秋の1日、那賀川馬頭広重美術館を見に行って来た。
それは、紅葉の始まった山を背景に静かに横たわっていた。
それは、意外と穏やかな表情で迎えてくれた。
完成後13年ほどたって、杉材は黒っぽく変色していたが、たいした変形、ゆがみはみられなかった。
玄関ホールを突き抜けて裏から見返すと竹との調和がなかなかよい。
竣工当時の写真から、鋭利な刃物のような鋭い印象をもっていたが、実際に来てみると、杉材が変色して、表情が穏やかになり、環境となじんできたような気がする。
同行者のなかには、この変色を汚れていると受け取った人もいた。
しかし、われわれは奈良や京都では時間の経過とともに塗装が落ちて、変色した寺院をごく自然に受け入れている。それが日本人の感性だ。
これをよしとした、隈さんの決断をわれわれも受け入れたい。
秋の強い日差しを受けて、軒の影がじつに美しい。
鉄の構造体が繊細な杉の庇を軽やかに支えている。東京青山の根津美術館とよく似た軒下の構造だが、雰囲気はまったく異なる。
すだれのような軒が3メートルと非常に深い。
杉材も繊細だが、それを支える鉄材も薄く、繊細だ。
杉材の断面は3センチ×6センチ、それが12センチのピッチで並んでいる。間隔は9センチだ。
ごつくなりがちな部分、さらりと軽やかに受け止めている。
屋根の杉材がわずかに変形しているのがわかる。しかし、普通に見ただけでは気になるほどではない。
半分透けた庇は、かつて見た事のない美しい光と影の造形を作り出している。
薄曇りの表情。
雲が切れて、強い日差しを受けると表情が一変した。
軒の影が壁面に細かいリズミカルな縞模様を描いている。
軒と壁面が作り出す不思議な表情。
通り抜けになっている、入口のホール部分。レストラン、みやげものの店が見える。杉の天井を通して柔らかな光が降りそそいでいる。
いよいよ美術館へと入ってゆく。屋内は杉の赤みがまだ残っている。
杉とガラスが幾重にもかさなり、透明感のある明るい導入部になっている。
手前の杉は和紙を巻いたものだ。
和紙の壁。内部へ進むほど、杉から和紙へと繊細な質感に変わってゆく。この壁は実は鉄筋コンクリートなのだが、その重さ、固さをまったく感じさせない。
展示室の入口部分。二つの展示室があった。
展示は原則として浮世絵のため、展示室内は外光は閉め出され、抑制された人工の照明のみとなっている。
屋内の天井を見上げると、鉄骨の構造がよく見える。改めてこの建築が木造ではなく、鉄骨造であることに気づかせてくれる。
しかし、このようによく見ないと鉄骨は目に入らず、気がつくことはないだろう。
壁の杉材と天井の杉材の接するあたり。少し離している。
横方向には杉を使わない。細い一本の鉄材がゆがみを抑制しているのだろう。
和紙を巻いた杉材も同様な鉄材が貫通していた。
安藤広重の名作、「大はしあたけの夕立」だ。
隈研吾は、この作品からインスピレーションをうけて、設計を進めたと述べている。
このように雨を線(ライン)で表現する手法はヨーロッパにはなく、日本独自のものであり、その雨の線の向こうに橋、人、川、対岸の風景と、次第に薄くなるレイヤーを重ねている。日本独自の遠近法だ。
隈さんはこれを建築で表現しようとしたと説明する。
そこで採用したのが繊細な杉材を繰り返し配置する手法だったというわけだ。
しかしそれを実現するためには、その細い杉材を不燃化するという厳しいハードルを超えなければならなかった。
そのあたりの苦心は『自然な建築』(隈研吾:岩波新書)に詳しい。
ここでは、それはみごとに成功している、と思った。
この旅行は、豊島区のちとせ橋コミュニティ塾のバスハイクにお誘いいただいて、受講生の皆さんといっしょに見学できたもの。ありがとうございました。
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