2016年

10月

10日

大学セミナーハウスの壮大な実験

大学セミナーハウス 設計:吉阪隆正 1963〜76
大学セミナーハウス 設計:吉阪隆正 1963〜76

JR八王子駅南口からバスで20分ほど、「野猿峠」で下車して5分ほど歩くと「大学セミナーハウス」本館の異様な姿が目に飛び込んでくる。

バス停の名称「野猿峠」の名にふさわしい山の中だ。

そこは、かなり起伏のある敷地の一段と高い場所のようだ。

坂道を登ってゆくと、逆光のためシルエットになった大きな影の中から突然、目玉が現れ、睨まれる。

目玉のある建築なんて、まるでネパールの寺みたいだ。

うーん。地面に突き刺さる逆三角形。ものすごい迫力だ。

建築の壁面は垂直にたっているのが常識なのに、ここには、垂直なんてどこにもない。

玄関の庇もピラミッド型だ。

鉄筋コンクリートそのものの迫力。

地面に突き刺さった逆ピラミッド。

世界中に唯一無二の奇怪な建築だ。

ここには、ピロティはもちろん、柱も梁もない。横長連続窓も、屋上庭園もない。モダニズムの定石は完全にぶっとんでしまった。

あるのは、巨大な壁。しかも傾斜した荒々しい壁。いったいどうやってこの建築と対峙すればいいんだろう。

一度見たら、決して忘れることはないだろう。

それほど強い存在感を発揮しながら、なぜか、モニュメントという言葉はふさわしくない。つまり、この建築はいかなる団体や個人の権威をも表現しようとはしていないからだ。

木製の型枠の荒々しい痕跡が壁面に力強い表情を与えている。

不思議な形の窓。そこから始まった稲妻のような目地のラインが壁面を走る。

構造が表現に反映すべきという近代建築の倫理感など、完全に無視されている。

庇を切り裂く富士山のような裂け目。

中に入るとともかく階段が上へ上へと導いてゆく。

3階のラウンジ

不思議な明かりとり。

人の形だろうか?

階段の周りは斜めの線ばかり。

食堂へ向かう階段もくねくねと曲がっている。

この上が食堂だ。

最上階、食堂だ。わずかに膨らんだ天井。傾斜した壁面と下向きの窓。

ブリッジ。手摺子のラインも斜めに湾曲していた。

ブリッジは本館のかなり高い部分に接続していた。

すぐ目の前の山の中に「講堂」と「図書館」があった。

二つの建物は湾曲したシェルの屋根が掛かっていた。

覆い被さる庇のラインが柔らかい。

二つのシェルの湾曲した庇がきわどく近接している。

「講堂」の入口。両脇の樹木のマークも面白い。

二つの建物は付かず、離れず。

鉄筋を曲げて作った独創的な手摺。

図書館壁面のシンボルマーク。

鉄筋コンクリートの壁面に鮮やかな装飾。

図書館裏手に張り出したスラブと手摺。

「教師館」

「教師館」にも樹のシンボルマークが。

手摺の曲線が楽しそうに踊っているようだ。

土地の高低差を生かして変化のある風景を作っている。

まるでキノコのように、自然の地形に素直に従っている。

打ち込んだ杭にコンクリートのスラブを貼り、その上に木造の造作を作ったようだ。

ここには、ピラミッド。

ピラミッドの中では、音楽の練習に使われていた。

ピラミッドは樹木の中に埋もれるように建っている。

日本の近代建築の中で、飛び抜けて異質な建築だ。

吉阪隆正はル・コルビュジエ直系の愛弟子である。

たしかに、吉阪隆正が帰国直後に手がけた「自邸」はコルビュジエの教えそのままの柱梁を素直に表現したドミノ建築であった。

来日したコルビュジエも吉阪自邸を見て、東京にはこれ以外に見るべきものはない、というほど師ゆずりの作品であった。

しかし、吉阪は一作ごとに変身を繰り返し、独自の哲学を開花させ、ついにアテネフランセ、そして、大学セミナーハウスの大作に到達する。

それは、丹下健三をはじめとするモダニズムの建築家たちが追求したモダンと和風、メタボリズムなどとは大きくことなる「不連続統一体」という組織論であり、創作論であった。

 

吉阪は早稲田大学の教職の傍ら、コルビュジエへの弟子入り、世界各地の探検、登山、アルゼンチンでの交換教授など、世界各地の見聞を広げ、西欧中心のモダニズムを超える論理を模索した。

天空を駆け巡るような壮大な思索の中から、到達した極地が「不連続統一体」であった。そこには、西欧とアジア、アフリカの多様な伝統や文化をもった民族を大きく包み込む人類共存の壮大なヴィジョンがあった。

 

吉阪はコルビュジエ直伝の蝶ネクタイをやめて、ある時からひげを生やしはじめ、生涯伸ばし続けたが、そのきっかけは、キューバ訪問のおり、カストロにあって影響を受けたからだと言われている。当時、北ベトナムのホーチミン主席も同様に顎髭を伸ばしていた。

 

吉阪は多くの子弟を育てたが、自宅の庭を開放し、アトリエを建て、「U研究室」と名付けて多くの弟子たちが出入りした。そこで働いたスタッフは30年の間に45人に達する。それを引き継いだ「象設計集団」は最も密度の濃い吉阪教徒であり、彼らの手からは名護市庁舎、宮代町立笠原小学校など、多くの傑作が生まれているが、個人としても、鈴木恂、内藤廣など、多くの優れた弟子を育てている。

 

吉阪隆正は戦後建築史の中の巨人であるが、その思考の範囲は大きすぎて正体は捕まえにくく、全貌を理解するのは不可能である。

この大学セミナーハウスは吉阪の最後の集大成ともいうべき作品。

アテネフランセとともに東京で見ることのできる代表作。

1980(昭和55)年、63歳で没した。

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。