宮脇檀の大邸宅

中山邸 設計:宮脇檀 1984(昭和59)
中山邸 設計:宮脇檀 1984(昭和59)

宮脇檀(まゆみ)、20世紀後半の住宅は、この人をおいて語ることはできない。RIAなどによる戦後の庶民住宅の歴史が生彩を失ってきたころ、燦然と輝きを放って登場したのが宮脇だ。なにしろ、デビュー作が石津謙介の山荘モウビィディックだった。

宮脇の住宅は、小さなコンクリートのボックスの中を立体的に工夫をこらして、魅力的な空間をつくるのを得意としていた。

シンプルなキュービックな箱のような形、そしてあざやかな色が特徴だった。

だから、この「中山邸」を一目見て、驚いた。えー、これが宮脇さんの住宅だって?

瓦屋根の乗った門がある。シンプルではあるが、れっきとしたお屋敷の門だ。

門を入ると、ガレージ。しかも、瓦屋根の乗ったガレージ!

これだけで、宮脇の普段の住宅が十分に納まる大きさだ。

中山邸平面図
中山邸平面図

玄関から、書斎、居間、和室、子供室、主寝室と、メインの導線が形成されているのに対し、玄関から右へ入って細い廊下を通って台所、食堂、そして居間のうしろを迂回して子供室、主寝室へ抜けるサブの導線が設定されていることに注目してほしい。

宮脇さんが、吉村順三から学んだ手法に違いない。住宅の中には廻れる道が必要だというのが吉村順三の教えである。

玄関。左側はコンクリート打ち放しの書斎の重厚な壁。その上にさしかけた木造の庇、玄関のアプローチはそんなコンクリートと木造の混構造の中を進んでゆくことになる。宮脇は、コンクリートと木造の混構造を意識的に追求していた。

コンクリートの固まりの中へ、少し和風の味付けをした木造の庇の下を進む。

玄関ホールの天井。

玄関ホールの足元の小さな開口部。正方形の小窓が3つ並んでいる。

大きく庭に開いた居間。嵌め殺しの透明なガラスの窓がじつに開放的だ。原則として窓は開かない。しかし、ガラスの上下に風を抜く小さな窓がある。

引き戸で開閉する「掃き出し窓」で和風になることを頑に拒否するこだわりが見える。

静かな中庭に向いた居間の暖炉とソファーのあるコーナー。ここの窓は食事室に接した半分は格子で隠してある。

居間の中心は、ゆったりと落ち着いたスペースだ。暖炉がポイントになっている。ここが老夫婦が静かに暮らすこの家の中心だ。

居間の南東を向いた窓は完全に開放的で、広い庭を豊かに味わうことができる。

居間と和室の部分は木造で、瓦屋根を乗せているので、内部にも木造の開放的で軽やかな天井が表現されている。

書斎は、コンクリートの厚い壁で囲われている。しかし、庭に向けた大きな窓をもっているので、それほど閉鎖的ではないが、落ち着いた空間になっている。竣工時の写真を見ると、オーディオセットや書き机がおかれて、豊かな空間になっていたようだ。

一人娘のための子供室もコンクリートの壁で囲われた閉鎖的な空間になっている。コーナーの窓は狭く、護られている感じを強調しているようだ。

子供室のドアの把手。そこに小さな窓。心憎い気配りだ。

夫婦のための主寝室。頭の上にくぼみがあり、朝日と小さいながらも通風が可能になっている。非常にこまやかな気配り。こんな細工が宮脇の得意技だ。

居間の通風用のまど。床に沿って風が抜ける、その快感を味わって欲しいという。これがあれば、ほとんどクーラーは必要ないという。

廊下の収納の下にも通風用の開口がある。家の中を床にそって風が通り抜けてゆく。

台所。低い窓の先に一人で暮らす老母のための離れがある。

トイレ。便器が少し角度をもって据えられているので、狭さを緩和している。窓も子供室の壁をさけて微妙な位置に取られている。広い敷地なのだから、もう少し余裕のある設計をすればいいのに、と思う人もいるだろう。しかし、この狭い空間に工夫を凝らす、それが宮脇の身に付いたクセだ。宮脇という人はこういうところに設計の醍醐味を見いだしていたにちがいない。

玄関横から庭を見ると、書斎、居間、和室、子供室と雁行している様子を見ることができる。その向こうには、蔵が見えるが、二階の窓が大きく改造されているのがわかる。

閉鎖的な子供室と、開放的な和室。まったく雰囲気のちがう二つの部屋を瓦屋根で統一感をだして連続させている。

居間の外、庭にテーブルと椅子がセットされている。

少しむくりを感じさせる瓦屋根を暖炉の煙突が突き抜けている。

宮脇の瓦屋根の住宅は、本当に意外であった。瓦屋根にしたのは、この敷地、じつは大きなお屋敷で、設計を依頼されたときには、正面に大きな長屋門があり、敷地は堀に囲われていたそうである。

堂々たる長屋門の瓦屋根に合わせて、全体の雰囲気が自然に決まったという。

しかし、瓦屋根を乗せることにはしたが、「和風」にはしたくなかったという。

施主の中山さんは、設計に一切注文を付けなかったそうだが、ただ一つ「ボックスだけはかんべん願いたい」とはじめに断ったそうである。

左側が浴室とトイレ、正面が子供室。重厚なコンクリートの壁が印象的。

開口部の少ない子供室。一見、大谷石の蔵を思わせる。「箱入り娘」という言葉が頭をよぎる。大切に育てられたにちがいない。

子供室の横長の小さな開口部。

子供室の小さな窓。

蔵の二階は大きな窓を開けた。

広大な庭にはバラを初め、四季おりおりの花が咲き乱れ、春には、近所の人に庭を開放して、この蔵の2階でもてなしたそうである。庭がよく見えるように大きな窓を開けたという。

敷地は、植木で有名な埼玉県の安行(あんぎょう)で、周辺はいまも樹木が多い。

宮脇さんの住宅を見学する機会はめったにない。

たまたま誘われて見学することができた。

 

広大な敷地の中の大きな住宅。宮脇さんとはとても想像できないものであった。

できて30数年しかたたないが、施主の老夫婦は、老後の相続のことを考えて、売却を決断したようだ。取り壊しの前に見学会を許していただいたそうである。

 

宮脇は、典型的なモダニズムの建築家と見られている。自ら軽薄に振る舞ったし、流行の最先端をゆくのを粋がっていた。しかし、じつは意外と環境に強い興味と感心をもち続けた建築家でもあった。宮脇檀は、法政大学に非常勤講師として10年間勤務し、その間、夏休みに学生たちをつれて、デザインサーベイを行ったことが知られている。日本各地の古い環境を残した地域を綿密に調査して図面化した。この時に環境と建築のあるべき姿を深く学んだことが後の設計に生きている。この中山邸は、その典型的な作品かもしれない。

環境を重視するモダニスト。モダニズムは、多様な環境を超えて画一的な建築を目指したから、「環境を重視するモダニスト」という言葉は自己矛盾しているようだが、宮脇は晩年になると、といっても62歳で生涯を終えているので、決して老後というわけではないが、ネパールやブータンを好んで旅行した。咽頭ガンを発症したのもカトマンズだったという。

願わくは、もう少し長生きして、環境を重視したモダニズムの集大成を見せてほしかった。

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。

 

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