ユーゲントシュティール建築の驚き

妻、友人夫妻とともにバルト三国を旅行した。

ラトビアの首都リガの「新市街」の一角にユーゲントシュティール(アールヌーヴォー)建築の集まった場所がある、とガイドブックに出ていたので、訪ねてみた。

なんとそこには、驚くべき個性的な建築が軒を連ねていた。

巨大な顔面が二つ、中央にクジャクのような鳥、その上に驚いたような男の顔、そして幾何学的な装飾が多数。その異様な迫力に圧倒された。

バルト三国とは、エストニア、ラトビア、リトアニアの三国である。

これらの国は西にバルト海をはさんで、スウェーデン、ポーランド、ドイツなどの強国と対峙して、常に侵略の脅威にさらされてきた。また、東にはロシアという大国があり西欧への玄関口として踏み込んできた。

バルト三国がロシアからの独立を果たしたのは、1989年の200万人の国民がタリンからヴィリニュスまで600キロの道を手をつないで結ぶ「人間の鎖」というデモンストレーションを行ったのが直接のきっかけであった。多くの犠牲を払ったのち独立が達成されたのは1991年のことであった。つまりこれらの国が独立してからまだ30年もたっていないのである。

ユーゲントシュティール建築があるのは、ラトビアの首都リガの新市街の一角である。旧市街は城壁で囲まれて、中世から近世にかけての歴史建造物で埋め尽くされて近代的な建築はまったく見られない。たぶん、歴史的建造物保存地区になっているに違いない。

その外側に1890年から1910年ころに一気に建てられた「新市街」が広がっている。旧市街が観光客主体の街になっているのに対して、新市街は一般市民の住宅と業務中心の市街地になっている。

その中でもこの一角に極端に完成度の高いユーゲントシュティール建築が密集している。そのうちもっとも見応えのある一群の建築を手がけたのが一人の建築家ミハイル・エイゼンシュテイン(1867〜1921)である。

まず目についたのが頂部に二つの巨大な人面をつけた「エリザベテス通り10b番地」と呼ばれている建築。青い煉瓦をアクセントにした左右対称の美しいファサードである。1903年竣工。今から115年前の建築である。

右隣もエイゼンシュテインの見事な建築だが茶色い、たぶん、左側が最近修復を終えて、真っ白に復元されたものだと思われる。

上階が直線を基本にしているのに対して、下階はリングからロープを垂らしたような曲線が優美な波形を描いている。

中央の強い突起部分を挟んで、左側も同様なデザインである。

中心の頂部がもっとも個性的だが、その下の突起部分もなかなかクセのあるデザインが続いている。

鳥のくちばしがくわえたリング、その下に垂れ下がる飾りヒモなど、実に独創的な装飾が窓廻りを飾っている。

玄関アーチとその上の突起部分。

アーチ上部の装飾、その左右の人面を幾何学的にデフォルメした装飾。

壁面を埋める激しい凹凸の水平線の横線。壁面を埋め尽くさずにはおかない偏執狂的なデザイン意欲に圧倒される。

玄関アーチとそこに納まっている鉄の扉。鉄製の格子と曲線のからまったアールヌーボーの優雅ではあるが力強いデザインである。

懸垂曲線とその廻りの幾何学的な装飾。過去のどんな建築とも似ていない極めて独創的な装飾である。

懸垂曲線の最下部にあるリングとバラ、垂れ下がるヒモの上を車輪が転がっているようなデザインである。青い煉瓦が美しい。

玄関横の幾何学的人面彫刻である。人面を構成する曲線が幾何学的な枠組に締め付けられ、うめき声を発しているかのようである。

いったい、だれが、何を訴えているのだろうか。

この時代、ラトビアはそれまでこの地を支配していたドイツ人にかわって、ロシアの支配下にあり、モスクワ、サンクトペテルスブルグに次ぐ、ロシア第三の都市として急激に発展していた。ロシアにとってはバルト海に開く重要な港だった。

リガはバルト三国の中心的な都市であったが、それを支えてきたのはドイツ系の商人であった。しかし、この時代、ロシアの支配が一段と強化され、ドイツ商人は圧迫されていたのである。

この飛び立つ寸前の羽ばたくミミズクは、大空ではなくこちらを凝視して威嚇しているかのような表情である。笑いではなく、怒りの感情があふれているのではないだろうか。

建築を彩る人面や動物の彫刻は、声や文章では表せない抗議の意志を無言の彫刻の表情で表現しているように見える。

これを設計したミハイル・エイゼンシュテインはユダヤ系のロシア人と言われているが、サンクト・ペテルスブルグで土木工学を学び、リガで市の建築技師としてやとわれ建築家として活躍していた。彼の息子は、のちに「戦艦ポチョムキン」をはじめソビエト映画界を代表する映画監督として有名である。

向かい側に建っている次の建築は「エリザベテス通り10b番地」と呼ばれている。やはりミハイル・エイゼンシュテインの設計。上の建築より2年早い1901年の竣工で、この界隈の建築でもっとも早いものである。

ユーゲントシュティール様式というより、ルネッサンス様式を基本にした、全体に固い表情で、そこに彫刻が控えめにとりついた印象である。

柱の代わりに優美な女性が屋根を支える「カリアティード」という彫刻がギリシャのパルテノン神殿などによく見られる。

このような高層建築物にこのカリアティードが使われることはほとんどないが、ここでは2階部分に男性のカリアティードが使われている。

目を上に転じると、3階には、アーチの左右に女人像がカリアティード風に取り付いているのが見える。

よく見るとこのカリアティード、なかなかなまめかしい姿態である。その上には花綵(はなづな)もあり、非常に華やかな窓辺になっている。

玄関アーチの上には顔面彫刻があるのだが、やはり先ほどの建築のような怒りや苦悩は感じられず、端正な表情である。

注目したいのは複雑で優美な組紐文様である。これらは石ではない、漆喰のコテ細工である。この国の職人はあらゆる造型をコテ細工で作ってしまう魔法使いのような人々なのである。

この一角の建築を見るため、海外のツアー客が団体で次々にやってくる。みんな熱心にガイドさんの解説に耳を傾けている。日本人と違って、西欧諸国の高齢者の観光客は建築に強い興味をもっているのがよくわかる。

角を曲がってアルベルタ通りに入る。ここには100mほどの間にエイゼンシュテインの建築がいくつも軒を連ねている。

まず「アルベルタ通り8番地」1903年竣工。

ファサードの壁が屋根の上まで延び、屏風のように立ち上がっている。

装飾を取り去ると長方形の窓が並んだ単純なビルである。

兜をかぶった人の上半身がならび、屋根に向かって開いている丸い開口部。なんとも不思議な建築だ。

上階と下階との間をつなぐ装飾がまるでギリシャ神殿の柱頭のようだ。植物と幾何学文様が絡み合った装飾になっている。

これは建築から遊離して独立した彫刻だが、やや豊満な女性がたいまつを掲げている。まるで「自由の女神」ではないか。考えてみると、ニューヨークの「自由の女神」ができたのは1886年だったので、この建築の17年前にすぎない。

すると、リガはまだロシアの支配下にありながら、アメリカの「自由」への共感を表しているのかもしれない。

おお、ここにも怒れる男たちの顔面が。

いったい彼らは誰に対して怒っているのだろうか。

狛犬のように玄関を守っているのはスフィンクス。顔は人、胸は女性、下半身は翼をもったライオン。

エイゼンシュテインの得意とする幾何学文様。ベルギーやパリのアールヌーヴォーが植物や動物の有機的な曲線をモチーフにしていたのに対して、エイゼンシュテインは幾何学的文様を得意としていた。極めてユニークである。

玄関上部のアーチを飾る文様。斜め左右に飛び出した花のような装飾が特に興味深い。

「アルベルタ通り2a番地」と呼ばれている建築。1906年、エイゼンシュテインの設計。もっとも完成度の高い作品かもしれない。

このあたりのエイゼンシュテインの建築はすべて1900年に入って最初の10年間に建っている。なぜこんなに集中してこの時期に建ったのだろうか。ものすごい経済発展期の建築ラッシュだったにちがいない。

リガはこの時ロシアで3番目に大きな都市だったと言われているのだが、すでに帝政ロシアの末期、革命が目前に迫っていた。

じつにせっぱ詰まった時代に花開いた熱狂的な建築の競演だった。

その指揮者がミハイル・エイゼンシュテインという建築家だった。

建築全体が顔面に見えるのではないだろうか。

目を見開き、大きな口を開いており、何か叫んでいるように見えませんか。

まぶたを強調した3つの目。つぶした楕円形のような口。

どれも前例のない独創的なデザインである。

台形の入口廻りは意味深長な数々の寓意彫刻で飾られている。

目玉のように見えた丸窓は、よく見ると丸窓に長方形の窓を組み合わせたもので、その周囲は手の込んだ装飾に覆われている。

いまもアパートとして使われているらしく、車が入ってゆこうとしている。

最頂部を飾る3つの人面、左右の二つは何かを叫んでいるようだ。

中央の丸窓の一部はドアになっており、ベランダに出ることができる。ベランダの手摺には典型的な曲線のアールヌーボーの装飾がついている。

開いた口のような窓の前にもベランダがり、その手摺にも優雅な羽を開いた蝶のような装飾がある。このあたり、みごとなアールヌーヴォーのデザインである。

玄関上部には有翼の天使の浮き彫り。じつに美しい。

端正な顔立ち、長く伸びた髪の毛。まるで日本のアニメのヒロインではないか。

入口の左右を守る有翼のライオン。威嚇するような逞しい筋肉を誇る足を見せつけている。台形の中にぴったり収めたデザインも見事。

柱を飾るトーチのようなデザインもいいが、その左右に見える日本の障子のような正方形の格子で埋め尽くされたガラス窓が目を引く。こんなデザイン、西欧には決してないはずだが。同時代にイギリスでマッキントッシュが正方形を多用していたのが唯一の例外だったと思うのだが。

玄関の鉄製の門扉。直線と曲線の組み合わせが美しい。

この建築の下部に建築家ミハイル・エイゼンシュテインの銘板が埋め込まれている。この建築がエイゼンシュテインによる1904年竣工の作品であることが明記されている。

この国の人たちの建築に対する高い意識、建築家に対する尊敬の気持ちがよく表現されている。

次は「アルベルタ通り8番地」と呼ばれている建築。1903年竣工、設計はやはりエイゼンシュテイン。

エイゼンシュテインの特徴がそこここに見える。

青い煉瓦の装飾的な使用、中心部の強調、人面、動物など、エイゼンシュテインの手法が繰り返されている。

中心は巨大なライオンの顔、左右の四角い塔の最上部にはそれぞれ長いくちばしの鳥が4羽ずつ。ライオンの下には樹木と花、果実が飾られている。

四角い頂上部分を飾るくちばしの長い恐ろしい鳥である。

その下の大きな丸窓の周辺には多数の男女の人面。どれも穏やか表情である。

左右の壁面は鮮やかな青い煉瓦で縁取られており、その間の柱型には女性の顔と胴のようにも見えるヒモの文様である。長く垂直に伸びたラインが美しい。

中央の円筒部分はややシンプルに見えるのだが……。

よく見ると窓を縁取る組紐文様は非常に優雅な曲線を描いていた。これぞアールヌーヴォー。

しかも、その下端は窓にそってキッチリと幾何学的に納まっている。曲線と直線の組み合わせの技法はため息がもれるほど、見事である。

中央円筒部分の最下端は、パチンと蓋を閉めるフックのようなものがついており、いかにもエイゼンシュテインのいたずらっ子のような得意顔が目に見えるようである。その裏蓋の部分は生い茂る樹木で覆われている。

鉄製の門扉は幾何学と曲線の絡み合ったアールヌーヴォーデザインでまとまっている。

ル・コルビュジエを代表者とする近代建築は、この全盛を誇ったアールヌーヴォーを否定し、機械を賛美し、シンプルな幾何学に乗っとった建築を美化して強力な運動を展開した。このため、アールヌーヴォーはあっという間に衰退し、消滅してしまった。いわゆるモダニズム建築は1920年から始まったとされている。

つぎは「ストレールニエク通り4番地」と呼ばれている作品。

やはりエイゼンシュテイン設計、1905年の竣工。

ここにも青い煉瓦、そして女人像。

よく見ると、なかなか艶めかしい薄衣(うすぎぬ)をまとった女性像だ。

幾何学的文様もなかなか手が込んでいる。

組紐があり、ライオンがあり、トランクを締め付けるベルトあり、草花あり、あらゆつ装飾手法が駆使されている。

ここにはロボットのような人面もある。

いろんな人面が出て来たが、これは初出だ。

これは、まさに現代のアニメや映画に登場する最先端のロボットではないか。100年前にこれを作るとはすごい想像力である。

エントランス

手の込んだベランダ

銘板を発見。

「この建築はミハエル・エイゼンシュテインにより設計され、1905年に建設された。この建築は当初はアパートとして使用され、続いてラトビア、ドイツ、エストニア、ロシア(語?)の学校として、1957年より1993年まで学生寮として使われ、1993年にはラトビア政府によってストックホルム経済大学リガ校として使われた。1993年から94年にかけて修復復元された。」と読むことができる。

ここには、建築を文化財として大切にする気持ち、建築と建築家に対する深い愛情と敬意を読みとることができる。

ユーゲントシュティール博物館となっている建物。

博物館入口

優雅な階段。

見上げた階段裏も美しい。

室内はなかなか優雅な雰囲気だ。

奥へ進むとなんと仕上げをしていない煉瓦の構造がむき出しになっていた。

つまり、この界隈の建築はすべて煉瓦造なのである。その上にスタッコで装飾を施したものが先ほどから見学してきたユーゲントシュティール(アールヌーヴォー)の建築だったのである。

モダニズムの建築は、鉄筋コンクリートが使える時代になったことをきっかけにして、鉄筋コンクリートによる、構造と表現の一致した建築表現を目指した運動だったのである。

ユーゲントシュティールの建築群を見て改めて近代建築というものを考えなおすきっかけになるのではないだろうか。

エイゼンシュテインの建築群がある一角を過ぎて少し歩くと、さらに、「新市街」といわれるにぎやかな街に出てくる。

写真右の古い教会を囲むビルの一つ正面の建築がすごい。

男の顔面、花など強烈な装飾に目を奪われる。

こちらは蛇と顔面。

顔面とトカゲ。

新市街、といっても、100年前の経済発展期に出来た街。我々の目からすると十分歴史的建造物だが、これがそれぞれ個性的なのである。

この建築は下層部が石造かもしれない。

力強い唐草模様の浮き彫りである。たぶん、石造ではないだろうか。

これはかなりモダンに傾いている。垂直線を強調した颯爽とした建築。

半分モダニズム

これは、典型的なルネッサンスのパラッツォ(宮殿)である。

ユーゲントシュティール、平坦な壁面、均質な窓、かなりモダンである。

出来たのは1908年という。実に興味深い。先ほどの街区でエイゼンシュテインが装飾ゆたかな建築を作っていたころ、ここでは、こんなフラットな建築が作られていたのである。

たぶん、あそこは非常に豊かな一群の商人たちが金に糸目をつけず、贅沢のかぎりを尽くして建築道楽をやっていたのではないだろうか。

普通の施主、建築家が手がけたユーゲントシュティールはせいぜいこのくらいだったのではないだろうか。

それでも見事な装飾である。

じつに美しいエントランスである。

一見普通に見えるが、窓を覆う庇のような突起物はそれぞれ非常に個性的である。

町のお偉いさんはたぶん、こんな街を作りたかったのではないだろうか、という単調な街並。そこにときどき、反逆者の建築家とへそ曲がりの施主が現れて最新流行のユーゲントシュティール建築を作ったのに違いない。

普通の街並の中にもときどき、こんな不思議な建築が現れて楽しませてくれる。

 

フランス語圏ではアールヌーヴォーと呼ばれ、ドイツ語圏ではユーゲントシュティールと呼ばれている様式。19世紀末から20世紀初めに架けて一世を風靡した様式。建築から、インテリアデザイン、家具、花瓶、グラフィックデザインとあらゆる分野に展開した様式。

 

我々は、すでに装飾の無いモダニズムの中に生きているので、ユーゲントシュティールは過去のものだと思っている。しかし、改めて見せられると、その強烈な造型意欲に圧倒される。建築が本来持っている魅力を再認識させてくれる。

もう決してこの時代にもどることは出来ないだろう。しかし、その建築に引きつけられる気持ちはどうしても残る。モダニズムが捨て去ったものはあまりにも大きい、と思わずにいられない。

 

もし、バルト三国のラトビアへ行く機会があったら、新市街も歩いてみることをお勧めする。

 

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。

 

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