究極の透明建築:日立駅

JR日立駅 デザイン監修 妹島和世
JR日立駅 デザイン監修 妹島和世

上野から常磐線特急「スーパーひたち」に乗って、約1時間30分、日立駅までやってきた。ホームからエスカレーターでコンコースまであがると、ガラス越しに線路をまたぐ長い自由通路が見えてきた。

振り向くと、なんと大きな海がガラスの窓いっぱいに広がっていた。透き通ったエレベーターを通して水平線が一直線に見える。常磐線では、途中、海がほとんど見えなかったので、この驚きは大きい。

下の駅前広場、左から伸びてきた自由通路。そして、L字形に曲がって、レストランが浮いている。

宙に浮いたレストランをよく見ると、人がいっぱい入っているではないか。

改札を出ると、西口から東口の広場をつないでいる長い自由通路に出た。じつに明るく開放的だ。ここから見える景色も海と水平線のみ。

おーっ。妹島和世のスツールがあるではないか。そう、この自由通路と橋上駅の設計はジェイアール東日本だが、デザイン監修というかたちで、妹島和世が関与している。

自由通路の東端は海に向かって大きなガラス面になっている。見ているとひっきりなしに人がよって来て海を眺めている。市民にとってもこの大きな海の景観は驚きなのだ。子どもたちも喜んでいる。

そこは、太平洋を一望できる絶好の展望台になっている。

そういえば、妹島和世はお父さんが日立製作所の関連会社で働いていたご当地生まれの日立っこだ。デビュー作が当地のパチンコ屋金馬車だったではないか。

そんな彼女が、久しぶりにふるさと日立市民にプレゼントした海の景観なのだ。

なにも遮るもののない、見事な海だ。駅からこんな海が見えるなんて、なんと贅沢なことよ。

レストラン「シーバーズカフェ」に入ってみる。ひっきりなしにお客が入ってくる。人気があるらしい。オニオンスープがうまい。窓から足元を見ると、海岸線には高速道路が走っている。ここには、美しい海岸がないのかも。

エレベーターで下へ降りてみると、そこはタクシー乗り場だった。不安定な片持ち梁の庇が曲線を描いて伸びている。

見上げると、先ほどのレストランが空中に浮いている。空中で楽しげにおしゃべりしている。なんとも奇妙で楽しい風景だ。

タクシー乗り場の端部。なんとも奇妙なバランス感覚。やはり、妹島ワールド。

この自由な曲線、シンプルな天井面、いかにも妹島和世。

トイレ。窓がない。極めて単純なコンクリートのボックスだ。

入ってみると、採光は、天井のトップライトだけだった。開放的な自由通路とは対照的に閉鎖的な空間だ。

駅名表示。ガラスの内側に吊るされていた。

線路を渡って、西口へ通じる自由通路。ドックヤードが大きいので跨線橋がとても長いのだ。

西口は単純に開いているだけだった。ゲートを示すのはサインのみ。

うーん。このあたりが、モダニズム建築の限界か。なにかもの足りないんだよなあ。建築自身には何も訴求力がない。ここが日立駅だ、と呼びかける表現力がないのだ。これは何も妹島和世のせいではない。モダニズムの共通の欠陥である。建築家諸君、ここを利用する利用者の気持ちになってほしい。ここが我が日立駅だ、と誇りをもって、親しみをもってイメージできるだろうか。

そう、イメージの力が弱いのだ。市民が親しみをもって、いつまでも心に残るイメージを作り出してほしいのだ。

駅は、外の世界へ旅だって行く、あるいは遠くからの客を迎える、出会いや別れの場所なのだ。思い出に残る駅らしい形が欲しいではないか。いつまでも記憶に残る形が。これでは、ここで記念写真をとる気も起きないし、小学生だって絵を描く気もおきないではないか。

世界中で駅はそんなロマンを掻き立ててくれるのに、モダニズムだけが何も語らないのは、何かおかしいのではないだろうか。

自由通路は、東の海へ向かってまっすぐに伸びている。

海岸線へ出てみると、そこは、防波堤に遮られて、海がまるで見えない。

そうなんだ、日立市は大きな海に接しているのに、市民は日常的に海を見ることができないのだ。

振り向くと、崖の上にさっきの駅の展望室とレストランが、高々とそびえているではないか。そう、日立駅はかなり高い崖の上に建っていたのだ。

日立市民は普段ほとんど見ることのできない海が、この橋上駅の完成で、いつでも見えるようになったのだ。

ここまで来て、自由通路をあそこまで伸ばし、レストランを造った意味がよく理解できた。

日立市民はこの駅によってはじめて大きな海を自分の手に入れたのだ。

建築が人々のために出来ることを見せてくれた優れた作品だ。

駅はこんな大きな崖の上にあった。崖の下はほとんど家がない。ここは、津波が来れば、ひとたまりもない、危険地帯なのかもしれない。

駅では高校生の姿が目についた。どこでも駅を一番利用するのは高校生だ。彼らにとって毎日目にする大きな海は、何ものにも代え難い貴重な財産ではないだろうか。

海という貴重な財産を発掘した、妹島和世のガラス建築は、ここではその真価をいかんなく発揮していた。


ただし、まったく問題がないわけではない。

妹島和世のトレードマークとするために、必要もない部分まで、外壁を全部ガラスにしているのはどうかと思う。ガラスは必要な場所には有効だが、欠点もある。断熱性が低い、常に拭き続けなければ美観が維持出来ない。従って必要のない部分はもっと耐久性と断熱性の高い素材とすべきなのではないだろうか。

売れっ子建築家の証明のために画一的なデザインに陥るのでは、建築のユニクロ化というしかない。

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コメント: 3
  • #1

    茨城県民 (日曜日, 03 4月 2016 12:05)

    日立市民ではありませんが、通勤で日立駅を利用しています。
    建築デザインについては門外漢なので割愛しますが、
    ちょっと事実関係に誤認がありますので指摘させていただきます。

    >窓から足元を見ると、海岸線には高速道路が走っている。ここには、美しい海岸がないのかも。

    高速道路ではなく国道6号線の日立バイパスです。
    日立市は海と山の両方がある地域ですが平地が少ないうえに
    日立製作所関連の工場や住宅地等でバイパスが作れず
    やむなく海上を通しました。

    また、美しいかどうかは別にして、市内には海水浴場が6か所あります。


    >日立市は大きな海に接しているのに、市民は日常的に海を見ることができないのだ。

    JR常磐線から見える海は限られていますが、
    いくらでも海が見える場所はありますよ!!
    特に山などの標高の高いところに行けば一面見渡すことも可能です。
    高台の絶景な住宅地もありますよ。

    また、東日本大震災で津波の被害にも遭いましたので、
    堤防を新設したりかさ上げしたりしています。
    そのせいで海に近すぎると見えない場所もありますが。


    >日立市民はこの駅によってはじめて大きな海を自分の手に入れたのだ。

    確かに素晴らしく他県の人には誇れる駅舎や風景ですが、
    前述のように他にいけば海はいくらでも見ることができますので、
    大げさすぎる表現ですね。

    たった1か所を見ただけで日立市のすべてを断定するような
    書き込みには、違和感を感じずにはいられませんでした。

  • #2

    フィリップはミース羊の夢を見たか? (土曜日, 14 3月 2020 15:26)

    鉄骨が見えてしまうと ガラスの重さを感じてしまう
    開放性と浮遊感で海や自然を感じられるが
    震災という 自然災害との距離感は 建築では埋まらない

  • #3

    磯崎寛也 (月曜日, 24 10月 2022 05:21)

    妹島さんは日立に希望をもたらしました

    彼女は海を見るための建築を作ったのであり、
    駅という機能をつくったわけではありません

    テクノロジーの限界はもちろんあります
    モダニズムの限界も

    何をトレードオフするか
    その潔さが建築だと思います

    海がなかった、という表現は
    神峰町に住み、
    日立駅を利用していた私にとっては
    実感があります

    私は海を見るために
    浜の宮公園に自転車で通っていました
    その道のり、岬の先端に立った時の海
    その向こうに開けた世界のイメージが
    汚染と密告の地獄で生きる少年の
    希望でした

    私はこの建築への感謝をこの詩に託しました
    この建築は
    私にとって
    新しい
    神殿なりました

    それは、高度成長期に
    日立製作所が発電機を製造していた
    東洋一の巨大な工場が
    三菱になってしまった絶望の代わりに
    日立製作所市民にもたらされたものです

    それを私は
    たしかに感じています

    そして、
    日立という名前への
    憎悪と愛着の二律背反が
    この駅のポエジーだということも
    わかります

    妹島さんありがとうございます

    駅を訪れるたび
    僕は心の中で感謝の言葉を呟きます


    「エキゾチック パシフィック」

    南の島に
    白い羽が生えて
    綿津見(パシフィック)から
    飛び立つ

    美しい唇を持った女神は
    焼けた象牙の肌で
    サファイアの浅瀬を蹴った

    幼い僕は
    最新型五段変速自転車で
    いつものように
    岬に出かける
    先端に小さな祠があった

    僕はそこで古いグローブに
    緑色のインクで書いた詩を
    読みながら
    海から吹く風に
    ワクワクしていた

    エキゾチックな音楽があった
    冷やした果物と塩と
    太平洋のジャズがあった
    僕はずっと口笛を吹いて
    踊っていた


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案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。