レーモンドの小さな教会

東京聖十字教会 設計:アントニン・レーモンド 1961(昭和36)年
東京聖十字教会 設計:アントニン・レーモンド 1961(昭和36)年

世田谷の松陰神社前の商店街の中ほどを少し入ると住宅地の中にさりげなく小さな教会が現れる。

まわりの住宅地にすっかり溶け込んでいるようにみえる。

木造の単純なドーム型の構造らしい。緑色の鉄板で覆われている。屋根の最上部に明かり取りがあるように見える。

正面には色とりどりのガラスが格子の中にはめ込まれて、ステンドグラスの役割を果たしている。

鉄板はなかなか落ち着いてよい色合いだ。

これだけ大きな面積を一色で覆っているのに、違和感はない。しかも独自の存在感を発揮している。

確かに鉄板で覆っている。

うしろへ回ると、祭壇の前の部分の構造が見える。

正面はステンドグラス状のガラス窓とその下にはやはり色ガラスにはさまれた玄関の扉になっている。

小さいが堂々としたカテドラルの風格がある。四角い色ガラスのまどは、ゴシック寺院のバラ窓を思わせる。

教会は東京聖十字教会といい、イングランド国教会につながる、カソリックでもプロテスタントでもない日本聖公会という歴史ある教会。日本全国に多数の教会と信者を擁しているという。

日本の近代建築は、明治維新以後西欧の建築に学び、さらに20世紀に入って科学技術の進化に歩調を合わせて近代化・発展したものだが、その過程で多くの西欧の建築家から教えられてきた。

なかでもアントニン・レーモンドは日本の風土や文化を理解し日本にふさわしい近代建築を作って日本の建築に大きな影響を与えてきた。

レーモンドはチェコスロバキアに生まれ(1888年)、建築を学んだあとアメリカに帰化した建築家だが、フランク・ロイド・ライトの事務所に入り、帝国ホテルの建築に際してライトとともに来日した(1919年)。

1922年には独立して日本に設計事務所を設立し、戦争で帰国を余儀なくされるまでの18年間、数多くの主として鉄筋コンクリートの近代建築を作って日本の近代建築のリーダーとして活躍した。

レーモンドは戦争が終わると1947年、離日10年後に再来日、戦後の物もお金もない時代にローコストで簡潔な工法を駆使して数多くの住宅や教会、学校建築を作った。

この教会はこの時代に手に入る最小限の材料で、清々しい教会建築を実現したものだ。このときレーモンドは73歳であった。

特別気取った装飾もなく、必要なものが最小限作られているだけなのだが、使う人達の丁寧な維持管理によって、よく建設当時の面影を留めている。

この銘板により、この教会が1961年に竣工したことが分かり、竣工後60年ほどたつことが分かる。簡素な建築でも、愛情を込めて使い続ければ、60年たっても見事に機能していることを証明している。

礼拝堂に入ると小さな部屋は一目で見渡すことができる。

内部はまるで、船の底のような形であった。とっさに「ノアの箱船」という言葉を思い出した。ここはレーモンドが作ったノアの箱船かもしれない。

構造は実に単純だ。両側面から曲がった船の竜骨のような曲線の梁が立ち上がって頂部で簡単に留められているだけである。

この骨組みは、飛行機の格納庫の架構のために開発された、ごく初期の集成材らしい。さらに壁面は、薄い安価なラワン合板を少しずつ曲げて壁から天井まで張り、真鍮の釘で打ち付けたもの。塗装はなく経年変化で深い色合いになるのを味わうという考え方なのだそうである。

天井からトップライトを取っているが、その仕組みもじつに簡単だ。

全体が木に包まれた落ち着いた空間になっている。

正面の壁もラワンの合板である。戦後の日本建築で、安価なラワンの合板がこのように美しく使えることを示したのはレーモンドの大きな功績である。

アーチが円形ではなく、先の尖ったアーチになっているのは、ゴシック教会の尖頭アーチを意識しているに違いない。円形だと米軍のカマボコ兵舎のようになってしまうが、尖頭アーチならゴシック建築である。わずかな違いだが、それが素晴らしい空間の効果を示している。

トップライトからは色違いの光が注いでいる。

天井から壁面へと局面はすべてラワンの合板が使われている。

障子のような幾何学的なステンドグラスは室内に清楚な気品ある雰囲気を与えているような気がする。

ゴシック教会のバラ窓のステンドグラスに引けをとらない美しさである。

単純な幾何学で構成されたステンドグラスだが、色の配置は複雑なため、見る人によってはキリストや聖母マリアなど、いろいろな聖書の場面を想像させるのかもしれない。

この色のガラスは、プラスティック板にスプレーペイントをかけ、両面をガラスで挟んだものらしい。

集成材の梁に貫材が貫通している様子。

レーモンドは、戦前18年間、戦後26年間、合計44年間ノエミ夫人とともに日本に住み、2人で精力的に設計に取り組み、最終的に1973年、アメリカに帰国、76年に88歳で死去している。

 

レーモンドは日本の気候風土を理解し、日本建築を研究し、さらに日本の大工の技法に学んで日本にふさわしい建築を模索し、優れた建築を生み出した。

その間設計事務所で多くの日本人スタッフを育て、大きな影響を与えた。

教会の建築も数多く、戦前には軽井沢で木造の小さな聖パトリック教会をつくり、いまも多くの人に親しまれている。

 

また、戦後の物の無い時代に工夫をこらして美しい建築を作って日本の建築家たちに多くのヒントを与えた。この建築はその時代をよく表している大切な建築遺産といえると思う。

 

この教会と同じ年にできた建築としては高崎の群馬音楽センターがある。こちらは規模も大きく鉄筋コンクリート造だが、よく見ると内装のベニヤ板など同じ時代の同じ空気を感じることができる。

 

この教会の近くに世田谷庁舎・区民会館があるが、これは、同じ時代に前川國男の設計で竣工している。前川國男は、ル・コルビュジエのアトリエで修業して帰国後1930年にレーモンドの事務所に勤めている。レーモンドはこの時、前川からコルビュジエを学んだと言われている。

 

レーモンドの日本での作品は欧米でも高く評価され、戦後の日本建築ブームの一つの契機になった。東西文化の交流に果たした役割は少なくない。

 

2000年に、この教会は築40年を経て劣化が目立ち、補修、改築の必要が生じ、レーモンド事務所に問い合わせをしたそうである。事務所では、この建築の設計の担当者内藤恒方氏に連絡し、仕事を依頼したそうである。内藤恒方は23歳から28歳までの5年間レーモンド事務所に在職し、ちょうどこの教会を担当した。

その結果、内藤氏は教会の信者たちとなんども会合をもってレーモンドの考えを守りながら丁寧に修理・改築を行った。その結果今日の姿がある。

この設計担当者を探し出して話をつないだレーモンド事務所の姿勢も賞賛に値すると思う。よい建築はこうして生き続けている、と改めて感じさせられた。

 

参考にした資料

『自伝アントニン・レーモンド』鹿島出版会

『アントニン・レーモンド チャーチ&チャペル』バナナブックス

 

 

■ アントニン・レーモンドの他の作品

群馬音楽センター

軽井沢の小さな教会

レーモンド自邸(コピー)を見る

 

 

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。