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名護市庁舎 設計:Team Zoo(象設計集団+アトリエ・モビル) 1981年(昭和56年)
名護市庁舎 設計:Team Zoo(象設計集団+アトリエ・モビル) 1981年(昭和56年)

強い日射をさえぎりながら、海からの風を受け入れる。

沖縄で多用されているブロックを積んだ柱、花ブロックの日除け。

この特異なファサードは、沖縄の風土と技術を研究し尽くした末に、生み出されたデザインだった。

名護市庁舎は、築後約40年たつが、なんとか立派に使われていた。

1970年、1町4村の合併を機会に、人口5万人の名護市が発足した。この時から市庁舎建設の歩みが始まった。しかし、実際に動き出したのは1976年、市民各層の代表者19名からなる「名護市庁舎建設委員会」が設置されてからだ。

 

委員会は議論を重ね、泡盛を飲み交わし、議論は夜遅くまで続けられた。

なかには、「永遠に市庁舎をつくらなくていいじゃないか。こうした議論の過程こそ市庁舎なのだ」といった意見まで出たという。「これが市庁舎じゃないか。ものに結びつかなくてもいいんだ」とまで言われたという。

そんな熱のこもった議論が1年以上続いた。

たび重なる議論の末に、市庁舎の設計案は広く全国に公募して求めるべきだという結論に達した。

その結果、1978年より公開設計競技が実施された。

 

要項の発表が8月15日。

登録締め切りが9月30日、応募登録:795名。

作品提出の締め切りが11月30日。きっちり2ヶ月間の戦いだった。

全国から308案の応募があった。

 

第一次審査は12月19日〜22日、ここで5案が選ばれた。

第二次要項の発表が12月25日、提出締め切りが3月8日、こんども約2ヶ月間。

 

第二次審査が、3月9日〜10日

ここで、最終的にTeam Zoo(象設計集団+アトリエ・モビル)の案が選ばれた。

 

 審査委員

清家 清(建築家・東京芸術大学教授)(審査委員長)

槙 文彦(建築家・槇総合計画事務所)

野原康輝(建築家・前沖縄県住宅供給公社理事)

日高清善(名護市庁舎等建設委員会委員長)

渡具知裕徳(名護市長)

 ……公募の段取りも、審査委員の構成も申し分ない。

白いブロックと桃色のブロックが交互に積まれて、このパターンが建築の全体を覆って極めて特異な表情を見せている。

柱のブロックはコの字型のブロックを組み合わせ、中に鉄筋コンクリートを打ち込んだものだ。

この飛び出した部分は長いスロープであるが、この建設時にはエレベーターも空調もなかったのでスロープは不可欠の要素だった。

沖縄では、戦後、駐留米軍が持ち込んだコンクリートブロックの技術を参考に、台風にも強く、シロアリにも負けない、しかも材料の砂が近くで簡単に入手できるなどの利点から、ブロックが急速に普及した。沖縄の街を歩くと至る所にブロックの家が埋め尽くしている。

このコンクリートブロックを全面的に取り入れたことが、この建築の大きな特徴になっている。

柱についている持ち送りには、それぞれにシーサーが乗っていた。糸満の職人から始まって、沖縄各地のすべて異なる職人に別々のシーサーを依頼したものだ。

その数56個、名護市の集落の数が55、そこに名護市庁舎を足して56個とした。

そのシーサーはながらくこの市庁舎のファサードを飾っていた。

ところが、2019年3月すべてのシーサーが撤去された。台風や塩害のため落下する事故が相次ぎ、ついにすべて撤去することになったそうである。残念!(写真は「沖縄REPEAT」より)

公共建築の設計者はコンペによって決めるべきだ、と建築家は熱望してきた。しかし、現実には、大きなお金が動く建築のため、一部の特権的な建築家、政治家の介入、ダンピングなど、不明朗な方法で決められることが多い。ヨーロッパでは当然のコンペが日本ではほとんど行われない。

一見、公平なコンペに見せかけて、じつは設計者は裏で決められていたという「疑似コンペ」が横行しているのだ。

そんな状況のなかで、名護市庁舎のコンペは日本の建築の歴史の中でももっとも理想的なコンペだったと高く評価されている。

コンペにあたって名護市がかかげた趣意書がすばらしい。

 1. 目的と意義

本競技の目的は、次のとおりである。すなわち、沖縄の地域特性を体現し、かつ要求される諸機能を果たすことが出来るとともに、市のシンボルとして長く市民に愛される市庁舎を建設するための基礎となる案、および敷地全体計画のすぐれた構想案を求めることにある。

また、本競技を公開にすることの意義は、「沖縄における建築とは何か。」、「市庁舎はどうあるべきか。」という問いかけに対して、それを形姿として表現し、実体化しうる建築家とその案を広く求めることにある。従って、すでに十分な実績を残している建築家はもとより、これから頭角を現すであろう気鋭の建築家で、地域の建築について志を同じくする方々の積極的な提案を期待するものである。

 ……なんと格調の高い呼びかけだろうか。まず地域主義を掲げている。モダニズムの国際普遍主義を真っ向から否定したのである。さらに、過去の経験を問わずあらゆる建築家の提案を求めたのである。画期的な呼びかけである。

 ……長くなるが、もう少し引用を続ける。

 2. 沖縄の地域特性と市庁舎建築

沖縄は亜熱帯に属し、多くの島々と周辺海域によって成り立ち、日本でも特異な自然環境に置かれている地域である。

古来、人々はこの自然を生き、人と自然、人と人との長い関わりの中から独特の風土が形成され、地域の個性的な感性と建築様式が生まれてきた。

しかし、現在の沖縄の建築は、このような歴史過程の結果として存在しているだろうか。建築の型、合理性、美しさは受け継がれているのだろうか。

(中略)

市庁舎の建設にあたって、風土が問題にされる背景には、地域が自らの文化を見すえ、それを中央文化との関係のなかで明確に位置づけてこなかったという問題があろう。

地域が中央に対決する視点を欠き、行政が国の末端機構としてのみ機能するような状況にあっては、地域はその自立と自治を喪失し文化もまた中央との格差のみで価値判断がなされることになるだろう。

しかし、地域に生きる市民は、すでにこのようなあり方に訣別を告げるべきだと考えている。従って、主催者の期待している新しい市庁舎は、地域の人々が自らを確認し、かつ自らを主張していくための活動の拠点となり、地域の自立と自治を支える拠点としての庁舎である。

主催者は、今回の競技において、沖縄の風土を確実に捉え返し地域の自治を建築のなかに表現し、外にむかって「沖縄」を表明しうる建築をなしうる建築家とその案を求めるものである。(名護市庁舎企画設計競技応募要項』競技の趣旨より)

 ……沖縄の自然と風土に立脚し、地域の自治を表現した建築を求めるというのである。実に志の高い呼びかけである。

名護市の建設委員会の人々の高揚した気分がよく伝わってくる名文である。

一方建築家のほうは、1960年代は大型のコンペが多かったのに、1970年代に入るとぱったりとなくなり、この10年間ほとんどまともなコンペが行われず、欲求不満が溜まっていたため、308件という、一地方自治体のコンペにしては驚異的な応募者があった。

また、選ばれた案が極めて異色のデザインだったため、大きな注目を集めることになった。

スロープを登ると、眼前に名護の海が大きく広がる。

名護市庁舎1階平面図
名護市庁舎1階平面図

建物の北側は、広場を囲むようにギザギザ、南側は一直線。

建物自身は、太い通路を挟んで東と西に分かれている。そこに長いスロープが割り込んでいる。通路の中央にメインの玄関がある。

興味深いのは、柱が全て細い4本の組柱になっており、それが規則的に配置されていることである。ただし、事務室の真ん中だけは、柱が省略されている。

また、南側は街道に面して一直線のファサードを立てているのに対し、北側の住民が近づく広場の方は、ジグザグの「アサギテラス」になっており、日除けのスペースがしっかりと作られていることである。

名護市庁舎の航空写真(Google Earthより)
名護市庁舎の航空写真(Google Earthより)

上空から見ると、南面と北面の表情の違いと、その特徴はさらに分かりやすい。

画面上部すなわち北側は大きな広場になっている。人々はこちらから市庁舎に近づき、市庁舎に入ってゆく。

南面中央右手の大きな屋根が議場の屋根である。

北側の傾斜した屋根は「アサギテラス」と名付けられた日除けである。ここにはブーゲンビリアが生い茂って、濃い日陰を作っている。

コンペを勝ち抜いたTeam Zoo(象設計集団)とは何者か。

一口にいえば、建築家 吉阪隆正(1917〜1980)の教え子・弟子を中心に結成された集団である。

吉阪隆正はル・コルビュジエの弟子として有名だが、その実像はややナゾに包まれている。早稲田大学の教授であったが、多くの時間を世界の登山、探検に費やした。自宅にプレファブ小屋を建て、学生たちを集め、設計集団ができあがっていった。それをU研究室となづけた。

師と弟子の間柄も変わっている。師はあまりにも多忙であったため、ほとんど会うこともできない。ゆっくり教えを受けたという弟子はいない。しかし、この常に走っているような師は、その存在自体が大きな影響力を発揮していたらしい。

その中からアテネフランセ(お茶の水)、大学セミナーハウス(八王子)などが生まれた。

 

そして、その中心メンバーが「象設計集団」として独立する。

大竹l康市、樋口裕康、富田玲子、内田文雄らである。

彼らの最も大きな特徴は徹底した集団主義である。

市庁舎へ来た市民はこういう所から近づいてゆく。

強い日差しの中から、アサギテラスの深い日陰が待っている。

なかなか趣があるではないか。

まるで古代の遺跡のようだ。

いろんな近づき方がある。

40年の歳月の間に、亜熱帯の樹木が生い茂り、建築がすっかり風景に溶け込んでいる。

1階のアサギテラスには赤いタイルが張り巡らされて、他の部分とはっきりと区別されている。

この赤い煉瓦タイルを探して、山原(やんばる)の大宜味(おおぎみ)に工房を構える田場白丈という職人にであう。ザラっとしたブロックに対して、ここだけ固い赤が強い場を主張している。

「アサギテラス」が強い日差しをさえぎって、広場と建築の間の緩衝地帯をつくっていることがよくわかる。植物が建築を包み込んですっかり同化している。

強い日差しを遮るコンクリートの庇と、まるで生き物のように絡まる野性的なブーゲンビリアの影がよくわかる。

象設計集団は実はこのコンペの10年ほど前から沖縄の建築や都市、地域の計画に関わりをもっていた。沖縄での第一作は沖縄こども博物館だという。次の作品は今帰仁(なきじん)の公民館である。さらに、まちづくりなど地域計画に関わり、その間、沖縄の人々と関わり、各分野の人々と共同の作業を続けていた。こうして得た経験がこのコンペで開花した。

これは雨をふせぐ庇になっている。

色ガラスのブロックが埋め込まれている。

穴のあいた庇。その向こうの庇の下、左に玄関。

これが中央玄関。「NAGO CITY HALL」と英語表記が見える。

玄関の柱に取り付けられた「名護市役所」の文字。上部の柱から飛び出したコンクリートの腕にライト。

玄関上のバルコニー

ここで市長が演説するとは思えないので、玄関上の象徴的なバルコニーであろう。

名護市のマーク。カタカナの「ナ」の字を飛び立つ鳩にしたもの。

特に大げさではなく、しかし、豊かな庇があるので、雨天など便利にちがいない。

玄関を入ったところのロビー。カウンターがジグザグに出迎えてくれる。事務室の中の柱は省略されているので、広々とした空間になっている。

天井から下がっているのが「風のミチ」。この時代、まだ市民の中でも空調は半分くらいしか設置されていなかったので、ここでは空調なしで、夏も快適に仕事のできる建築が求められた。

これはこのコンペの最大の難関だったと言われている。そこで象設計集団は、天井の下に、海からの風を取り込む「風のミチ」を作り、そこから吹き出す風で、室を冷やす工夫が全館に施された。

「風のミチ」は2メートル四方のコンクリートの筒が建物を南から北まで突き抜けるもので、その側面に50センチメートル角の穴があいているもの。

写真上部にずらーと並んでいるのが見える。

築後、しばらくして、沖縄でも空調機が普及し、市庁舎にも空調機が取り付けられたので、風のミチは今では使われていない。

沖縄中を廻って色を集めたという。ブロックの赤と白の他に、室内にはいろんな色が使われている。

西の別棟へ渡るブリッジには穏やかな黄色。

ブロックは徹底的に使われている。

この照明器具も室内で徹底的に使われている。

階段室の色ガラスのブロックが美しい。

ランダムに配置された色ガラスによって、まるでステンドグラスのようだ。

ステンドグラス。一番汚れやすい場所だが、非常に美しく維持されている。

階段室

廊下的な部分。あくまで室内の一部のように開放的なつくりだ。4本セットになった柱の中を通っているわけだ。

議会控え室、アサギテラスに向かって開いた窓が明るい。

ガラスが小さなステンドグラス

これも独特の美しさだ。そして美しく維持されている。

2階のアサギテラスへ出た。アサギテラスがずーと連続している。

向こうのアサギテラスを見る

アサギテラスに植物がからむ

すっかり緑になじんだテラス

職員が自由に植物を楽しんでいるのだろうか。それぞれのアサギテラスが違う表情をもっている。

1階まわりがとくに植物となじんでいる。深い日除けをつくり、建物全体を強い日差しから守っている。

コンクリートのみだが、日差しを遮り、風が通り抜ける。

強い日陰ができている。

この日陰が貴重だ。

ブーゲンビリアがもっとからむ予定だったのだろうか。

あくまでもコンクリートブロックが使われている。

緑の広場とよくなじんでいるように見える。

テラスで大きく育った樹木

風景の一部に溶け込んでいる。

この時は3月なので、夏にはもっと茂り、花もいっぱいになるのだろうか。

うっそうと茂っているところも。

庇の表情

手作り感満載のドアノブ

柱から突き出した街灯のコンクリート

石を埋め込んだ道

このコンペは、象設計集団の勝利、そして見事に設計どうりの建築が完成し、40年の歳月を経て見事に風景に溶け込み、使いこなされていた。

国際主義から地域主義への転換をこれほど見事に表現した建築はない。主催者の期待通りの建築だったといえよう。

 

象設計集団が、コンペの10年まえから沖縄と関わり、沖縄への知見を深めていたことがこの成功の大きな土台だったに違いない。

 

面白いことに、戦後最初のコンペ、広島平和記念資料館のコンペでもよく似た事情で丹下健三が勝利している。

丹下健三は、爆心地にあった高等学校に通っていた。そこを毎日の通学、仲間たちと過ごした青春の記憶がぎっしり詰まった場所だったのだ。

だから、終戦直後に丹下は広島再建の調査のため、真っ先に爆心地へ入り、調査を続けていたのだった。

コンペが発表された時点で、広島を知り尽くしていた丹下は圧倒的に有利な立場にいた。なんと名護の象とよく似た状況ではないか。

 

広島は、戦後の日本近代建築の始まりを高らかに宣言し、世界に日本の近代建築をアピールする絶好のチャンスとなった。戦後の近代建築はここからスタートした。

反対に、名護市庁舎は、モダニズムに終止符をうち、地域主義の建築を宣言する画期的な建築であった。この二つの建築は対照的に逆方向のヴェクトルをもった日本近代建築の記念すべき建築なのである。

 

 参考図書

『象設計集団ーAtelier ZO(現代の建築家)』鹿島出版会 1987年

『これが建築なのだー大竹康市番外地講座』TOTO出版 1995年

 

 参考作品

アテネフランセ

大学セミナーハウス

広島平和記念資料館

 

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。

 

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