香川県庁舎を見る

香川県庁舎
香川県庁舎 設計:丹下健三 1958(昭和33)年

丹下健三の最高傑作、香川県庁舎へやってきた。

鉄筋コンクリートの近代建築に和風建築の意匠を導入したとされている。

和風建築の要素と考えられるものは、なんといっても各階の床の下に並んだ梁の端部だろう。

二つ並んだ大梁とその間にならんだ小梁の列、たしかに和風そのものだ。

当然、和風建築の軒先の垂木の端部を思わせるものだ。それがすべて打ち放しの鉄筋コンクリートでできている。

よく見るとその小梁の薄いこと!

その幅11.1cm、なんという薄さ!

その打ち放しコンクリートの打設の正確さ!

ということは、極めて正確な木製の型枠をつくり、中に鉄筋を配置し、そこに極めて丁寧にコンクリートを打ち込んだ、ということである。

実際、型枠製作には宮大工が起用され、大勢の作業員が竹の棒でコンクリートを丁寧に突込んだと言われている。

実際の作業は気の遠くなるような作業が要求されたに違いない。

その結果、50年たったいまだにコンクリート打ち放しの状態が維持され、丹下健三の意図した効果をそのまま読み取ることが出来る。

ベランダへ出て間近で見上げても、その薄さ、その正確さ、あきれるほどだ。

キリッとエッジの立った打ち放しコンクリートの様子は感動的ですらある。

しかも、その薄い梁は室内へそのまま延びており、室内はすべてその薄い梁が交差する天井で覆われていた!!

軒先に小梁の先端を並べる意匠のために、建築全体が非常な無理な構造原理に支配されていた。

「美しいもののみ機能的である」

こう言い切って丹下健三は自らの美意識が支配する建築を正当化した。

「形態は機能に従う」「機能的なものが美しい」とされてきた、近代建築の基本原理を逆転して、その嗜虐的な美学に自ら酔いしれている。

実際に自分の目で見て、もっとも感じたのはそこである。

「そこまでやるか」というのが率直な感想だ。

議会棟の後ろに高層棟、その後ろに後に出来た超高層の新館が見える。

議会棟は前面道路に面している。

ここは柱・梁の単純なラーメン構造になっている。

梁の先端を見せるデザインはここにはない。

2層分の高いピロティが目につく。

高層棟の手前、議会棟のピロティから望む。

庭園と高層棟の足元。広場というよりはやはり庭園。しかもなかなか日本的な庭園だ。

和風建築の庭園を示唆する石組み。

太鼓橋まであった!

議会棟の下は高い、広々としたピロティだった。しかも2階分の高いものだ。これならだれでも気軽に入ってゆける。

ピロティはフランスの建築家ル・コルビュジエが提唱したものだが、これだけ広々としたピロティは世界中にもないんじゃないだろうか。しかもこれを考えたのは戦後まだ10年ほど、日本がまだ本当に貧しかったころだった。

あの時代にこれを提案した丹下の構想力もすごいけど、乏しい予算の中で、それを決断した金子知事の胆力もすごい。

各種のパイプを収めたパイプシャフトだけ石積みの荒々しい表現を誇示するように、ピロティの真ん中に造られ、パイプが派手に着彩されていた。

この建築の全てが鉄筋コンクリートの幾何学的造型が支配している中で、ここだけ対照的な自然石の荒々しい表現を見せている。

これも、丹下健三がコルビュジエから学んだ手法の一つだ。

この階段、これもコルビュジエの描いたスケッチ(ドミノシステム)の忠実な再現を目指したもの。しかし、どうしても支柱が必要となり丹下をくやしがらせたらしい。

ベンチか、照明器具か、不思議な造型だ。

議会棟の北端にある大会議室への入口と受付の背後の棚。

議会棟中央の公衆ロビー。

受付のデスクと背後の棚。

公衆ロビーのガラス窓。

議会棟北端の大会議室。竣工時の状態がよく保たれている。

この建築は全体に渡って、丹下のデザインに対する尊敬の念が浸透しており、当初のデザインを維持するために細心の注意と大きな努力が払われていることがわかる。

そこが見学していて気持ちがよい。

これだけしっかりと維持されているのは、この建築を推進した当時の金子正則県知事をはじめとする県当局の見識の高さ、熱意の賜物であろう。

高層棟1階玄関ホール、

大きな自然石を生かした受付。

高層棟1階の県民室。

玄関ホール

高層棟の玄関ホール天井。

薄いコンクリートの小梁の格子の間を木製の板と照明器具が埋めている。

猪熊弦一郎による壁画。

猪熊弦一郎は高松出身の画家。当時から国際的に活躍する郷土の大芸術家であり、金子県知事と周知の仲であった。知事に丹下を紹介したのが弦一郎だったといわれている。

ガラスとコンクリートの無機的な空間の中に大胆な色と形でしかも落ち着いた気品のある壁画を実現したのはさすがですね。

高層棟の屋上には庇が巡らされている。外観上、必要な要素だったと思われるが、この屋上の塔屋3階は、竣工当時は瀬戸内海を見渡す市内最高の見晴らし台として人気があり、竣工後半年で県民の6分の1、十数万人が見学に訪れた。

市民は折に触れてここに上がり、町や村からバスをつらねて日に何組となく訪れる市内の名所になったらしい。

見学しているうちに日が差してくると、なんと、小梁が後退して水平線が強く浮き上がってきた。

ベランダの床の細い線と手摺の太い線が交互に走り、最上部を屋上の庇の太く強いラインが引き締めている。なかなか巧妙なデザインである。

水平線を邪魔する垂直線は注意深く後退して視野から消されている。

 

香川県庁舎は丹下健三の最高傑作と言われている。

 

近代建築の原則に和風の味付けを施して高い完成度を実現したとされている。

このたび実物を拝見する機会を得て、よく見ると、高層棟、議会棟、中庭がコンパクトにまとまって、快適な空間を実現している。とくにそれを結びつけているのが議会棟1階のピロティであろう。思い切り高いピロティが市民に対して開かれており、中庭へ、あるいは高層棟のロビーや屋上へと導いている。

市民に開かれた、民主主義を追求した、庁舎建築として秀逸だ。

 

近代建築と伝統の合体に成功したと言われている。

 

建築表現の見せ場は、高層棟の外観であろう。小梁の表現を始め、当時の大工の技術を極限まで駆使したアクロバットとも言える表現をやってのけている。

近代建築が近代の産業技術を背景に成立するというテーゼに反し、ここでは、前近代的な大工技術を用いた精緻な手作業に裏付けられたコンクリートの仕上がりを前面におしだした工芸品のような建築であった。

これは実物を前にして受けた最大の驚きであった。

世界を驚かしたのは、近代建築の美しさというより、日本人の工芸的な手作業ではじめて実現できた精緻な工芸的な作品だったのかもしれない。

 

近代建築の誕生と老成が同時に訪れた。

 

インターナショナルを目指した近代建築が、世界各地の気候風土、伝統文化を取り入れて多様化してゆく、近代建築後期の様相が、ここに典型的に現れている。

日本では、戦後、本格的に建築が再開された時には、すでに近代建築の後期だったわけだ。最盛期の近代建築は、戦争のため空白の15年として空費してしまった。

戦後に建築活動を再開したとき、初々しい近代建築の誕生と成熟・老成を同時に体験することになったのである。

 

丹下健三は、広島、清水、倉吉、津田塾、東京都庁舎と「モダニズムと伝統の統合」というテーマを追求してきたが、この香川県庁舎で一つの解答を出すことに成功すると、急速にこのテーマから興味を失い、二度と取り組むことはなかった。丹下にとって「和」はそれほど本質的な問題ではなかったのかもしれない。

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コメント: 1
  • #1

    トミ (月曜日, 23 5月 2016 20:46)

    丹下さん最高ですね。私は実物の県庁舎はみたことはありませんが、ぜひみたいです。丹下さんの建築をと今日クエート大使館思わず見に行きました。

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。