこれを住宅の中でなんども試しているんだ。空間の変化を楽しむ装置だと思うんだ。」

「上から見下ろすのも楽しいですね。」

「そうだね。いろんな角度から眺めることができる。」

「斜路を登る人が見える。」

「向こうからもこっちを見ているんでしょうね。」

互いに、見る、見られる、これが大事なんだと思うよ。」

「コルビュジエが考えたトップライトからの採光だよ。」

「なんだか、窓の中に人工照明装置があるみたいですけど。」

「そうだね。自然光の中の紫外線が作品を痛めるのでトップライトをふさいで、いまは、中に蛍光灯を入れてあるそうです。」

「あら、ここはずいぶん雰囲気が違いますね。」

前川国男による増築部分です。」

「吹き抜けの大きな展示室が必要だったのでしょう。」

「前川さんの増築で囲い込まれた中庭ができた。」

「いい雰囲気ですね。」

「中庭に面した回廊のような部分だ。」

「いい雰囲気ですね。ここならいつまでもいたいわ。」

「出口のロビーです。」

「明るい、ゆったりとしたところですね。」

「ピロティの効果がよく出ています。」

「この建築は大規模な改修をして、全体を浮かせて免震構造になっている。ホールにおいてあるこの模型を見るとよくわかるりますよ。」

「建築全体が地面から浮き上がっていますね。」

「展示室に光を取り入れる仕組みもよくわかりますね。」

「階段で地下へ降りると、免震構造を見るための窓があります。」

「珍しいですね。」

「ほんとに浮き上がっているのがよく分かるでしょ。」

1階ピロティ廻り
1階ピロティ廻り

「細くて、丸い柱、これを維持するために、全体を免震構造にしたわけだ。」

 

「あのー、コルビュジエはこれを設計するために日本にきたんですか?」

「もちろん事前に敷地を見にきた。」

「そういえば、鎌倉の近代美術館に坂倉さんがコルビュジエを案内したときの写真が展示してありました。1955年て書いてありました。」

「コルビュジエが来たときはさぞかしにぎやかに報道されたんでしょうね。」

「ところが、そのころ日本の建築界ではコルさんにほとんど興味を示していなかったんだよ。」

「えーっ、今なら大騒ぎするでしょうに。」

「戦後10年、まだどこも焼け野原で必死になって建築をつっくり始めたころだったんだ。」

「しかも、コルビュジエは簡単な図面を一式送ってきただけだったんだ。」

「それだけでこの建築が出来たんですか?」

「そこで、弟子の前川国男、坂倉準三、吉坂隆正が協力して必要な図面を起こして建てたんだ。」

「コルビュジエは日本の建築をみたんですか?」

「もちろん、日本に8日間滞在して、阪倉さんたちが、京都、奈良をはじめ東大寺、桂離宮なんかを案内した。」

「コルビュジエはなんて言ったのかしら?」

「日本の古建築にはほとんど興味がなかったみだいだ。線が多過ぎる、と言ったらしい。」

「うーん。なるほど。」

 

東京文化会館

東京文化会館 設計:前川国男(1961年)
東京文化会館 設計:前川国男(1961年)

「西洋美術館の向かい側にあるのが、コルビュジエの弟子の前川国男が設計した東京文化会館です。」

「たしか江戸幕府が出来て500年目ということで、開都500年記念事業として、東京に本格的な音楽の殿堂をということで出来たものだったよね。」

「そうなんです。それで、オーケストラやオペラができる大ホールと小ホールを備えたこの建築ができたというわけです。」

「1961年というこの時代、日本が急速に経済発展して、戦後の貧困を脱して自信をつけてきた時なんだよね。」

「そういわれると、すごく自信に満ちた建築ですね。」

「なんだか、先生の作品の前で、弟子の作品のほうが大きさも迫力も上回っていますね。」

「しかも、このめくれあがった庇はコルビュジエのデザインをまねしたものだからねえ。先生はちょっと複雑な気分だろうなあ。」

「この長い庇、じつは理由があるんです。これから見る国立東京博物館の屋根に対応しているんです。それは、あとで確認しましょう。」

 

東京文化会館(設計:前川国男)1961年
東京文化会館(設計:前川国男)1961年

「打ち放しコンクリートの庇と列柱が見事です。」

「すごいスケールですね。」

「できて50年たっているのに、きれいなもんだなあ。」

「この建物、だれでも気軽に入っていけるような親しみやすさがありますね。」

「うん。垣根がないからね。」

「ここは裏側になるんだけど、じつにオープンにできている。」

「大きいのに、いかめしい感じはないですね。」

「周りの公園と一体になっているでしょう。」

「前川国男は周りと一体になった建築を目指した。丹下さんのような大げさなモニュメントではなく、まわりにとけ込んで、だれでも自然に利用できる建築が前川の目指した都市の建築だったんだ。」

「ハイッ、親しみやすい建築だと思います。」

「西洋美術館も東京国立博物館もフェンスに囲まれているけど、前川さんは公園に開かれたオープンな建築を目指した。」

「それって、大変なことなんですか?」

「そうなんだ。役所の縄張りとよっぽど、辛抱強く戦わなければ、こういう建築にはならない。」

「わーっ、すごい大きな固まりですね。」

「大ホールの舞台の外側だよ。」

「古代の神殿みたいですね。」

「舞台の緞帳(どんちょう)をはじめ、幕や大道具をつり上げるスペースが必要だからね。」

「ここは、庇が一番きれいに見えます。」

「屋上に会議室などいろんな形がごちゃごちゃ出てくるのを、この力強い庇で一つにまとめ上げたわけですね。」

「当時の前川事務所の実力者の一人、大高正人が担当したので、この建築は、前川作品のなかでもとくに、強引なくらい、力強さが出ている。」

「担当者の個性って出るものなんですか?」

「基本的には、所長が見ているけど、どうしても担当者の個性もにじみ出てくる。とくに大高のような個性の強い人は作品の上にクセが出てくるみたいだ。」

「ここが楽屋口だ。」

「ぐるっと一周してしまいましたね。」

「やはり、この庇がこの建築の特徴になっていますね。」

「ここがメインエントランス」

「JR上野駅公園口の真っ正面、こんなに便利な劇場はほかにないだろうなあ。」

「なんとなく入ってしまう感じですね。」

「うん。構えずに入っていける感じなんだ。」

「エントランスロビーだ。」

「襟を正さなければ、という感じではないですねえ。」

「うん、おおらかな雰囲気が漂っている。」

東京文化会館エントランス
東京文化会館エントランス

「不思議な配色ですね。」

「金色のベルト!」

「いよいよ音楽ホールに入る。」

「ちょっと緊張感が出てきました。」

「上に見えるシャンデリアがレストラン。上野精養軒が入っている。」

「メインホールを通して、向こう側の公園が見えます。」

「エントランスから区切るために、一旦低く抑えて、大きなメインホールに続けている。」

「ずいぶんオープンな造りですね。」

「メインホール、左が大ホールだ。」

「ここが大ホールのロビーだ。」

「ワーッ、天井が星空みたいですね。」

「大きくて、気品のある空間でしょう。」

「この空間は格調の高いスペースだから、立派な家具を置いて、気品のある空間として使ってほしいなあ。」

「なんだか、気品があるというか、豪華な感じですね。」

「そうだね。天井がずっと奥まで続いているのがいいね。」

「小ホールへ登るスロープです。」

「まだまだどんなお部屋へ行くのか期待感が高まる感じです。」

「あら、廊下の壁も床も天井も真っ赤ですね。」

「大ホールの外側をまわっている廊下ですが、日本の近代建築にはめずらしい色使いですね。」

「ヨーロッパの宮殿にはよくこの色が使われているんです。前川国男は戦前にヨーロッパを体験しているんだけど、近代建築以前にヨーロッパの豊かな文化の環境に感動したんだと思うんだ。」

「戦争でヨーロッパを体験できなかった丹下健三たちと違うところだなあ」

「どこか豊かさを感じるのはそんなところなんですね。」

「わーっ。大きなホールですね。」

「このホールは、響きがいいというので、各国の演奏家たちにも評判がいいそうですよ。」

「壁の不思議な装飾が目につきますね。」

「あれはこのホールの特徴なんだ。音響効果のために、彫刻家の向井良吉にデザインを依頼したんだ。視覚的にうるさい、という人もいるけど、一度来たら忘れられないこのホールの特徴になっています。」

「ここがこの建築の最大の見せ場ですね。」

「わーっ。すごく深い。大きいですね。」

「ずいぶん思い切った空間だね。」

「それに、座席がカラフルです。」

「そうだね。50年前の設計とは思えない斬新なデザインだなあ。」

「どこを見ても自信に満ちて、力がみなぎっています。」

「なんと言っても、これは前川国男の最高傑作だなあ。」

「これが小ホールだ」

「コンクリートの壁とか、ずいぶん地味ですね」

「ピアノの後ろに見える折り紙のような反響板が特徴だ」

「天井が面白いですね」

「下に膨らんだ曲面が興味深いですね」

「コルビュジエのロンシャンの教会の天井みたいですね」

「じゃあ、次に同じ前川国男の東京都美術館の方へ行きましょうか。」

「上野公園には博物館や美術館がいっぱいあるんですね。」

「上野は江戸時代には寛永寺という大きなお寺の敷地だったんです。明治維新で荒れ果てていたところへ、こういう文化施設を作ることになったのです。」

「西洋美術館のほかに東京文化会館、東京国立博物館、東京都美術館、上野の森美術館、それから科学博物館と、東京の文化センターなんだ。」

「それが、どれも一流の建築だというところがすごいのです。」

 

東京都美術館

東京都美術館 設計:前川国男 1975(昭和50)年
東京都美術館 設計:前川国男 1975(昭和50)年

「これも前川国男の設計。東京都美術館だ。」

「こちらは、ずいぶん穏やかな印象だわ。」

「文化会館は前川さん56歳、油の乗り切っていたとき、こちらは70歳、すでに老境にはいっている。その違いが大きいなあ。」

「どこがこの建築の玄関かわからないですね。」

「そうなんだ、自己主張しない、姿を隠したような建築なんだ。」

「あら、地下の広場から入るみたい。」

「大きな展示空間を地下に沈めたんだ。だから、地上にはあまり大きな建築が出てこない。」

「玄関もずいぶん控えめですね。」

「前川国男は、美術館をたくさん造っているけど、どれも環境に配慮して、環境にとけ込むような控えめな設計をしている。」

「ここは団体の公募展が多いんだけど、建築を三つの固まりに分割して、なるべく大げさな表現にならないようにしている。」

「当初は大きな階段だけだったけど、改修してエレベーターとエスカレーターをつけた。」

「大きな階段だけのときがスッキリしてよかったけどなあ。」

「いまは、バリアフリーの時代だから、仕方ないよ。」

「エントランスホールです。」

「天井が低く、落ち着いた雰囲気ですね。」

「丁寧に作ってあるけど、派手さはないですね。」

「左が入り口、右がショップ。」

「展示室前のホールです。」

「あら、天井も特に高くないし、かなり地味ですね。」

「うん。ここも控えめだ。」

「団体展の受付だ。三つ並んでいた建物の一つの地下の入り口になります。」

「団体展は必ずこんなところからはいるなあ。」

「別の入り口、色を変えている。」

「これが三つあるわけですね。」

「ここはさらに地下深く彫り込んだ、彫刻の展示室です。」

「天井が高いから大きな作品も展示できそうですね。」

「文化会館と美術館を見てきました。ちょっとうかがいますけど、前川国男の建築はモダニズムと言っていいんですか?」

「そうだね。コンクリートと鉄とガラスの四角い箱がモダニズムというイメージからは、ずいぶん違う印象だよね。」

「文化会館は打ち放しコンクリートが目立ちましたが、ここはレンガが目立ちます。」

「うん。外壁はレンガではないけど、タイルにコンクリートを打ち込んだ前川流の作り方だけど、レンガ調の落ち着いた表現になっている。」

「近代建築の精神、市民のための、自由と民主主義に立脚した建築という考え方は一貫していると思うけど、初期のモダニズムの造形感覚からはずいぶん遠くにきたという感じがするよね。」

「日本は西洋文化と近代精神を同時に学んだわけだけど、前川さんは、モダニズムというより、近代を支えているヨーロッパの成熟した都市の文化に強い共感をもっているんじゃないかなあ。」

「つまり、近代の表面だけ真似してもしょうがないと思っていたんでしょうか。」

「そうなんだ。市民が支えてきた都市の文化こそが重要だと思っていたんじゃないかなあ。」

 

東京国立博物館 本館

東京国立博物館本館(設計:渡辺仁・昭和12年竣工)
東京国立博物館本館(設計:渡辺仁・昭和12年竣工)

「正面に見えてきたのが、東京国立博物館(東博)本館だ。」

「なんだか、屋根がすごく大きい。近代建築ではないみたいですね。」

「おーっと、そこが大問題なんだ。」

「この建築は昭和5年にコンペが行われたのです。もうその頃は、日本でも近代建築ができ始めて、とくに若い建築家たちは情熱的に近代建築を推進していた時期だったのです。

しかし、同時に日本は軍部を中心として大陸進出を進め、国粋的な機運が国を覆いはじめていたのです。だからコンペの応募要項に「日本趣味を基調とする東洋式にすること」「勾配屋根とすること」という条件がついていたのです。

しかし、ちょうどそこへル・コルビュジエのアトリエで2年間の修業を終えて意気揚々とした前川国男が帰国して、応募要項を完全に無視してコルビュジエばりの案を出したんですよ。それが落選するとその案を雑誌に大々的に発表して、正義は我にありと論陣をはったんです。

落選したのに、建築界は前川さんを英雄のように扱い、入選した渡辺仁さんをまるで悪者のようにあつかったのです。同じころ、渡辺さんは銀座の服部時計店(32年)いまの和光を設計し、有楽町に日劇(33年)、そして、お堀端に第一生命館(38年)と街のモニュメントになるような建築を次々に完成させていく、つまり実業界では渡辺さんの実力は抜群の評価を受けていたのですが、建築家の世界ではこれ以降、渡辺さんは完全に無視されてしまったんです。」

「あー。分かった。さっきの東京文化会館の大きな庇、あれは、この屋根を意識していたんではないですか。」

「おー。よく気がつきましたね。あの庇はこのコンペの敗北に対するリベンジだったんですよ。」

「そうなんだよ、俺たち建築家の仲間では渡辺さんは今でもまるで無視されているね。さらに重要なのが屋根なんだよ。入選した渡辺案の大きな屋根が軍国主義の象徴とされたことなんだ。長い間「帝冠様式」と呼ばれていた。このため、これから建築家は屋根に対してものすごくナーバスになってしまったんだ。」

「そうですね。渡辺仁を無視すること、屋根を拒否すること、この二つはいまだに建築家の常識として少しも変わっていません。前川さんが日本の近代建築に刻んだ傷跡といってもいいかもしれません。」

「しかし、前川さんは大きな屋根をかけた自邸(1942年)がいまでも小金井の江戸東京たてもの園にあるし、亡くなる直前に弘前に設計した葬儀場の建築にも屋根をかけているんだ。前川さんはとっくに自分の過ちを自覚していたんだけど、彼をとりまく勢力がそれを許さなかったともいえるね。」

「銀座の和光とこの東博が同じ建築家でしかも同じころの作品だなんて、不思議ですね。でも両方とも堂々としていて、周りの建築に負けてないですね。モニュメントとして圧倒的な迫力があると思うんですけど。」

「そうだね。今になってみるとなんで渡辺仁があれだけ嫌われたのかわかりにくいけど、戦後、屋根のある帝冠様式が軍国主義屋根のない近代建築が民主主義とされたんだ。渡辺は軍国主義、前川は民主主義と単純に分類し、理解してしまったんだ。」

 

表慶館

表慶館(設計:片山東熊)1909(明治42年)
表慶館(設計:片山東熊)1909(明治42年)

「正面が本館、左が表慶館、右が東洋館です。表慶館はヨーロッパの宮殿風、東博は和風を目指したはずなんだけど、なんだか中国風だね。東洋館は近代だけど和風だね。」

「それぞれスタイルが違うんですね。」

「そうなんです。それぞれの建築ができた時代に目指した考え方がよく反映しているんです。

表慶館は片山東熊という建築家の設計ですが、明治時代に日本人がここまで西洋建築をマスターしたという見本のような建築です。

本館は昭和の初めに国粋主義に傾いた時代の気分が表れています。

東洋館は、戦後の急成長ののち自国の伝統に再度目覚めた時代の意識が反映しています。伝統的といっても、本館の大きな瓦屋根のようにストレートな表現ではなく、鉄筋コンクリートの近代建築でありながら、庇のような形、縁と高欄、さらに窓の障子のような表現が近代建築の中に消化吸収されています。」

 

東洋館

東洋館(設計:谷口吉郎)
東洋館(設計:谷口吉郎)

「たしかにこれは日本を感じますね。」

「しかも、お手本はかなり古い寝殿造りでしょうか?」

「そうなんですか、3つの建築がバラバラに見えるのも理由があるんですね。そうとわかれば、とっても興味深いです。近代日本の歴史そのものですね。」

「では、表慶館の裏にある法隆寺宝物館へ移りましょうか。」

 

法隆寺宝物館

法隆寺宝物館(設計:谷口吉生)1999年
法隆寺宝物館(設計:谷口吉生)1999年

「あらーっ。きれい、これはいったいなんですか。」

「法隆寺宝物館。手前の浅い池。ガラスのスクリーン。大きな庇。シンプルで美しい。」

「法隆寺の貴重な宝物を収蔵・展示する役割をコンクリート製の箱のような部屋に与え、その周りに明るいガラスの箱を配し、全体を鉄の箱で囲った。それをシンプルに表現した。東洋館を設計した谷口吉郎の息子さんの谷口吉生の設計です。」

「東洋館より和風の表現がさらに洗練されていますね。」

「現代の最先端の技術を使って、洗練された日本を表現している。」

「そうなんだ、これが高く評価されて、谷口さんはニューヨークの近代美術館(MOMA)の増改築の設計者に指名されたんだ。」

「和風で、しかも近代建築の美学を完全に使いこなしたうまさがかっこいい。」

「ステキ。私これが一番好きです!」

「うん。キレイだよね。それに気品がある。」

「それでは、いったん博物館を出て、隣接する国際子ども図書館へ行きましょう。」

 

国際子ども図書館

設計:久留正道、リフォーム設計:安藤忠雄+日建設計
設計:久留正道、リフォーム設計:安藤忠雄+日建設計

「あら、ずいぶんクラシックな建築ですね。」

「100年前に建てられた帝国図書館をリフォームしたものなんだ」

「帝国図書館を設計したのは久留正道。明治39年のことだ」

「ずいぶん手の込んだ壁面ですね。」

「そうなんだ。これだけの建築がよく残っていたものだ。」

「上品な感じ、気品というのかしら…」

「そうなんだ、女性的なやさしさが漂っているでしょ。」

「入口はガラスの箱みたいですけど、本体の建築とずいぶん違いますね」

「そうなんだ。本体は100年前の様式建築、そこへ最新の近代建築がいきなりとりついている。じつはこのリフォームは、安藤忠雄と日建設計の共同作業なんだ。」

「えー、なんだか正反対の建築家の組み合わせみたいな気がするんですけど…」

「安藤忠雄はバリバリのアトリエ派、日建設計はバリバリの組織事務所、珍しい組み合わせだね。おれの想像だけど、日建設計が地道に復元作業をしていたところへ、安藤さんがグイッと手を入れたんじゃないかな。」

「ガラスの玄関はどうみても安藤さんの設計ですね。」

「安藤さんはクラシックな建築にガラスの箱を2本貫通させるデザインを提案したんだ。安藤さん以外では絶対に実現できなかったものだね。安藤さんのデザイン力と政治力が見事に結実したんだと思う。」

「様式建築の細部はじつに丁寧に復元されているね。」

「この階段、手すりはちゃんと復元して外側をガラスで保護していますね。丁寧な仕事ですね。」

「こういうのは嬉しいですね。」

「裏側にまわると、外壁の外側にガラスのもう一つの箱が取り付いて、ラウンジになっているんだ。」

「明るくて気持ちがいいわ。右側はもとの外壁なんですね。」

「本来手の届かない外壁の高い部分が目の前にあるのは面白いね。」

「これはなんですか。」

「外壁の窓の上部のアーチと真ん中のキーストンがこんなところに出ているんだね。面白いなあ。」

「静かで、明るい、いい空間になってますね。」

「クラッシックと現代がうまい具合に出会ってますね。」

「安藤忠雄の強引さが、ここでは、成功している。」

「たしかにおもしろい。」

「いままで経験したことのない空間ですね。」

「本のミュージアム。昔の大閲覧室に作られた。安藤さんらしい集成材の丸い部屋が二つできているね。」

「昔の漆喰の天井と今の集成材の対比は面白いですね。」

「ここはガラスの箱が外部に突き出したところだ。普段は遠くからしか見えない外壁の装飾がすぐ目の前に見られる、とっても面白い所なんだ。」

「これは楽しい仕掛けですね。うれしいなあ。あら…この張り出し窓では写真・ビデオの撮影が可能です、ってわざわぜ掲示がありますね。珍しいですね。」

「この建築はほんとに面白い。建築の面白さを存分に味あわせてくれるんですよ。」

「楽しかったなあ。」

「この建築は単なる修復でなく、安藤さんの大胆なデザインで様式建築の魅力が何倍にもなって味わえるようになった、とっても興味深いリフォームの例でした。」

 

二人の建築家

「ところで、今日はいろんな建築家の作品を見てきたけど、建築家はそれぞれ実にドラマチックな人生を送っているんですよ。」

「あーら、なんだか興味深いなあ。えーと、今日の建築家といえば、コルビュジエでしょ、それから前川国男、片山東熊、渡辺仁、谷口吉郎、谷口吉生、安藤忠雄、こんなところかしら。」恵美さんがノートを開いて確認するような口調でいう。

「うん、よく覚えていたね。その中で、面白いことがあるんですよ。コルビュジエと渡辺仁、一見関係がないように見えるでしょう。

 ところが、このふたり、1887年、同じ年に生れているんですよ。つまり、同世代の建築家なんです。

 ところが、渡辺仁が東博につづいて、和光、日劇と様式主義のはなばなしい大きな作品をつくっているころ、コルビュジエは、まだサヴォア邸はつくっていたものの、まだ、アカデミズムを敵にまわして、近代建築の論陣をはっていたところだったんです。

 それが成功し、戦後は近代建築の教祖のような地位を確立するわけです。」

「つまり、渡辺仁は古い世代の中で成功したのに、コルビュジエは、それを敵に回して新しい世代の先頭に立っていたというわけですか?」

「そうなんですよ。渡辺仁は古い世代の総決算をやらされたけど、コルビュジエは新しい世代の旗振り役を果たした。同じ歳でも、歩んだ道は正反対だったわけです。」

「渡辺さんがちょっとかわいそうだわ。」

「だけど、おれたち建築家にしてみれば、渡辺仁から学ぶものはないんだよ。なんていったって、コルビュジエはおれたちにとって大先生に間違いない。」

「二人の評価が大きく分かれたのは、そういうことだったんですよ。そして、前川国男はコルビュジエの弟子として高い支持を集めたということなんです。」

「面白いなあ。とってもよく分かりました。上野だけでこれだけのドラマだあるんですね。とっても勉強になりました。今日はありがとうございました。」

  「上野公園は本当に面白い建築が沢山ありますねえ。この他にも、小倉強の科学博物館、保存建築の奏楽堂などたくさんあるし、上野公園は間違いなく日本の近代建築史の博物館ですね。」

「ここをよく見れば、伝統と近代、東洋と西洋、様式建築とモダニズム、保存と再生など、近代建築の抱えて来たあらゆる問題が見えてきます。」

「きょうはほんとうにありがとうございました。」

 

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。