ピロティ・ランキング 2

埼玉県農林会館

設計:清家 清 竣工:1962年 埼玉県さいたま市浦和区高砂3丁目12−9

 日本の寺社建築を思わせるような力強いコンクリートのフレームに、ル・コルビュジエのブリーズソレイユ(日除け)を想起させる縦ルーバーと、横長の(非コルビュジエ的な?)開口部が一体となったプレキャストコンクリートのファサード。工業化されたパーツが繰り返される端正な表情が特徴の、モダニズムらしい建築が埼玉県農林会館です。
 南側道路に面する奥行き1スパンがピロティとなっていて、その内の西側半分が駐車場、東側が建物へのエントリーを目的としたオープンスペースです。
 このピロティの特徴は2つの階段ではないでしょうか。1つは2階へ上がる普通の鉄骨階段で、もう1つは地下へ降りる螺旋階段です。螺旋階段を覗き込むとプレキャストの段板を載せただけのシンプルな階段であることがわかります。地下フロアの黒い玉砂利と飛び石のデザインを背景に、重たいはずのプレキャストコンクリートの階段が浮遊しているかのような構成となっています。
 2階へ上る地上の階段は「側桁(ガワゲタ)階段」、地下の螺旋階段は蹴込のない「ささら桁階段」と、階段の構造を変えている理由も頷けます。

 

 階段そのものの楽しさとは別に、床が盛り上がるように立ち上がり、腰の高さでスパッと水平に切られた手すり壁はある種の迫力を持っています。グリッド状の配置を基調としたモダニズムデザインの中でこの手すり壁だけが曲面を持ち、生々しい生命感さえ感じます。
 ピロティの使われ方として特別なものとは言えませんが、この手すり壁による空間への働きかけが他とは圧倒的な違いを生み出しています。

 

 ピロティからは離れますが、この建物の裏側へ回った時の驚きも紹介したいと思います。
 プレキャストコンクリートという工業化製品に囲まれるようにして異様さを誇る、薄いピンクの曲面壁。幾何学的に分節されたモダニズムデザインを嘲笑うかのような未分節の塔。
 モダニズムの裏側にこれらを隠しているからこそ、ピロティの手すり壁が作られていたんですね。(折戸和朔)

 

岡山県庁舎

設計:前川國男 竣工:1957年 岡山県岡山市北区内山下2丁目4番6号

前川國男にとって、戦後、小さな仕事が続く中で、神奈川県立図書館・音楽堂に続く、本格的な大建築である。

この岡山県の本庁舎は、9階建、19,940平方メートルという大建築だった。

しかも、敷地に恵まれ、のびのびとした設計ができた。

大きなファサードは、ガラス窓と金属のパネルで覆われている。

その中央にエントランスを兼ねた3層分の大きなピロティが作られた。

 

正面玄関の前、3階の高さに前庭を取り囲むように空中回廊が作られ、その下が、来館者を入り口へと導く通路になっている。

極めてユニークな装置だが、来館者を玄関に導く庇の役割をしている他、その上部の回廊は何を意図しているのか、残念ながら、その用途はイマイチよくわからない。

今は、回廊の上は閉鎖されていて、歩けないのは、残念。

 

3層分の大きなピロティから前庭、空中回廊を見る。

ピロティの大きなスケールがよくわかる。

ここで働く多くの人々、さらに来館者が必ずここから入って出てゆく、中央の出入口になっている。

ここで人々が出会い、すれ違ってゆく。

前川にとって、これほど大きなピロティはこの後も作っていない。

例のない、見事なピロティだ。

 

エントランス部分からピロティを見る。

ピロティへ近づく感じがよくわかる。

ピロティの性格として「居心地の良いところ」というよりも、

「ゲートの性格」の強いものだと思われる。

 

ピロティから裏の庭を超えて、議会棟が見えている。

ピロティには、ベンチも置かれ、時にここに休息し、会話が弾むこともある。

方角のせいで、裏庭の方が明るい。

庁舎には日陰の方から近づいてゆくことになる。

 

ピロティの向こうに中庭、そして正面に議会棟が見える。

中庭には、芝生の庭を挟んでベンチが置かれている。ここは、街の喧騒から切り離された静かな空間が広がっている。

ピロティの大きな2本の柱が極めて力強く印象的。

 

前川にとって、ピロティのある建築は、

 岡山県庁舎(1957年)に続いて、

 世田谷区役所(1959年)

 京都会館(1960年)

 山梨県美術館(1978年)

 宮城県美術館(1981年)と続く。

こうして見てゆくと、岡山県庁舎が前川ピロティの出発点であること。

岡山の少し荒々しく、力強い、意気込みの大きさがよくわかるような気がする。

そして、さらにその後の世田谷、京都の洗練され、より磨かれた美しさも改めて実感できるのではないだろうか。

これらは、大切に使われている中で、世田谷だけが、取り壊されてしまったのは、なんとも残念なことである。

世田谷区庁舎のピロティの程よいスケール感がいかに貴重なものであったかが改めて実感できる。(小川 格)

 

東京大学生産技術研究所

設計:原広司 竣工:2001年 東京都目黒区駒場

東京大学というと安田講堂のある本郷キャンパスを思い浮かべると思いますが、目黒区の駒場公園を挟んで東に「駒場Ⅰキャンパス」、西に「駒場Ⅱキャンパス」とこちらも紛れもない東京大学です。駒場の両キャンパス共、様式主義の建築から現代建築まで非常に見所が多いのですが、今回の建築は駒場Ⅱキャンパスの生産技術研究所です。

 

 幅50m、長さ220m。これが東京大学生産技術研究所のおおよその平面形ですが、コンクリートの四角い箱と形容しても間違いではないと思います。その前に「きれいな」と付け加えても良いでしょう。

実際、この建物は外観のほとんどがコンクリート打ち放しとガラスなのですが、コンクリートは白くきめの細かい質感で、素材がもたらすブルータルな印象はありません。ガラスの表情にも特徴があって、大面積のカーテンウォールと、壁に穿たれた正方形窓の大きく2種類ありますが、いずれも外壁と面一(つらいち)で納められているため、全体がツルンとした印象を持っています。その「ツルン」が「きれいなコンクリートの四角い箱」と思わせているようです。

 

原広司の建築と言えば、京都駅のアトリウム空間が代名詞だという人がいるでしょう。いや、粟津邸のスペーシーで前衛的なスタイルだという人もいるでしょう。

僕は両方に同意します。その上で、この東京大学生産技術研究所を見れば、京都駅のスペクタクルには及ばないものの、地下を含めた7層吹き抜けのアトリウムが建物のほぼ全長分に渡って光を落としており、また幾何学的な形態が連続するシークエンスからは粟津邸さえ想起されます。

その上で、シンプルで無理のない心地良さを感じます。どこで感じるのか?

ピロティです。

 

リボンのようにまっすぐ伸びた平面に、等間隔で建つ正方形断面のコンクリート柱。時折現れる筋交(すじかい)や壁もコンクリートです。床は濃灰色の尺角タイルですが、巾木に御影石が使われることで空間を引き締めてもいるようです。

広く開放的。それでいて、柱と屋根(天井)を持つ囲われた安心感。研究者たちが食事をし、お茶を飲み、時に議論をする。もちろん疲れた頭をぼうっとさせるためだけにピロティに降りてくることもあるでしょう。

 

決められた用途と機能に照らし合わせた時、建築計画上、ピロティは無駄な空間なのかもしれません。ただし無駄が不要とは限らない。むしろ、この我が国最高学府のピロティは、無駄な空間で無駄な時間を過ごすことからイノベーションが生まれることを期待されているのではないでしょうか。

余白のようなピロティの豊かさに、建築家は何らかの確信を持っていたに違いありません。(折戸和朔)

 

多摩美術大学図書館

設計:伊東豊雄 竣工:2007年 東京都八王子市鑓水

起伏のある緑に囲まれた、自然豊かな環境に、繊細なアーチの連続が現れる。

多摩美術大学のキャンパスに入ると真っ先に目に飛び込んでくる建築だ。

同大学大学院の教授だった伊東豊雄による設計。

同校のキャンパスを長年手がけてきた鹿島建設の力のこもった力作だ。

 

キャンパスのメインストリートに沿った壁面は大小のアーチが交互に連続し、全体が緩やかな曲面となっている。

シンプルにアーチ連続のみとなっている壁面にはその他の要素が全くない。

 

壁面をよく見ると、打ち放しコンクリートとガラス窓が同一の曲面で、ピッタリと連続しているのがわかる。

極めて高度で繊細な工事が要求されたに違いない。

 

建築の中に一歩踏み込むと壁面のアーチが内部にも連続し、大きなピロティの空間になっていた。

まるでハイヒールのように細い先端が接地しているだけだった。

そこには、近代建築の基本となる柱も梁もなかった。

梁と柱の機能をアーチ状の壁だけが担っていた。

 

ここに全く新しいピロティが出現したのだ。

ル・コルビュジエの提唱したピロティからかなり大きく飛躍したものだ。

 

ピロティが支えていたのは図書館だった。

多摩美が誇る芸術関係の豊かな蔵書、雑誌、カタログなどを収めた図書館だ。

ここも1階と同じ鉄筋コンクリートのアーチが連続する空間になっていた。

 

タマビ(多摩美)はムサビ(武蔵美)と常に比較される私立の美術大学の雄だが、ピロティの歴史においても独創的な建築を競うライバルだった。

 (小川 格)

 

 

江戸東京博物館

設計:菊竹清訓 竣工:1992 東京都墨田区横網

JR両国駅のホームに立つと、真っ白な大きな建築が目に飛び込んでくる。

 

駅を降りると、まるで、大相撲の国技館と張り合うように、江戸東京博物館の巨大な建築が見えてくる。

 

国技館の横を案内に従って歩くと、すぐに巨大な建築とそこへ向かう大きな階段が現れる。

しかし、現在、階段は閉ざされ、その左に新しい入り口が作られている。

赤いゲートは、最近オープンした新しい改修で現れたデザインだ。

 

玄関へのアプローチ、最新の改修でできたデザインだ。

 

建築は、巨大な4本のピロティに支えられて、空高く浮いている。

 

菊竹清訓は、4本の板状のピロティに支えられた自邸「スカイハウス」で華々しくデビューした建築家だが、その後も「東光園」など空中高く聳える作品を数多く発表しているので、このデザインは、菊竹が確信を持って設計したものに違いない。

 

北側から見てみると、「広場」に見えたのは、3階の屋上だった。

そうなると、「広場」は地面ではないので、ピロティという言葉は相応しくないかもしれない。

 

見学に来た中学生たちが庇の下に集まっているのだが、建築の巨大さに飲み込まれて、目に入らないほど小さい。

これをピロティと呼んでいいのかわからないが、作品集の解説で菊竹自身がピロティと書いているので、本人はそのつもりのようだ。

 

しかし、この巨大な庇は、人を優しく包み込むとか、居場所を提供する、というより、人を飲み込んでしまう怪物のような凶暴な印象しかないのだが。

 

ここは、隅田川がすぐ近くを流れているため、災害時の避難のための広場を作ったと言われている。

博物館を、上部と下部に分離し、その間に大きな「広場」を作ったわけだ。

上部には、常設展示室、収蔵庫、図書館。

下部には、企画展示室、ホール、ミュージアムショップ、レストラン。

中間のピロティ部分は、「江戸東京ひろば」と名付けられた。

幅:75m、長さ:250m

建築の高さ:62m、かつてあった江戸城天守閣の高さだという。

 

人の大きさとピロティの天井の高さを比較して欲しい。

必要があって作った高さだろうか。

必要性を無視したあまりにも大きな空間のように見えるのだが。

風が吹き、雨が吹き込んだ時を考えるとただただ恐ろしい。

 

上空の展示室へ向かう緑色のエレベーターと真っ赤なエスカレーター。

菊竹は親しいデザイナー田中一光に色を決めてもらったという。

他の壁面が真っ白なので、この色が極端に目に飛び込んでくる。

 

エスカレーターの入り口は何故か丸いドームのような形。

 

6階の常設展示、日本橋と服部時計店

 

6階常設展示の目玉、銀座4丁目の服部時計店

 

7階は図書室。かつてあったレストランは無くなってしまったので、この建築の巨大な高さを生かした展望のきく部屋は何もない。つまり、この建築は無駄に大きい。東京都の潤沢な予算を無駄に消費しているような建築に見えてきた。

 

 

さて、

問題は、4階の巨大なピロティだ。なんのためにあんなに巨大なピロティがつくられたのか。そして、ピロティは成功しているのか?

 

日建設計の副社長まで務めた建築家 林昌二は、このピロティについて、辛辣な批評を残している。

「あんな設計をしたらピロティを風が吹き抜けてたいへんだというのもわかっているはずだし、菊竹さんが設計した「東光園」というホテルはなかなかよくできていますし、上野に評判の悪い建物がありますが、私はあれも面白いんじゃないかという気がしているんですよ。ただ、江戸東京博は弁解の余地がない。

菊竹さんは天才的なところのある方ですから、たぶん発想のある段階まではいいんですね。だけど、それをリアライズするところで、クライアントと所員がしっかりしてないといけないんです。このピロティはダメですよ、風で人間が吹っとんじゃいますよ、とわかっているのにいわないのはよくないですよ。クライアントと所員の怠慢がああいうものを作らせたんですよ。」『建築家林昌二毒本』(林昌二)

 

「パレスサイドビル」、「掛川市庁舎」など傑作を世に送り出した林昌二の言葉なので、傾聴に値する。特に「クライアントと所員の怠慢がああいうものを作らせた」という言葉は自身の体験に基づいた、批評というより怒りのこもった説得力のある言葉だ。

(小川 格)

 

これは、旧館林市庁舎。

菊竹清訓の設計。1963年の竣工だ。

4本の柱に挟まれるようにして十文字形のオフィスが宙に浮かんでいる。

すごくカッコいいデザインだ。

この建築、どこか江戸東京博物館に似ていないだろうか。

江戸東京博物館はこの建築の30年後にできたものだが、4本の柱で部屋を空中に浮かべるという基本的な考え方が、共通しているのではないか。

 

館林市庁舎では、限られた予算の中で、ギリギリ努力して成し遂げたことを、ここでは、東京都の有り余る予算によって、必要以上に巨大化した結果、出来上がったのがこの姿だったのではないだろうか。

残念ながら、菊竹建築の無惨な失敗例というべきだろうか。

 

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。