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盛岡赤レンガ館と葛西万司

岩手銀行赤レンガ館 設計:辰野葛西建築設計事務所 1911(明治44)年

大きな交差点に面した角に塔があり、塔の下に入り口がある。

この建築はこの角度から見た写真で紹介されることが多い。

いかにも力強い印象である。しかし、わたしは上に紹介した横から見た上のアングルの方がが優美でいいと思うが、どうだろうか。

入り口周りは装飾がいっぱい。

特に、アーチの中にはめ込まれた金属のグリルが美しい。

塔の上部、このあたり、特に東京駅とよくにている。

じつは、この建築、辰野葛西建築事務所が東京駅と並行して設計していた。

いわば、バリバリの辰野建築なのである。

 

辰野金吾は東京帝国大学第1期生。お雇い建築家、コンドルが育てた日本人建築家第1号である。

卒業とともにコンドルの故郷、イギリスの設計事務所へ留学し、本場の建築を学んで来た。このためイギリスで流行していたレンガ造の建築を得意とする「辰野式」を追求した。その完成した姿が東京駅といわれている。

 

しかし、よく見ると、東京駅より、この岩手銀行のほうが美しい。

レンガの間に石灰岩の白い帯が入っている。これが辰野建築の特徴である。

この曲線を生かしたバルコニーは、実用的とは言えず、非常に装飾的である。

塔の上のランタン、丸いトップライト、全て、装飾である。

辰野建築は非常に装飾的、過剰なまでに装飾的なのである。

白い花崗岩の直線や丸の帯が非常に効果的に使われている。

とにかく賑やかだ。

東京駅と比べてはるかに装飾的にできている。

丸窓の周りの処理も非常に装飾的だ。

見ていて楽しい。

銀行の窓口。

腰の部分は美しい大理石でできている。

窓口の金属のグリルが実に楽しい。

塔の部分を見上げる。四角形の隅を切った八角形になっている。

手が込んでいる。

銀行の営業室。

今は空っぽだが、天井、照明器具など当時の様子がよくわかる。

天井の装飾はどこかで見たような記憶がある。

そうだ、江戸時代の両替屋の看板の形ではないだろうか。

銀行営業室。

奥に通じるドアの上部だが、なんとも丁寧な作りだ。

暖炉。

冬の盛岡では、暖炉は必需品だったに違いない。

当時の図面が展示されている。

階段の手すりが実にユニークだ。

 

楕円形がなんとも美しい。

設計した辰野金吾とともに、協働者の葛西万司が丁寧に紹介されている。

葛西は辰野より9歳若く盛岡に生まれ、15歳で上京、慶應大学を経て、東京帝国大学に入学している。

大学卒業直前に盛岡を代表する実業家にして資産家、葛西重雄に気に入られ、養子になっている。しかも同時に重雄の妻の妹タキと結婚している。つまり成績と人柄を見込まれて養継子となったのである。

 

大学を卒業すると、指導教授の辰野の指示で日本銀行に入り、日本銀行の本店の設計・工事に格闘していた辰野を助けた。

日銀の工事が終わると、葛西は日銀をやめ、今度は辰野が独立するのに合わせて、辰野と共同の事務所、辰野葛西建築事務所を設立する。

ここで葛西は、日本各地の日銀支店の設計を数多く手がける。

 

さらに最大のプロジェクト東京駅の設計という大仕事が舞い込んでくる。多忙な辰野に代わって事務所を仕切っていたのが葛西だった。

厳格、精力的だった辰野とは対象的に、葛西は温厚で優しく、事務所のスタッフに慕われていた。

この東京駅の設計と並行して設計されていたのが岩手銀行、つまり今日の盛岡赤レンガ館である。

東京駅が完成すると間もなく辰野は亡くなるのだが、するとやっと葛西は自分の事務所を設立し、自分の建築を自由に設計することができる状態になった。

 

盛岡にはこの時代の葛西の設計した建築が多数できたが、今残っている代表的な建築が盛岡貯蓄銀行、現在の盛岡信用金庫。赤レンガ館のすぐそばに残っている。

赤レンガ館の中には、葛西の作品が掲示してある。

盛岡貯蓄銀行(現在、盛岡信用金庫)の他に、盛岡聖堂、岩手農工銀行、旧岩手銀行本店、三笠映画劇場。)が紹介されている。

どれも、辰野金吾とは全く異なる、葛西の独自の設計である。

赤レンガ館のすぐそばに建っている盛岡信用金庫。

なんと、ギリシャ神殿のような丸い柱が6本立っている。

堂々たる銀行建築だ。辰野建築とはまるで違う。

確かに、ギリシャ建築のように見えるが、しかし、よく見ると、他では決して見ることのないユニークな表情をしている。

 

なかなか堂々とした、立派な銀行建築ではないか。

まず、このマークを囲む装飾がすごい。

垂れ下がる花房を左右の腕で引っ張り上げて、円形を取り巻く蔓がうねり、渦巻くようなダイナミックなデザインだ。

柱の間の四角の装飾もユニークだ。

4本の腕がハートでつながっている。

かなり独創的なデザインだ。

何と言っても一番興味深いのは円柱の最上部の装飾だ。

これは、多分、世界中にただ一つの独創的なデザインだと思う。

どこか、幾何学的で、近代的だ。

6本の平行線のリングが、玉を挟んで積み重なっているデザイン。

柱頭のデザインを受けて足元もユニークだ。

 

次は、

「もりおか啄木・賢治青春館」

 

元の名前は「第九十国立銀行」。

設計者は、横浜勉

竣工は、1910(明治45)年

見るからにバランスの良い、堂々とした建築だ。

 

レンガ造の建築の窓周りなど、要所を石で固めているのだが、その石の表現がずば抜けて上手い。

二つ連なった窓の上にアーチ状の石の縁取りが、しかも微妙に寄り添った形で作られている。

しかもその石の自然の凹凸を生かした形が実に興味深い。

いくら見ていても飽きない。

玄関入り口の上にもアーチ状の石の縁取り。それをギリシャ式の小さな柱が支えている。

ため息が出るほど、うまい。

格好いいですね。

いくら見ていても飽きませんね。

建築のコーナー、軒周り、いいですね。

屋根の中央にとんがり屋根。その上に装飾的な避雷針。

あー、電線が邪魔だ。

この建築は国の重要文化財になっているのだ。

ここだけは電線は遠慮して欲しい。

 

側面にも双子の窓があった。

しかも大小、リズムがある。

いいバランスだ。

幅の違う窓、二つのアーチの繋がり方の違いも面白い。

壁面の右端と左端の違いも面白い。

よくここまでデザインしたものだ。

コーナーの石の積み方もなんとも興味深い。

丸い石。6角形の石。面白い重ね方。

腰のラインが右からと左からと寄ってきて、ちょっと違う高さで結合する、重なり方がいいなあ。

こんなこと考える人が居たんだ。

 

 

外壁に比べると、室内は意外とあっさりとしていた。

 

横浜勉、建築界でもほとんど知る人はいない。

東京帝国大学建築科を1906(明治39)年に卒業した。

同期生9人の中に岡田信一郎、松井貴太郎という秀才がいる。

つまり、この建築は大学卒業後4年目に竣工している。

驚くべき早咲きの秀才だったことがわかる。

ところが、その後司法省に入ったり、鹿島組に入って、1960年81歳で逝去。

多分、このような作品はこれだけしか残さなかったのかもしれない。

 

どんな事情があったのかわからないが、残念。

 

岩手県公会堂

設計 佐藤功一

竣工 1927(昭和2)年

昭和天皇のご成婚を記念して、計画された。

県会議事堂、大ホール、西洋料理店、皇族の宿泊施設を含んだ計画だった。

入り口は重厚だが、幾何学的なデザイン。

壁面はスクラッチタイル。

塔があり、左右対称。

アーチのある廊下。

階段。

 

【参考文献】

葛西万司については、盛岡先人記念館が企画した「第49回 盛岡市先人記念館企画展 葛西萬司」の際に発行された10ページの小冊子が詳しい。

『建築雑誌』第56号691号(1942年11月)に多くの同時代の建築家の追悼文があり、さらに詳しい。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    Midori Kobayashi (水曜日, 28 9月 2022 09:12)

    横浜勉の、「もりおか啄木・賢治青春館」(第九十国立銀行)の石の使い方がとても独特でいいなと思いました。どのような建築家だったのか、興味が出ました。石が好きな人? 自分のスタイルを大事にする人?積極的で元気な人?
    ご紹介、ありがとうございました。


  • #2

    小川 格 (水曜日, 28 9月 2022 09:28)

    そうですね。ぼくもこの建築にすごく惹かれます。でも、この人、この他の建築はわからないのです。これは、大学を卒業してすぐの作品なんですが、その後鹿島建設に入ってしまって、自分の設計した建築はほとんどないみたいなのです。まだ、よくわからない人です。

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。