広島平和記念資料館を見る

平和大橋〈つくる〉 設計:イサム・ノグチ 1952
平和大橋〈つくる〉 設計:イサム・ノグチ 1952

ついに来ました。広島平和記念公園。入口のイサム・ノグチの橋は健在だった。これこそ復興広島のシンボルだ。

しかし、シンボルにしては、なさけない姿をさらしているなあ。ミス・ヒロシマが寝起きに化粧を忘れてぼんやり立っているみたいだ。せめて真っ白にお化粧してほしい。まずはじめに広島市長さんにお願いしたい。

平和記念資料館 設計:丹下健三 1955
平和記念資料館 設計:丹下健三 1955

ピースセンター、今は広島平和記念資料館が凛々しい姿を現した。

丹下健三の傑作。さすがにあたりを支配する毅然とした風格がただよう。

見事に白く輝く姿は、単なる資料館ではなく、平和記念公園のゲートとして、見事に役割を果たしている。

丹下健三はこれにより、世界の注目をあつめた。世界はこれによって日本の復興に目をみはり、丹下健三の力を高く評価したのだ。

力強いピロティに対して、一層だけの軽やかな上階。日本建築なら屋根が欲しいところだが、突然切れたようなちょっと物足りない屋根。これが丹下が追求したモダニズムの極地である。

ピロティの間から慰霊碑と原爆ドームが見える。ピロティが異常に大きいことがわかる。原爆投下後の荒野で数万人が集まる追悼式を想像して、この巨大なゲートをイメージした丹下の構想力はさすがにすごい。

しかし、よくメンテナンスされ、美しいのだが…、なんだかかすかに違和感があるのはなぜだろう。

昔の作品集をとりだしてみると、縦のルーバーの間に横のルーバーがあった。それがすっかりなくなっているではないか。しかも、吹き抜けの天井の梁が露出していたのが、覆い隠されている。それでイメージが変わったのだ。

どうやら何度かの改修のさいに、ガラスを紫外線カットのものにしたと説明されているので、横のルーバーは不要になったと考えられたのだろうか。

しかし、丹下は日射を遮るという機能だけのために横ルーバーをつけたわけではないと思うのだが。

ピロティから望む慰霊碑と原爆ドーム。

平和記念公園の設計が公募されたとき、丹下健三だけが、原爆ドームを意識して、公園の中心軸の先端に原爆ドームをすえて計画した。

なにしろ原爆ドームは、計画の予定範囲のそと、川を挟んだ向こうにあるのだから、他の設計者は気がつかなかった。

原爆ドームに注目したヒラメキこそ丹下の天才たるゆえんだったのである。

丹下健三は、広島高校で学んだ。丹下は高校時代、広島第一の繁華街であったこのあたりに足しげく通い、映画を見たり、商店街を散歩したり、カフェーに立ち寄ったりして、文学や哲学を語り合った思い出の地だったのである。

丹下にとって、これは、それだけに思い入れの強い計画だった。

計画当時、原爆ドームは残すべきか撤去すべきか議論がわかれていた。丹下は原爆の悲惨さを後世に伝えるため、残すべきだと考えてこれを中心に計画し、その結果保存が実現し、ついには世界遺産にまでなった。

3.11の東日本大震災で、気仙沼に打ち上げられた巨大な船をモニュメントとして残そうと市長は努力した。しかし、地元の反対により、3年後には結局撤去してしまった。建築界からも丹下のような大きな提案が出る事はなかった。

資料館のピロティを額縁にしたこのアングルは素晴らしいのだが、原爆ドームの後ろの黒い建物がいかにも目障りだ。

広島市を代表する、いや人類にとって記念すべき記念建造物を汚す、こんなものは建てさせてはならない。

こんなものを造ったら、世界遺産指定を取り消されてもおかしくない。

巨大なピロティだ。

6メートル50センチという階高。丹下は人間の尺度を超えた群衆の尺度を採用したと語っている。2万人の市民を迎えるゲートとしてこの大きさが必要だと力説したのである。

事実原爆投下10周年にして行われた記念式典には5万人の人が集い、丹下の計画の素晴らしさが実証された。

丹下はこのピロティの設計にあたって、ル・コルビュジエのマルセイユのユニテダビタシオンを参照した。丹下はユニテを見たとき、社会的人間の尺度だと感じ、ピロティの下に立って感動した、と率直に語っている。

ここには、かなり直截にユニテのピロティが反映している。ただし、ユニテは巨大なアパートを乗せているのに対し、ここはただ一層の展示室を乗せているにすぎない。ここでは、大きな重量を支えるためではなく、ゲートとしての象徴性を表現するためにこの力強いピロティが採用されているのだ。

ピロティの形状はさまざまだ。丹下はあとにも先にもこんな形を使ったことはない。明らかにコルビュジエの影響だ。

東側の本館はピロティがガラスで塞がれていた。

本館が資料館への入り口になっている。本館の展示は主として、戦前の広島の歴史、戦争へ傾斜してゆく近代日本の縮図のようなこの都市の歴史が丁寧に解説されている。よくできた展示だと思う。

宇品凱旋館 1939(昭和14年)
宇品凱旋館 1939(昭和14年)

展示の中で目を引いたのは、この凱旋館または兵隊宿と称する建築であった。鷲が羽を広げたようないかにも戦中の戦意高揚を形にしたようなデザインである。

広島の港、宇品港から出航してゆく兵隊たちの歓送迎のためにつくられた施設だ。全国からの寄付で建てられたという。しかし、この建築は1970年に取り壊されたそうだ。これもきわめて立派な歴史的な記念建造物だったと思うのだが、残念。

原爆投下後の広島。原爆ドームを中心にした風景だ。たった一発の爆弾がかくも凄まじい破壊行為をなしとげたのだ。展示されていた巨大なパノラマ写真の一部を撮らせていただいた。

平和記念公園模型
平和記念公園模型

平和記念公園の模型なのだが、肝心の原爆ドームが入っていない。原爆ドームがあってはじめて成り立つ計画なのに。これでは、鳥居のない厳島神社の模型と同じだ。

そういえば、丹下健三は、この計画を作るにあたって、厳島神社をイメージしていたにちがいない。この資料館と厳島神社は広島を訪れる世界の観光客が必ず立ち寄る場所である。

ここで、広島市長さんに三つ目のお願いをしたい。この模型をもう少しのばして、原爆ドームを入れてください。

世界中の人が見に来るのです。広島市長は巨匠丹下健三の思想を理解していないと思われますよ。こんな中途半端な模型を世界の人々の目にさらすのは恥ずかしいことです。

二階展示室の廊下。横ルーバーのないつるんとした窓。

廊下からみた慰霊碑と原爆ドーム。やはりうしろの建物が目障りだ。

慰霊碑だ。当初はコンクリート製であったが、今は石造に変わっている。

原爆の子の像 設計:川口衞 1958
原爆の子の像 設計:川口衞 1958

「原爆の子の像」2歳で被爆し、9年後白血病で死亡した少女のもとに全国から千羽鶴が送られてくる。彫刻家菊池一雄のブロンズ像のためにつくられた記念碑。薄いプレキャストコンクリートのシェル構造。構造家の川口衞氏の設計。

足下にいたるまでよく考えぬかれた構造のため、50年たってもびくともしていない。川口衞は構造家であるが、デザインまでやってしまうこともある。見事な作品だ。

 

広島平和記念公園の建築を見てきた。丹下健三の計画した全体計画と諸建築がよく活かされ、見事な展示がなされている。そのため、世界の平和運動の中心として、立派な役割を果たしている。

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コメント: 3
  • #1

    kei (水曜日, 02 4月 2014 10:24)

    広島市長さんへ、この文章を郵送してください。こういう目で建築家の思いを伝える人はいないんです。私もこれを読んでなるほどと思いました。原爆ドームの横の黒い建物をただちにこわせないといけません。どうしてこういうことを正しく伝えてくれる人がいないのだろう。できちゃってから市民は気づく。署名運動でもなんでもして、正しいことが伝わるといいな。

  • #2

    さかな (木曜日, 02 2月 2017 15:21)

    2013年の「旧市民球場跡地委員会」の議論でも商工会議所等の民間施設の移転について議論がされていたようですね。市のHPによると、「所有者の意向を確認しつつ、移転に向けて協議を行う方針」であるとか。
    他市・他県民に比べて、過去と未来、ハードとソフトを貫く骨格が都市計画に表れているように感じられました。貴重なことだと思います。

  • #3

    節子 (日曜日, 12 3月 2017 15:40)

    このサイトを読む前に私も同じ位置から原爆ドームを見てきました。
    確かに横の黒っぽい建物が邪魔と感じました。
    まとまりが無くなってるというのか、美しくなくて。
    丹下さんのデザインは素晴らしいです。
    ただ、改装の際にデザインが少々変わってしまったのは残念ですね。
    元に戻して丹下さんの遺志を継いでいってほしいです。

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