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ヨドコウ迎賓館

ヨドコウ迎賓館(旧山邑別邸)

 

基本設計:フランク・ロイド・ライト 

実施設計:遠藤新、南 信、

竣工:1924(大正13)年

兵庫県芦屋市山手町3-10

 

 1923年9月1日、帝国ホテル新館は、各界の名士500人を招いた落成記念披露宴の準備に多忙であった。

 アメリカ人設計者フランク・ロイド・ライトは、工事費がオーバーしたなどの理由で工事の途中で解任され、1年ほど前に帰国していた。

 あとを任されていたのは5年間ライトの元で助手を務めた遠藤新だ。

 この日も遠藤はバンケットホールの最後の仕上げを確認中だった。

 

 11時58分、突然床を突き上げる激しい揺れに襲われた。

 関東大震災である。都内のあらかたの住宅とビルが倒壊と火災によって失われる中、幸いなことに帝国ホテルの被害は軽微で倒壊は免れた。軟弱な地盤に対するライトの周到な構造計画が成功したあかしだった。

 今からちょうど100年前のことだ。

 

 当時の帝国ホテルは、1890年に開業するも経営状態が悪化、その立て直しのために指名されたのが、渡米経験があり欧米のホテル事情に精通した林愛作であった。

 

 林は帝国ホテルの新館の設計者は、以前から目をつけていたライト以外にないと考えていた。

 当時のライトは、まだシカゴ郊外の一連の住宅の設計で一部に名を知られていたに過ぎない。しかも、施主の夫人との不倫の末、使用人にその夫人を殺され新居を放火されるなど、最悪の状況だった。

 

 そのため、ライトは林からの依頼にすぐに飛びついたのだった。

 来日すると、すぐに数人の助手を雇い入れたが、その中に東京帝国大学卒業直後の遠藤もいた。ライトは仕事熱心な遠藤を特別に可愛がった。

 

 滞在中のライトが、灘の酒造家櫻正宗の当主、八代目山邑(やまむら)太左衛門の別邸として設計したのがこの建物だ。

 依頼のきっかけは、山邑の娘婿の星島二郎(元衆議院議長)が遠藤と懇意だったためで、ライトは敷地となる六甲山の麓の高台を視察し、すっかり気に入った。基本設計ののちライトは帰国したので、遠藤と南信が実施設計を行っている。

 

 このため、山邑別邸は、規模は小さいものの、同時期に進行していた帝国ホテルと非常によく似た作りが随所に見られる。

 ライトは帝国ホテルの石材に大谷石を選び、ひと山購入して大量に日比谷に運び込んだが、同じ大谷石がここでも使われた。

 

 大谷石の柱、壁の上に小さな風抜き用のまどが並んでいる。

 ライトが日本の風土を考慮して工夫した窓だ。

 風を取り入れるために工夫した小さな窓。

 

 大谷石には帝国ホテルと同じように幾何学的な装飾が施されている。

 

 日本ではライトの設計で6件ほどが建築されたが、そのうち、2件が現存し公開されている。東京目白の自由学園明日館、そしてこの旧山邑別邸である。

 ライトはこれ以後来日していないので、完成した姿を一切見ていない。しかし、どれもライトの思い通りに完成したのは、深く信頼を寄せた弟子、遠藤がライトの思いを込めたからである。

 

 廊下に沿って並んだ明るい窓から六甲の山並みや神戸の市街地の雄大な風景を見渡すことができる。

 

 窓にはライトの独特のデザインが施され、風景を引き立てている。

 山邑別邸は、六甲山から伸びている尾根の先端にあたり、芦屋の市街地から瀬戸内海まで見晴らす絶好の敷地に立つ。斜面の高低差に合わせて部屋が配置されたため、玄関を入ると次々に部屋が展開し、気がつかないうちに4階まで達している。

 

 食堂は、非常に格調の高い部屋としてデザインされている。

 正面のマントルピースを中心に厳格なシンメトリーにデザインされ、引き締まった部屋になっている。

 4面の壁から天井の中央に向かって伸び上がる天井を見上げると、幾何学的な図形により、そのシンメトリーなデザインが一段と引き締まって見えてくる。

 

 天井の四つの辺に小さな明かり取りの窓が開き、装飾となっている。

 食堂の中心的な存在が大谷石で作られたマントルピースだ。

 

 マントルピースの上の木製の装飾。部屋の正面性を強調している。

 

 こういう装飾を作らせると、ライトの天才的な筆捌きから、実に軽々と描かれてゆく独創的なデザイン。

 

 ライトがデザインしたスタンド。この場所にピタリと収まっている。

 

 この建築に何度も登場する金属製の装飾。半ば閉じながら、半ば光を通す、絶妙なデザイン。

 

 何気ない明かり取りなのだが、ちょっとした工夫によって絶妙な空間を切り取っている。

 ここでは、明かり取りの窓は和風を感じさせている。ライトなりの和風のデザインなのだろうか。

 

 1947年に、屋根材などで有名な淀川製鋼所の手に渡り、社長邸、応接間つまり迎賓館などとして使われていたが、1970年頃に、取り壊してマンションを建てる計画が浮上した。

 

 これに驚いたのが建築史研究者たちだ。関係者に要望書を出して再考を促した。そして代表者が社長と面会し、歴史的価値、保存の必要性などを説明すると、社長はその場で即座に保存を確約した。

 

 六甲の山並みの最先端に乗り出すように立っている。そのため、屋上からは、神戸の市街地、瀬戸内海まで、雄大な風景を存分に楽しむことができる。

 

 1974年、大正時代の鉄筋コンクリート造の住宅建築として初の重要文化財登録となり、大規模な改修を経て、89年より「ヨドコウ迎賓館」として一般公開がはじまった。

 

 顧客をもてなすために使われていた「迎賓館」の名称を生かして、今では広く市民を受け入れている。

 

 近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライトの建築が日本に残されていることの意味は決して小さいものではない。

 帝国ホテルが取り壊されてしまった今、この建築の価値は、ますます大きなものになっている

 東京、目白の自由学園 明日館とともに、いつまでも、大切に保存し、公開してほしい建築だ。

 私企業が名建築を自費で所有し、保存、公開してくれる、ありがたいことだ。

 ありがとう、ヨドコウ。

 

クレディセゾンの会員誌『てんとう虫』2023年3月号に掲載。

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コメント: 1
  • #1

    Midori Kobayashi (金曜日, 13 10月 2023 08:24)

    いつも色々な近代建築を紹介していただき、ありがとうございます。
    小川さんのお話と写真による解説は、楽しく、そして勉強になります。
    フランク・ロイド・ライトのヨドコウ迎賓館はとても美しいと思いました。
    そして不思議な雰囲気の建物だと思いました。石窟寺院のような(行ったことはありませんが)、イスラムの建物(イスタンブールに行ったことがあります)の雰囲気も少し感じました。いつか実際に行ってみたいと思います。

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。