首都圏にある前川國男の作品で一つ選ぶとすれば、間違いなくこれだろう。
試行錯誤のすえ到達した材料と表現の完成した姿がある。
前川國男が確信をもって使った打ち込みタイルの壁面。
日本の風土に適した材料、表現はこれしかない。どうだ、と言わんばかりである。
大宮公園駅下車、徒歩5分と、非常に交通の便のよい場所にありながら、豊かなみどり濃い環境にある。
ここが守衛所のある正門である。
守衛所は、現在は使われていない。小さいが、れっきとした前川建築。
門から入口まで、非常に長い引きがある。
2色のタイルを編み物のように張ったアプローチ、広場といってもよい広々とした前庭である。
ここで平面図を確認しておこう。
この図の左下の入口から入ったところだ。
途中に縄文時代の竪穴式住居がある。
どんどん進む。
赤いタイルと対照的な緑が美しい。
前川國男が一貫して追求してきたテーマが「広場」だったことを思い出させてくれる。
のびのびと生い茂ったケヤキの木陰が気持ちいい。
やっと入口が見えてきた。この2色のタイルを貼り分けたペーブメントも前川が到達した一つの完成した技術である。
まったくハッタリのないごく自然な佇まい。
玄関ホールを通して、向こう側の庭の緑が見えている。
余分なものは一切ない。しかし、さあいらっしゃい、と来館者を迎えるゆったりとした構えが見事である。
エントランスホールの向こうに公園のみどりが眩しい。
展示室の方を見ると、柱のない広々とした空間が広がっている。
打ち放しコンクリートの薄い梁が並んでいる。これが、心地よい緊張感をたたえている。
戦後の建築は、ひところ(1950年代)、打ち放しコンクリートの競演だった。
これでもか、これでもか、と打ち放しの荒々しい表現を競った。前川も例外ではなく、世田谷区役所などにその例が見られる。
しかし、日本は雨が多く、湿度も高く、コンクリートの壁面は日に日に劣化し、目を覆うような有様となった。
そこで前川は、外壁には打ち込みタイルという技法を開発した。
しかし、打ち放しコンクリートの力強い表現は捨てがたく、ここではエントランスホールの天井に思いっきり大胆に使われている。
屋内なら風化の心配はない。
レストランはホールの右側中2階に造られている。
ホールも庭と同じ床、つまり、広場の一部のような造りになっている。
ホールは奥の庭にも開放的に開いている。
ホールを突き抜けた庭。
ホールと連続している地下の展示室。
地下の展示室も庭に開いている。
板碑が外光の中で見られるのは気持ちがいい。
博物館でこれだけ開放的な展示はあまり見たことがない。
連続した打ち放しコンクリートの天井は圧巻である。
展示と空間が見事に調和している。
前川建築のもっとも成功した例である。
板碑は埼玉県の貴重な郷土の文化遺産である。
階段の複雑なディテールもすべて焼き物で造られている。
打ち放しコンクリートと焼き物が精巧に納まっている。
特殊な形をしたタイルをデザインしたことがわかる。
こういう丁寧なディテールが前川建築の魅力の一つである。
どんなに小さな部分も疎かにしていない。
すみずみまで気持ちの籠った建築だ。
「広場」それは、戦後の建築家が共通して目指した目標であった。
前川にとっても「広場」は一貫して追求されたテーマであった。
その完成した姿がここにある。
この建築の魅力は、舗装された広場と緑の植え込みの曲線が織りなす流れるような連続感、色彩の対比、いつまでも印象に残る風景である。
ここには、ヨーロッパの模倣でもなく、日本の伝統でもなく、まったく新しい前川國男ならではの空間が完成している。新しいスタイル、しかし、いつまでたっても古くならない、よく考えられた広場である。
前川國男といえば、まずコルビュジエの弟子として評価される。
どことどこがコルビュジエの影響だと言われる。
しかし、前川の建築は意外にコルビュジエに似ていない。丹下の方がはるかにコルビュジエの影響を受けている。丹下はコルビュジエの作品集を隅から隅まで暗記していたほどである。
前川の場合は、コルビュジエのアトリエに在籍した2年間、パリの街を歩き回って身にしみた街の感触、成熟した市民生活への憧憬が大きかったのではないか。
前川は、卒業後、いきなりコルビュジエのアトリエに飛び込んだのだから設計の基本をコルビュジエから伝授されたことは間違いない。
しかし、この2年間のパリでの生活をとおして得た体験から、パリの都市空間の魅力を十分味わい、その神髄を体得してきたにちがいない。
つまり、前川にとっては、「近代」よりも「西洋」のほうが重要だったのではないだろうか。
戦前にヨーロッパを体験できた前川と、戦後に始めてヨーロッパを見た丹下の大きな差がそこにある。
前川と丹下の年齢差は7歳だが、青春時代にヨーロッパ体験を出来たか否か、そこに大きな違いがあった。丹下らの世代には前川以前の建築家のように身にしみついたヨーロッパ体験がないのである。
山口文象、谷口吉郎らは、開戦直前のヨーロッパを体験した最後の世代である。谷口は最後の引き上げ船で帰国した。丹下健三、大江宏らは第二次世界大戦に妨げられて青春時代のヨーロッパ体験がない。
前川は口が重い。なかなか本音を語らない。作品をじっくりと味あわないと前川の建築はわからない。
これが完成した年、前川は66歳になっていた。
試行錯誤の末に到達した完成した姿がここにはある。
前川は、これから約15年間、東京都美術館、熊本県立美術館など最後の成熟した作品群を残した。それらは、この埼玉県立博物館からそれほど大きな変化はない。
耐久性のある、息の長い建築。
いまでは、サステイナブルという言葉が走っているが、前川建築から学ぶものは少なくないと思うがどうだろうか。
外壁を覆う打ち込みタイルの大きな壁。
微妙な色合いが誰にも愛される肌合いを作り出している。
これだけ大きな壁面も決して威圧的な感じをあたえない。
微妙な変化に富んだ色の組み合わせ。
張ったのではなく、積み上げた厚みのあるタイルの質感がよく出ている。
微妙な色あいの違いもよくわかる。
コンクリート本体が雨に濡れないように考えられた形。小さな穴はタイルを型枠に仮止めするためにつかわれたもの。
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藤澤 弘喜 (水曜日, 09 5月 2018 09:17)
感動
幼い頃から大宮に住み、小学校の頃から何度となく博物館に行っていたが、改めて見直し前川國男の偉大さが分かった。
地元の建築物を誇りに思う。個人的には東京都美術館よりこちらの方が事前の中に溶け込んでおり、素晴らしいと思う、敷地の条件の差が大きい。
感動の一言。
高木 彬夫 (火曜日, 24 7月 2018 09:48)
良い写真を見せて頂きました。改めて感動します。
この建物が竣工した時の掲載誌(建築文化か)、建物は自生していたマツを極力残す配置にしたこと、打ち込みタイルの色はマツの幹の色を2色に分けて再現したこと・・・が記憶にあります。しかし写真を見ると広場内の樹木はケヤキの様に見えますが、これは後から植えなおしたものですか?
じゆ (水曜日, 26 9月 2018)
コメント失礼いたします。
こちらの平面図のスケールを教えていただいてもよろしいでしょうか。
小川 格 (水曜日, 26 9月 2018 15:44)
これは図面ではなく、建築の諸室の関係、庭との関係などをご理解いただくための絵としてご理解ください。
しかし、たしかにこれではスケールが分かりませんので、近日中にスケールバーを書き加えておきます。
貴重なご指摘ありがとうございました。