岡本太郎「明日の神話」

岡本太郎(1911〜1996)は20世紀後半の日本に旋風を巻き起こした異色の芸術家であったが、建築の歴史にも忘れがたい足跡を残した人物である。

東京渋谷駅は激しく変貌をとげているが、JRから井の頭線へ抜けるコンコースには岡本太郎の巨大な壁画が飾られていることに多くの人は無関心だ。

だが、これは、多くの奇跡が重なって奇跡的に実現した世界に類を見ないスケールの大きな壁画である。

岡本太郎は、漫画家岡本一平と奔放な生き方を貫いた作家かの子との間に生まれた長男である。1930年から10年間パリで生活し、ピカソを初めとする近代芸術の揺籃期に立ち会い、大きな影響を受けて帰国。

生まれといい、育ちといい、こんな男が普通に育つわけがない。

1951年に縄文土器を見て衝撃を受け、縄文芸術論を展開して波紋を広げる。折から建築界では桂離宮を崇拝する数寄屋的な日本建築論が席巻していたが、太郎が提起した縄文芸術論に衝撃を受け、激しい論争が展開された。

太郎は、1960年、メキシコでシケイロスの壁画に感動し、壁画への意欲を燃やしていたところへ、メキシコシティのホテルから壁画の依頼を受ける。

壁画は1968年〜69年に制作されたが、肝心のホテルが倒産。壁画は降ろされて行方不明になっていた。

時期は1970年の大坂万博の直前だから、太陽の塔を制作していた時期と重なる。

2003年にメキシコシティ郊外の資材置場で偶然梱包された壁画が発見された。

完成後30年、太郎の没後7年、壁画の所在を追い求めていた太郎のパートナー岡本敏子の執念が実ったのである。

しかし、壁画は相当に傷んでいた。それを日本に運び、修復した努力は並大抵のことではない。それはすべて太郎が残した資産をもとにつくられた㈶岡本太郎記念現代芸術財団の、つまりは岡本敏子の努力の賜物であった。

長さ30m高さ5.5mという巨大な壁画をちょうど収める絶好の場所がこの渋谷の駅コンコースに用意されたというのがまた奇跡的である。

ここに設置されたのが2008年11月、毎日数十万人が通るコンコースである。こんなに人の目に触れる壁画もめったにあるものではない。

壁画のテーマはずばり「原爆」である。この壁画が描かれた1960年代は米ソ両国による原水爆実験が繰り返され、核戦争の脅威が迫っていたのである。

壁画の中央には、核爆発の瞬間に燃え上がる人が描かれている。

核の炎はメラメラと通行人の頭上を舐めるように伸びている。まことに恐ろしい壁画なのである。

人類の頭上にこんな恐怖が迫っていることに警鐘をならし、警告を発しているのである。

原爆の炎に焼かれる人体のリアルな描写は驚くべきものである。左下には焼かれながら逃げる人々が描かれている。

まさに人体がメラメラと燃え盛っているではないか。

左手からは爆風とともに襲いかかる怪獣たち。

鋭い歯を持った一つ目の怪獣。

さらに火のの中から逃げようとする人々。

繋がった赤い舌をもった怪獣。

なんとか原爆の炎から脱出に成功した人か。

何を見ているのでしょうか。

大きな黒い煙の波が黒こげの人々を巻き込んでいる。

原爆の炎から人類を救いだすことはできるのだろうか。

右の方を見ると焼けた人体からはさらに巨大な火炎がメラメラと燃え上がっている。

炎は橋のような人工の構築物を飲み込もうとしている。

火炎の中にも逃げ惑う人々が見える。

人類を救出するかもしれない橋は炎に飲み込まれてしまったのだろうか。

人々は巨大な炎に包まれてしまった。

これは日本人が経験した原爆の地獄図である。決して絵空事ではない。

大きな炎の下には海が広がっている。太平洋だろうか。

海には船と鯨が描かれている。

人類は絶滅して妖怪の世界になるのだろうか。

焼き尽された人々の黒いシルエットが、黒い煙とともに上空へ上空へと吸い込まれてゆく。

妖怪たちが我が物顔で飛んで行く。

妖怪しか生きられない世界。

太平洋で行われた原爆実験により放射線を浴びた漁船が漂っている。

太平洋に出ていた漁船、第五福竜丸は原爆実験の灰を浴び、放射線にさらされた。

海の王者くじらまでが苦しんでいる。

われわれはこの壁画から何を読み取ればよいのだろうか。

 

広島、長崎と2度の原爆を経験した日本人は、なんと福島の原子力発電所の暴走という3度目の核の脅威に晒された。しかもこんどは自分たちの手でひき起こしてしまったのである。

いったい、太郎の鳴らした警鐘は日本人の心に届いているのだろうか。

壁画のあるコンコースからは、今日も渋谷のスクランブル交差点を目指して世界中から人が押し寄せてくるが。

「芸術は爆発だ」と叫んだ岡本太郎は、今日もこの光景を眺めて何を思っているのだろうか。

 

岡本太郎といえば、1970年の大坂万博のお祭り広場に建設された「太陽の塔」を思い浮かべる人が多いかもしれない。万博会場の中心に丹下健三が設計したお祭り広場の大屋根は世界で初めて実現した巨大なスペースフレームであったが、岡本太郎はこの屋根を突き抜ける巨大な塔を作ると主張して譲らなかった。

 

興味深いのは丹下健三である。かれは、簡単に太郎の提案を受け入れて大屋根に大きな丸い穴を開けて「太陽の塔」を受け入れたのである。

丹下健三は旧東京都庁舎でも太郎の巨大な壁画を受け入れている。

丹下が桂離宮のような弥生式の美学に囚われていたため、太郎のような縄文的な力が欲しかったのである。香川県庁舎では猪熊弦一郎の壁画が1階のホールに強烈な彩りを添えている。

丹下が自分で縄文的な力強いものを目指すと、「香川県立体育館」や「倉敷市庁舎」のように力みすぎて破綻が見えてしまう。

岡本太郎との共作はちょうど良いバランスがとれたのである。

 

それにしても、この壁画を注文したメキシコシティのホテルは開業前に倒産したというが、もし、開業していたら、この壁画をロビーに飾ったのだろうか?

渋谷のコンコースはこの壁画にとって申し分のない安住の地である。

 

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コメント: 1
  • #1

    小林みどり (木曜日, 25 7月 2019 10:59)

    岡本太郎の「明日の神話」を取り上げてくださりありがとうございます。
    この壁画がこの渋谷コンコースの大空間に置かれることになった奇跡を思い、感慨深かったです。横長のこの大壁画がちょうど入る空間が提供されたことは奇跡ですね。
    私はたまにここを井の頭線の方から通りますが、その時に岡本太郎の壁画とこの大空間が創り出すエネルギーに勇気をもらいます。あの核により燃えている人間は人類の悲劇の象徴ではなく、その悲劇にも関わらず、それによっても破壊されない人間の尊厳を表していると、以前どこかで読みました。
    毎日忙しくこの壁画の前を通る人たちは、ゆっくり鑑賞はできませんが、この壁画とこの空間がつくる人間への信頼のエネルギーで、一人一人が少し元気になっていると思います。
    2011年3月11日の地震による東京電力福島第一原子力発電所の爆発とメルトダウン、その後の状況は本当にやりきれないものです。チンポムが3.11後に爆発した第一原発の絵を壁画の右下に描きこみました。私はその絵を消さずに残してほしかったです。もし岡本太郎が生きていたら、「よく描いた!」とほめたと思います。
    大壁画「明日の神話」と、それを成り立たせている渋谷コンコースの大空間と、毎日そこを行きかう多くの私たちは、これから何を生み出すのかと自分に問いかけようと思いました。
    ありがとうございました。

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