「やあ、待たせたね。きょうは、高台移転の住民協議会が紛糾してね。いま新幹線で帰ってきたところなんですよ。」大きな鞄を抱えた宮武先生。
「ごくろうさまです。東郷さんにお話をうかがいながら、東京駅のドームを楽しく見ていました。」恵美ちゃんは細いGパンにスニーカー。小さなナップザックを背負って、首からSONYのミラーレスカメラを下げている。
建築家の東郷さんは赤いチェックのハンチングがおしゃれだ。
「ついにできてきましたね。できてみるとやはりドームが目立ちますね。」
「この建築はレンガでできているんですか。」
「鉄骨で補強してありますが、レンガ造なんです。これを作ったのは辰野金吾という明治時代の洋式建築家の第一号という人なんですが、これをつくるころには、実はもう鉄筋コンクリートの技術が日本に入ってきて、レンガ造は時代遅れになっていたのです。」
「それなのに、どうしてレンガになったんですか。」
「東京駅も鉄筋コンクリートで作ろうとすすめた人もいたんですが、辰野さんはずっとレンガでつくってきたので、初めての材料に不信感があったんですねえ。どうしても手慣れたレンガで作ることにこだわったんです。だから、日本では最後のレンガ造の本格的な大建築といってもいいと思います。それだけに辰野さんが意地で作ったレンガ建築といえるでしょう。」
「でも、昔の写真を見ると、はじめに立派な鉄骨を建てているね。いわば鉄骨レンガ造とでもいうべきものだね。」東郷さんが補足した。
先生は鞄をロッカーに押し込んで、PASMOで支払いをすますと、二人を駅前の広場に導いた。
「レンガの赤い色と石の白い帯が縞模様になって、とっても派手な建築になっている。これが辰野式のレンガ造といわれるものなんだ。この感じの建築は日本中に沢山できた。銀行が多いけどね。」
「きれいだわ。私はこの雰囲気が好きです。」恵美ちゃんが興奮してシャッターを切りながら口を挟んだ。
「そうなんです。恵美さんと同じように、これを好きだっていう人が多い。だから、JRがこれを壊してモダンなビルに立て替えようとしたとき、立ち上がって保存運動をはじめたのは建築家ではなく一般の市民だったのです。」
「東京駅はオランダのアムステルダム駅をまねたという話が昔からありますが、どうなんでしょうか?」
「おれはアムステルダムへ行った時よく見たけど、似ているといえば似ているけど、違うといえば違う。」
「オランダは石が取れないから、レンガがよく使われているんです。辰野さんはレンガ造に親近感をもったんですね。全体の横長のプロポーションとレンガ造はアムステルダム駅と共通しています。だけどデザインはだいぶ違いますね。」
「今回の工事は単なる保存ではなくて、辰野金吾が設計して建てた、オリジナルの形に戻したものだそうですね。」
「そうなんです。第二次世界大戦のアメリカの攻撃で焼けてしまったので、三階建てだったのを二階建てにして、丸いドームも角張った屋根を架ける応急処置をしてしのいできたんですが、今回、全面的にオリジナルの形に戻したのです。今回は、併せてこの駅舎全体の基礎をやり直して、免震構造にしたのです。」
「いままでは、どうなっていたのですか。」
「1万本ほどの松の杭の上に乗っていたのです。それを全部撤去して、コンクリートでやり直したのです。」
「えーっ、松の木の上にこんなに重いものが乗っていたなんて、信じられません。」
「ヴェネツィアも海の浅瀬に建っているので、建築はみんな松の杭の上に建っているって言われているけどなあ。」
「それを全部取り替えるって、すごい工事ですね。」
「500億円かかったと言われている。」
「えーっ、それをJR東日本が全部負担したのですか。」
「そうなんだ。しかし、そのお金は、駅舎の上空の空中権を、周辺のビルに売って獲得したお金なんです。」
「ところで、きょうは、丸の内の保存建築を見ることになっていましたね。」
「このあたりには保存建築が多いのですか?」
「多い。しかもこのあたりはいろんな保存のやり方が見られる保存建築の博物館みたいな所なんだ。」
「東京駅は復元と保存を同時にやったものですね。」
「しかも、これだけ大規模な建築を復元して、全体を免震構造にしたものは、他にないだろうなあ。」
「東京駅は、場所といい、デザインといい、いろんな意味で東京を代表するモニュメンタルな建築、東京の顔と云ってもいいんじゃないでしょうか。」
「大勢の観光客が見に来て写真を撮っています。こんなにみんなに親しまれている建築は他にないんじゃないでしょうか。私も大好きです。」
「建築家第一号の辰野金吾が設計した代表作という意味でも、近代の建築保存のよい見本ができた。」
「よかったですね。」
「丸ビルと新丸ビルは保存せずに、完全な建て替えだ。」
「だけど、両方とも元のビルの形が分かるようにデザインされています。」
「うん。そのために昔の広場の形がなんとなくたどれるようになっている。それは面白い。」
「このあたりは100尺つまり30.3mの高さ制限があったから、昔はビルの高さがそろっていたんだ。建築と広場のスケールのバランスがよかった。」
「両方とも単なるオフィスビルではなく、低層階にかなりショッピングを入れて一般の人も入れてるね。」
「平日も土日も観光客が来て賑わっているね。」
「丸ビルも新丸ビルも単なるオフィスビルから、ショッピングを楽しめるビルに変わりましたね。」
「楽しい店がいっぱい入っています。」
「工業倶楽部は昔のビルの手前約三分の一を残して、その上に超高層ビルをつくった。」
「大きなビルが乗ってますね。」
「文化財を保存するかわりに、後ろのビルの容積率を緩和するという法律を利用して、経済的な負担なく保存を実現した。」
「それだけ後ろのビルが高くなったと言うことですか?」
「そうだね。30階建の三菱信託銀行の本店ができた。」
「ここは内部が豪華なクラブだから、昔の部材を活かしながら内部の主な室は復元したらしい。」
「一口に保存と言っても、いろんなやり方があるんですね。」
「このあたりは、日本のビジネスセンターだから、もとから質の高いビルが多かった。だから、超高層ビルの時代になったときに、壊すか、残すか、そのたびに問題になったんだ。」
「かなり無理して設計したことがわかるなあ。」
「ちょっと変わった建築ですね。」
「そうなんだ。実に奇妙だ。上はタイル貼りだし、入口周りは石造だ。新しい様式を模索していた時代なんだろうなあ。」東郷さんは考え込んでいる。
「ここは日本の産業を代表する財界のクラブです。全体の壁面はタイル貼りだけど、クラブの権威を表すために、入口周りは最も格調の高いギリシャ神殿のドーリス式の柱が立っている訳です。」
「そうか、それにしても、柱を二本ずつ組み合わせてちょっと変わったデザインだなあ。」
「上の方に彫刻のようなものが乗っています。」
「ハンマーを持った男と糸巻きを持った女の像が乗っている。当時の代表的な産業を示しているわけだ。」
「壁面も不思議なデザインですね。」
「セセッション様式といわれている。」
「これができた1920年は、ちょうどモダニズムが始まった年ということになっている。docomomoが保存すべき近代建築の選定基準の始まりとしている年ですね。あとから見ると歴史の曲がり角だ。」
「1階のエントランスホールから2階のロビーへ移動する階段です。」
「立派な階段ですね。」
「ただ移動するためではなく、階段自体がみごとな空間を演出しています。」
「2階のロビーです。」
「木の使い方がいいなあ。落ち着いた空間になっている。」
「素敵ですね。」
「大宴会場です。」
「わー、見事ですね。」
「とっても丁寧に手をかけているけど、古典的なパターンではなく、自由なデザインでまとめています。」
「格調が高いというか、気品がありますね。」
「日本の近代の建築として、最高級のインテリアだと思います。」
「素晴らしい建築だけど、玄関ホールを覗いただけで、まるで野良犬のように追い出されるのは、いただけない。」
「そうだよ、文化財として保存して、容積率の割り増しを受けたんだから、せめて玄関ホールくらい、市民の見学に開放すべきだと思うよ。」
「これは、日本興業銀行(みずほ銀行)。ここにも名建築が建っていたけど、あたらしく村野藤吾が設計した。面白いビルだからよく見てね。」
「柱が平べったくて、黒くて、ツルツルしている。」
「そうだね。石の磨き方が特別だ。しかし、よく見てほしいのは、ビルの足もとなんだ。柱の根元の間に小さな植え込みがあって低い木や草が丁寧に植え込まれているでしょう。まるで、茶室の庭のような繊細な感じじゃないですか。」
「こんな東京駅のすぐ前にお茶の庭があったのですか。意外ですね。たしかに西洋風の街路樹や花壇とはちがうしっとりとした風情がありますね。」
「こんなビル街で、さりげなく和風の庭を作ってみせるのが、村野さんのすごいところなんだ。」
「次は東京銀行集会所です。ここは道路に面した2面の壁だけ残して内部は取り壊してビルにしてしまった。壁面保存というわけです。」
「あら、中は保存しなかったんですか。」
「ここの内部はほんとに豪華なクラブのインテリアだったので、内部こそ保存してほしかったんだけど、聞いてもらえなかった。」
「ここの新築部分は20階建てだ。」
「壁をよく見るとレンガと石を組み合わせた手の込んだデザインですね。」
「これは今見て来た工業倶楽部より4年前、同じ横河工務所のしかも同じ担当者松井貴太郎の設計なんだ。」
「それにしては、まったく印象が違いますね。」
「そうでしょ。それが過度期の特徴なんだろうなあ。」
「東京駅が大正3年、これが大正5年ですから、東京駅とも2年しか違わない。だから東京駅とも似ているでしょう。」
「そうですね。レンガと石。でも…こちらの方がずっと細かいデザインです。」
「じつは、東京駅と銀行集会所はレンガ造、工業倶楽部は鉄筋コンクリート造なんです。」
「設計した建築家はどういう人だったんですか。」
「横河民輔は東大10回卒、横河工務所という設計事務所を中心に横河橋梁、横河電機など横河グループを作り上げた。大きな仕事をとって、仕事は部下にまかせた。横河自身は卒業後一度も図面を引いたことがないといわれている。担当の松井貴太郎は26回卒で、横河の下で、設計をまかされていた。しかも雑誌を舞台にバリバリ発言する論客でもあった。」
「そういえば、“今日は帝劇、明日は三越”という宣伝文句が一世を風靡したそうだけど、たしか両方とも横河工務所の設計だったよね。」
「松井貴太郎は、組織事務所の中でデザインをまかされて自由に腕を振るった。最高の作品は日比谷にあった三信ビルだけど、最近取り壊されてしまった。」
「あら、それは残念ですね。」
「しかもこの人は長生きして、昭和20年終戦の年に横河民輔が死ぬと代わりに横河工務所の代表者に就任して戦後も活躍して、1963年78歳で亡くなるまで現役だったんです。」
「すごい人だなあ。まるで日建の林昌二みたいだ。」
「なかなか手の込んだ窓でしょう。」
「デザインを自由に楽しんでいるなあ。相当腕の立つ人だったみたいだなあ。」
「面白いですね。窓の中に窓があるみたい。」
「このあたりは、大きなビルばかりで、道の向こうは皇居のお壕だし、すごいところですね。」
「このへんは、100年以上前に一面の草原だったので、国が民間に払い下げたんだ。それを三菱がまとめて買い取った。東京駅が出来る前だったけど、将来ビジネスセンターになると予見していたらしい。」
「じゃあ、ここは三菱がつくった街なんですか。」
「そうです。土地を買うと同時に、ジョサイア・コンドルというお雇い外国人の建築家を雇って本格的な街をつくり始めた。」
「あっ、その人イギリスから来て、日本に初めて西洋建築を教えた人ですね。」
「わーっ。これはすごいですね。」
「明治生命館は様式建築の最高傑作といわれている建築です。これを設計した岡田信一郎という建築家は体が弱くてヨーロッパへ行ったことがなかったんだけど、ここまでできる腕があった。」
「東大でさっきの松井貴太郎と同級生だったそうだ。」
「岡田さんはものすごい秀才で、腕もたつし、すごい美男子だった。当代一の美人と評判の名妓万竜と結婚して新聞に大きく書き立てられたこともあるんだ。」
「あら、私、万竜さんて聞いたことがあります。ポスターのモデルになった人でしょ。」急に恵美ちゃんが振り向いた。
「そうなんです。だけど、二人で人力車に乗っていると、岡田さんの方が目立ったというほどいい男だったらしい。」
「岡田さんの唯一の欠点は、体が弱かったこと。この工事が始まったころは、病気が進行して現場にでることもできなかったので、現場の様子を16ミリフィルムで撮影させて、病床から指図したと云われている。」
「すごい人ですね。」
「ヨーロッパに学んで、日本人がここまでできるようになった、という記念碑的な建築ですね。このころにはモダニズムの運動が始まっていたから、これは最後の様式建築といってもいいかもしれない。」
「フルーティングという溝を掘った柱、柱の柱頭の飾り、壁の深い表現、どれをとっても見応えがある。」
「柱の上とか装飾が見事ですね。」
「ギリシャ神殿をお手本にした、コリント式の柱頭がみごとです。」
「バリバリの様式建築。岡田信一郎は歌舞伎座も設計してるんだよなあ。」
「あれは、和風ですよね。」
「ニコライ堂もそうです。コンドルが設計したドームが関東大震災で落ちたので、それを設計し直したから、いまのニコライ堂はコンドル+岡田信一郎のデザインなんです。」
「なんでもできた人なんですね。」
「ものすごい勉強家だった。英語の本もすごいスピードで読んだらしい。東京芸大の教授だった。」
「窓や、街灯の金物もいいですね。」
「しかも、保存修復されて、1階営業室まわりが公開されているんだ。」
「いままで見て来た保存は部分的だったのに、ここは、外壁だけでなく、全体を残してくれたんですね。」
「そうですね。近代の建築にしては珍しい重要文化財に指定して、会社としても保存するぞと強い意志を示した、画期的な保存建築なんです。」
「中が公開されているのはありがたいけど、ここをレストランか喫茶店にして活用してくれるともっとうれしいなあ。」
「ここはまたとっても面白い保存ビルなんですよ。」
「ただの保存ではないんですか?」
「お壕に面した第一生命と後ろの仲通りに面した農林中央金庫をいっしょにして一つのビルにしてしまったんだ。」
「あっ、そうだったの?」東郷さんも知らなかったらしい。
「しかも、その両方とも渡辺仁の設計した名建築だったんです。」
「どうやって一緒にしたんですか?」
「それが面白い。第一生命の正面は完全保存、農林中金は解体して柱の上と下など主要な部分を残して再構成したんです。あとで、裏側を見ることにして、まずは表側、第一生命を見てみましょう。」
「これは、どっしりした感じですね。」
「そうだね。柱も四角いし、装飾がほとんどない。」
「少し離れてみると明治生命館と似ていると思いましたけど、近くで見るとまるでちがうものですね。」
「明治生命館より4年遅いだけなんだけど、すでに日本が戦争に突入してゆく不自由な時代だったんだ。」
「足下を見てごらん。大きな石でしょう。こんな大きな石を使ったビルはめったに見ることがないと思うよ。」
建築家の東郷さんはメジャーととりだして測っている。
「この柱の根元の石、いま測ってみたら、厚さ15センチ、縦・横約2メートルだ。こんな石が下から上まで張り巡らしてある。」
「あら、中も大きな石だわ。すごい圧迫感。まるで、古代神殿みたい。」
「そうだね。この建築の工事は戦争に突入するころだったから、鉄とかコンクリートとか、戦争に必要な材料がなかなか手に入らなくなっていたんだ。でも、石は戦争には必要ないから、こんな大きな石が手に入ったんだね。」
「戦争のせいで、古代神殿ができたなんて、面白いですね。」
「こまかな装飾がなくて、石の存在感だけが際立っている、荘厳な雰囲気があるなあ。」
「ここの四角い柱が並んだ外観を設計したのは、渡辺仁なんだ。」
「えーっ。たしか東京国立博物館をコンペでとって、銀座の和光を設計した人ですか?」
「そうなんです。なんでもこなした器用な人なんですよ。しかし、この四角い列柱が並んだ外観は、当時、ドイツがナチス体制になって、そのころはやったスタイルに似ていたから、戦後にファシズムの建築といわれて非難されたんです。」
「また、非難されたんですか、渡辺さんがかわいそう。」
「今になってみると、なぜこれがファシズムなんだか意味がわからないなあ。」
「しかし、戦争に負けて、アメリカの進駐軍が入ってきて、焼け残った主な建築を接収していったんですけど、この第一生命館には連合国総司令部(GHQ)が置かれて、長官のマッカーサーの執務室もここに作ったのです。彼らはこの建築が気に入ったらしい。その部屋は今も記念に残っています。」
「じつはマッカーサーと渡辺仁さんは面白い縁があるんだ。渡辺仁のもう一つの建築として知られている横浜のホテルニューグランドは、マッカーサーが新婚旅行で日本に立ち寄ったときに泊まったのだ。それでかれが日本に進駐したとき最初の夜をすごすためにこのホテルを選んだのだ。」
「マッカーサーはまた渡辺仁の建築を選んだわけですね。面白いお話ですね。」
「では、裏側にまわってみましょうか。」
「あら、ぜんぜん違う表情ですね。」
「イオニア式の柱頭と足元が元の農林中金の建築から取って使ったものなんです。しかも昔の建築の側面をばらして両側に配置してある。全体は新しいファサードなんですよ。」
「えー。ぜんぜんわからない。全体が古い一つの建築に見えます。」
「そうだよね。古い部材も自然にあるべきところに収まっているし、全体がなかなか風格があるねえ。これはうまい!」
「まるでニューヨークの街みだいな雰囲気です。」
「この大胆な設計をやってのけたのがアメリカのケビン・ローチと清水建設なんです。」
「農林中金のビルは解体されちゃったけど、前より堂々として立派になったみたいだなあ。」
「そうだね。第一生命と農林中金という二つの建築を、両方の顔を立てながら、一つのビルにまとめあげた腕前はすごいもんだ。見直したなあ。」
「アメリカでは、こういう手法も珍しくないみたいなんです。」
「それで、手慣れたケビン・ローチを使ったのか。」
「設計の打ち合わせに30数回行き来したというから、形だけの協力ではなく、双方が真剣に協力したようです。」
「それは大変ですね。」
「ケビン・ローチは、完成したときに来日して、第一生命のエントランスホールを見て、設計が成功したことを確信したそうです。これだけのスペースがあれば、オペラの『アイーダ』が上演できるじゃないか、と語ったそうです。」
「上を見てください。ここも超高層を乗せているんだけど、いままで見て来た保存建築の超高層部分はガラスのカーテンウォールで、保存部分と対照的なデザインになっていたけど、ここは石を使った下のデザインで全体をまとめているでしょ。」
「そうだね。他の保存建築は保存建築と超高層ビルが別の建築のようにデザインされているけど、ここは見事に一体化している。」
「第一生命のデザインがそれだけモダニズムに接近していたとも云えるかもしれませんね。」
「第一生命館の上にガラスの窓が見えますが、なんですか?」
「あそこは第一生命と農林中金の両社が共同で使うカフェテリア(社員食堂)になっているんです。皇居の森を見ながら食事ができる場所なんです。」
「最高の場所ですね。」
「本社ビルの中の最高の部屋を社長室や役員室ではなく、社員食堂にしたということが、何よりも素晴らしい。」
「もう一つ素晴らしいことは、エントランスホールが公開空地として一般に開放されていることなんです。」
「いろいろ見所のある面白い建築だなあ。おれは見直したぞ。」
「私も、とってもいいと思いました。」
「これは、丸の内の保存建築の最高傑作じゃないかなあ」
「うん、間違いなく最高傑作だ、できれば、8階のカフェテリアを月に一度でもいいから、一般に開放してくれないかなあ。人数を限定した抽選でいいから。」
「これが丸の内オフィス街の第一号のビルです。」
「これは完全にレンガ造みたいですね。こんなビルがこのあたり一面に広がっていたんですか。」
「このあたり全部このようなレンガ造のビルで埋め尽くされていたのです。」
「日本じゃないみたいですね。」
「だから一丁倫敦(ロンドン)と言われていたんです。」
「日本に最初に洋風建築を伝えたコンドルと弟子の曽祢達蔵という建築家が設計したものなんです。しかし、しだいに高層ビルへ立て替えがすすんで、最後に残ったのが、このビルだった。」
「建築学会も保存の要望を出したんですが、聞いてもらえずに、1968(昭和43)年に抜き打ち的に壊されてしまいました。」
「今になって、これだけ建っているのは、どういう理由なんですか。」
「文化財を保存したら、後ろの超高層ビルの容積を増やしてあげるという法律ができたから、元の建物を忠実に復元したんだ。」
「あーら、再建したのも経済的な理由なんですか。」
「壊すのも経済、再建するのも経済。文化的価値があるから残すという判断は、残念ですが、今の日本人にはできない。今はすべての判断の基準はお金なんだ。」
「じゃあ、これは、いったん壊されて、こんどは同じものがまた作られたんですか。」
「これも、頑張って作ったらしいけど、そんないきさつがあるから、どうしても嘘っぽく見えてしまう。レプリカの悲しいところです。」
「もとの建物を残せばよかったのに。」
「そうなんだよね。すごい努力をしたのに、逆に建築文化の貧困を感じてしまうんだよね。」
「一号館の裏に広場を作ってくれたので、大勢、ベンチに座ったりして休んでいますよ。これはありがたいですね。」
「それは、いいんだけど、なんだかチマチマしているんだよなあ。もう少し、おおらかな広場にして欲しかった。」
「そうなんだよ。丸の内という日本一のビジネスセンターの広場を作るという気概が欲しかったなあ。」
「曽祢達蔵という人は、辰野金吾と一緒に勉強した第一号の建築家ですが、このあたりのビルを沢山つくった。一号館はコンドルが設計して曽祢が監理したといわれている。」
「このあたりのビル街は曽祢達蔵が中心になって作り上げたんだけど、いまでは曽根が設計したものは何も残っていない。」
「三菱地所もこのあたりの保存事業のほとんどに関わってきて、今ではずいぶん保存と活用に熱心になっているみたいですね。」
「丸の内全体がショッピングも楽しめる街に変わってきました。」
「とってもいい街になってきたね。これは三菱地所の努力が実ってきたといってもいいと思うよ。」
「中通りが随分楽しい街路になってきた。ここは、歩いて楽しいところだ。」
「昔は、土日は、人がいなくて閑散としていたから、すごく変わったよ。」
「両側のビルの1階にショップを入れたのが成功した。」
「ただし、高級品の店ばかり、カフェやレストランを増やさないと面白くない。」
「そう、見栄えだけでなく、市民が楽しめる店が欲しいなあ。」
「では最後に中央郵便局をみましょう。」
「工事中に政治家が口を挟んだので、大分話題になったけど、外観はよく残ったね。」
「初期モダニズムの傑作と云われている建築だけど、外観は完全に保存してくれたみたいだ。」
「タイル張りも昔のとおり復元したみたいだね。」
「東京駅前の広場を囲む建築のなかで、東京駅と中央郵便局が残ったのはほんとによかった。」
「タワーが大きいですね。」
「jpタワーは38階建て、ちょっと異常に大きい。」
「うーん。なかなかいいね。モダニズムの幾何学的な秩序が支配しているけど、どことなく様式建築のバランス感覚があるなあ。」
「モダニズムの柱・梁のようでもありますが、どことなく列柱の面影も残している。中心に時計を付けて、正面生を強調しているのも興味深いですね。」
「たしか、丹下健三はこれを“衛生陶器”と軽蔑して、和風のモダニズムへ進んでいったんだよな。」
「わーっ、すごい。中の使い方がずいぶん大胆ですね。」
「昔の郵便局の部分に大きな吹き抜けをつくって、周りを物販店で取り巻いている。」
「しかも、昔のビルの外壁にそって古い躯体を活かしています。」
「まったく新しい保存のスタイルですね。」
「古い建築を保存しながら新しい用途に活用するコンバージョンというやりかたがありますけど、そんな感じがします。」
「中央郵便局は100尺の中に5階分という余裕のある設計だから、転用もできたんだろうなあ。」
「丸の内の最後の保存建築になります。」
「きょうは、丸の内の保存建築を見てきたけど、どうだった?」
「保存建築がたくさんありましたけど、みんなそれぞれ違う特徴のある保存方法なので、驚きました。」
「十分みごたえがあったなあ。ここは本当に素晴らしい近代建築保存の博物館だねえ。」
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丸の内建築保存リスト | |||
オリジナル建築 | 竣工年 | 和暦 | 設計者 |
日本工業倶楽部会館 | 1920 | 大正9 | 横河工務所/松井貴太郎 |
東京銀行集会所 | 1916 | 大正5 | 横河工務所/松井貴太郎 |
明治生命館 | 1934 | 昭和9 | 岡田信一郎 |
第一生命館 | 1938 | 昭和13 | 渡辺仁/松本与作 |
農林中央金庫有楽町ビル | 1933 | 昭和8 | 渡辺仁 |
三菱一号館 | 1894 | 明治27 | J.コンドル |
東京中央郵便局 | 1924 | 大正13 | 吉田鉄郎 |
東京駅 | 1914 | 大正3 | 辰野金吾 |