設計:日建設計(林昌二)
竣工:1996年
静岡県掛川市
新幹線に乗って静岡を過ぎると右手に丸いアンテナのようなものを乗せたビルを一瞬目にすることがある。
気になっていたのだが、ここへ来てみてやっと理解できた。
あれが掛川市庁舎だったのだ。
これこそ掛川市が仕掛けた「あれはなんだ効果」なのだ。
近づいてみると、端正な縦横のラインがきっちりと区切ったガラスの向こうまで見通せる透明感は普通ではなかった。
片方が小高い森に突っ込んだ、そしてコンクリートの太い骨組みが次第に高くなってゆく構造が見えてきた。
これにより、各階から水平に避難路が確保されている。
エントランスの庇が葉っぱのような不思議な形をして、建築の幾何学的な形と極端に対照的な形になっているのに驚かされる。
上から見下ろすと、入り口の庇は、まさに葉っぱ。そうだ、掛川市の主要産業お茶の葉になっていることがわかる。
それにしても、ずいぶんわかりやすいデザインだ。
玄関を入ると、ひと目で庁舎の全景が目の前に広がった。
幅広い階段が玄関前から最上階まで一直線に続いている。
しかも、そこだけ木造、そこだけ木の色が目に入る。
オフィスのすべての階が雛壇状になっており、各階のオフィスの手前にはテラスが伸びている。これは「生涯学習テラス」として市民に開放されており、市民は誰でも自由に使うことができる。
木製の広々とした階段は上りやすく、自然に5階まで登ってしまう。
雛壇式のオフィスは、掛川市の主要産業である茶畑をヒントにして作られたと言われている。
開かれた、市民のための市庁舎ということが一目でわかる。
これほど分かりやすい市庁舎は見たことがない。
各階のオフィスの前に「生涯学習テラス」があり、向こうに階段があり、その向こうに廊下があり、そしてガラス窓がある。
大きな窓の向こうに木々の茂みが見える。
実に開放的なオフィスだ。
テラスに子供たちが集まって、説明を聞いている。
下のテラスでは、大きな机に書類を広げて打ち合わせをしている。
その向こうには小さな机を囲んで4人で打ち合わせをしている。
このテラスは実に生き生きと使われたいるのだ。
最上部のテラスから、吹き抜けの大きな空間の全体を見渡す。
正面の右側に2台のエレベーターが上下している。
中央の下方にちょっと赤い演台が見える。
手前に立っている棒の上にに見えるのは、茶畑で使われている霜除けのファン。
ホールには何台ものファンがあり、上下の空気の温度差を調整している。
掛川市の市章のついた演台では、毎年新年の仕事始めの日に市長がここに立って、年始の挨拶を行う。
その際、全職員は、各階のテラスに出てきて、これを聞くことになっている。
講堂のようなところが必要ないわけだ。
当然、やろうと思えば、コンサートホールのような使い方もできる。
シティホールという言葉がピッタリだ。
大きなガラス窓と廊下。
普通のオフィスでは、光の入らない暗いところに廊下が作られるが、こんなに開放的で明るい廊下は珍しい。廊下を歩くことが楽しくなる。
この透明感。壁全面が極めて透明度の高いガラス。
うーん、毎日展望台に登っているような、こんな楽しい市庁舎は滅多にない。
南側の廊下。明る過ぎるので日除けが下がっている。
この窓の外には市街地の大きな景色が広がっている。
北側の廊下。窓の外が森になっている。
こんな快適な廊下はちょっと考えられない。
廊下の天井部分を見上げると、この建築の構造が完全な鉄骨だけであることがよくわかる。
耐火被覆が全くないことに注目してほしい。
この市庁舎がシンプルで透明感の高い空間を作り出しているのがこの単純な構造によっていることは一目瞭然だ。
この建築は、建築基準法の38号認定により建てられた、と言われているが、耐火被覆のない剥き出しの鉄骨の骨組みが実現したのも、特別に安全性の証明が認められたためだと思われる。
38号認定とは、一般的に建築物は、建築基準法に則って作らなければならないのだが、安全性を証明して、基準法からはみ出した特別に認められた構造などの場合のことだ。
この構造によって、全体が非常に透明性の高い、明るい大空間が実現したということだ。
両側の廊下の上にかけられた緩やかなアーチ状の軽快な天井。
細い部材がいかにも軽やかな印象を強めている。
新幹線から見えた丸い銀色のアンテナのようなものは、議会の議事堂だった。
椅子の配置が丸くなっている。
ここにも民主主義の理想が表現されているような気がする。
議員の席の後ろに傍聴席が取り巻いている。
「秦(木篇に秦)村純一は昭和9年(1934)掛川市の旧桜木村に生まれ、43歳で掛川市長に就任(1977〜2005・7期)。
わが国初の生涯学習都市を宣言し、新幹線掛川駅設置を市民募金30億円と共に実現させた。市民の声をよく聞くための市民総代会を毎年開催し、逆川の大改修、エコポリス工業団地、東名IC設置、木造天守閣復元、オープン市庁舎等を次々実現し、一方でお茶の文化、木の文化、報徳文化をすすめ、掛川市を飛躍させた。
全国から地方分権の旗手と言われ、平成18年名誉市民に推された。」
銅像の台座にはこのように書かれている。
この建築は、この人の考え(オープン市庁舎)を形にして実現したことがわかる。
優れた指導者がいて、林昌二という優れた建築家に出会ってはじめて、優れた建築ができたことをこの市庁舎が見事に示している。
この建築を設計したのは日建設計という日本最大の設計事務所だが、その中でも、当時副社長を務めていた林昌二(1928-2011)という建築家の特別の思い入れのこもった建築だった。
林昌二は、銀座4丁目のかどに建つ三愛ドリームセンター(1962)、パレスサイドビル(1966)、ポーラ五反田ビル(1971)、などを設計したのち1996年掛川市庁舎を完成させた。
林昌二は東京工業大学で、清家清に学び、日建設計に入社した。
巨大な組織の技術力を駆使して、見事な作品を次々に世に送り出してきたが、この建築は、その中でも十分な経験を積んだうえで自信に満ちて作り上げた心地よい建築になっている。
68歳になった林昌二にとっては、楽しんで設計したような十分な余裕を感じさせる作品である。
実は、林昌二にとって、この掛川市庁舎は初めての建築ではなかった。
1955年に竣工した、旧掛川市庁舎は、日建設計によって設計されたが、その担当が駆け出しの林昌二(27歳)だった。
まだ、戦後10年にもならない資金も資材も極めて乏しい時代に、鉄筋コンクリートの打ちはなしで建てられた庁舎は、最小限の鉄筋とコンクリートで冷暖房のない、暑ければ、窓を開け放して作業をするようなスリムな建築だった。
しかし、その建築は美しいだけでなく、使いやすく、40年後、建て替えが必要になった時には、再び林昌二に声がかかった。
この旧市庁舎、よく見ると、十分な庇があり、ベランダがあり、近代建築でありながら、日本建築の柱梁の構成を素直に取りいれてできており、東工大に伝わる谷口吉郎の姿勢を見る思いがする。例えば、谷口吉郎設計の東京国立博物館東洋館の正面の姿と共通するものがあると思われるのだ。
この延長線上に新しい市庁舎があると思いば、いろいろと納得できるところがあるような気がする。
つまり、前川や丹下がヨーロッパから直輸入したル・コルビュジエ直伝の近代建築の流れとは少し異なるもう一つ別の近代建築の流れが、東工大を水源にしてかなりの大きな河に育っていったのではないかと思われるのである。
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