ドイツの都市と建築を見る10日間ほどの旅をしたので、報告をしよう
まずはドレスデンから。
ドレスデン駅前の大通りに建つまったく同じ三つの建物。その真ん中が予約していたibis・ドレスデン・ケーニッヒシュタイン・ホテルであった。
あっけらかんとしたエントランス・ロビー。
これまた、あっけらかんとした、広く、まっすぐな客室廊下。
このホテル・チェーンのデザイン・ポリシーなのか。なんとも直裁な表現。
窓から見ると、向い側に同じ建物が見える。向こうもホテルらしい。まったく同じ窓が並んでいる。
いったい、こんなデザインあるのか?しかも、駅前の一等地に。すべてがあり得ない風景だ。
大通りを挟んだ反対側には、コルビュジエのマルセイユをまねた巨大なアパート。
ここがホテル前のメインストリート。広々としているが、なんともそっけない街。45年間、東西に分裂されていたドイツが1990年に再統一されて、まだ25年。ドレスデンは、もと東ドイツ。
そうか、ホテルもアパートも、デパートも、この商店街も社会主義時代の産物なんだ、と改めて感じさせられた。
あの、崩壊直前のソ連の、国が計画し、官僚主義が進めた無表情な都市。あの面影が残っているのかもしれない。それは、この地に降り立つまで、まったく予想もできなかった現実だった。
こんな斬新はデザインも見せてくれる。これは、そんな官僚主義から脱皮しようとあがく過剰なデザインかもしれない。
メイン・ストリートのすぐ裏側にはこんなシネマコンプレックスの建築があった。あとから調べてみると、ウィーンの建築家集団コープ・ヒンメルブラウの設計であった。ただただ奇をてらった作品だ。とくに、この街にはまったく相応しくない建築だ。
これは、その脱官僚主義が思いっきり過剰に噴出した例にちがいない。
旧市街に入ってゆくと、かっこいい市街電車が走っていた。この街はとくに路面電車が活躍しているように見える。デザインも古い街の風景によく似合う。
日本の電車のださく、かっこわるいのが残念でならない。日本に優れたデザイナーがいないわけではない。経営者にデザインの価値のわかる人がいないからだ。パナソニックやソニーのテレビがサムスンに負けた理由がまだわかっていない。
ドイツでは、宿泊したすべてのホテルの客室のテレビはサムスンなど韓国製であった。
街中にアーケードがよく通っている。空間に余裕がある。
10月だったので、街の広場は収穫祭で賑わったいた。昼間からビール、ソーセージ、ザワークラウトで楽しむ人たちであふれていた。
いよいよ旧市街に入って行く。すり減って丸みをおびた石畳がこの街の年齢を感じさせてくれる。
アーチ、尖塔、石畳、ヨーロッパに対する郷愁を満たしてくれる典型的な風景ではないだろうか。
ドレスデンは第二次世界大戦の末期、1945年2月に、英米軍の空爆で旧市街のほとんど全域が徹底的に破壊された。
空爆は、まず第一波で屋根を吹き飛ばし、第二波で焼夷弾で内部を焼き尽すという徹底したものであったらしい。広島と比較される悲惨な被害であった。
しかし、この壁画だけは奇跡的に破壊をまぬかれた。25,000枚にのぼるマイセンの磁器タイルで描いた「君主の行列」。
タイルにはザクセン選帝侯をはじめ当地の著名人がたちが精巧な腺画で描かれている。
最後には壁画の制作者をふくむ一般人たちも描かれている。
銘板に1876年という文字が大きく入っているので、我が明治9年の完成、出来てから138年目ということになる。
いや、はじめは漆喰に描かれていたが、のち磁器に作り替えられたらしい。
つまり、完全に近代になってからの作品なのだ。
壁画の裏側は武芸演技場の広場になっていた。つまりここは中世の面影を残している。
この壁面に注目してください。
凹凸のある壁面は、そばへよってみると、なんと平面の壁に描かれた絵であった。いわば「だまし絵」だったのである。
旧市街の中心部。宮廷礼拝堂と右の奥に見えるのが歌劇場ゼンパー・オーパー。
エルベ川に面した「ブリュールのテラス」美しい景観がつづく。
芸術アカデミーのドーム。ドレスデンを象徴するドームのひとつ。
ツヴィンガー宮殿。ドイツを代表するバロック様式の宮殿建築。ペッペルマンの設計によって1728年に完成した
しかし、ここも、1945年2月、イギリスとアメリカの空軍による無差別爆撃により壊滅した。瓦礫の山となった宮殿は、戦後もとの設計図にもとづいて再建が進められ、1985年にほぼ元どうりに復元完成した。
ここは現在、美術館と陶磁博物館として利用されているが、ここのアルテ・マイスター美術館は、ヨーロッパの美術史にそって各階が構成されており、ラファエロの「システィーナの聖母」、フェルメールの「手紙をよむ女」、ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」、クラナッハの「アダムとイヴ」などよく知られた驚くべき名品が次々に目の前に現れたのには、正直びっくりした。
曲線と反曲線を多用した装飾にあふれた典型的なバロック建築だ。
絵になる写真だなあ。
聖母(フラウエン)教会。ここも空爆で跡形もなく壊滅し、長く瓦礫の山になっていたが、世界中からの寄付が182億円に達し、市民の気の遠くなるような作業によって再建された。
作業は瓦礫の破片を一つづつコンピューターで部位を確定してゆく、「ヨーロッパ最大のジグソーパズル」と言われるものになった。見ると古い石材と新しい石材がまだらになって、痛々しい姿をさらしている。
内部は完全に再建された、新しい姿を見せている。デコレーションケーキのようなあまったるいデザインだが、聖母教会の名に通じる女性的な雰囲気のせいだろうか。
聖母教会の塔の上から街を見下ろす。復元された街並と教会の塔がドレスデン特有の風景をつくっている。
中央に劇場をふくむ文化センター。真四角でなんの表情もない。その手前は破壊された旧市街の基礎が発掘されている。まるで古代遺跡の発掘のようだ。古い街並を復元する作業が続いている。
発掘現場に掲げられているポスター。かつてのドレスデン市街の写真に赤く塗られた場所が発掘の現場だ。目指しているのはかつての町並みの再現だろうか。
東独時代、経済の停滞のため、あまり再建がすすまず、放置されていたようだ。
気の遠くなるような気の長い復元作業が続いている。まるで古代の遺跡の発掘現場ようだ。
ゼンパー・オーパー。ドレスデン市民が愛してやまないオペラ劇場である。
1841年、ゴットフリート・ゼンパーの設計により完成。しかし26年後、火災により全焼。
1878年、息子のマンフレッド・ゼンパーにより再建。
さらに、1945年、空爆により壊滅。それも1985年元通りに再建された。
国立歌劇場だが、ドレスデン市民はこの劇場を設計した建築家ゴットフリート・ゼンパーの名前を慕ってゼンパー・オーパーと呼んでいる。
今回の旅行では、このゼンパー・オーパーでオペラを鑑賞しようと2ヶ月前にネットで予約、4階席を入手した。
これは入口を入ったすぐのロビーの様子だ。
2階のロビーは豪華な空間になっている。
この劇場でもっとも豪華なロビーだ。
ここにはバーがあり、裕福な市民が正装して、ワイングラスを傾けていた。しかし、3階、4階と上に上がるにつれて、インテリアも簡素になり、庶民的な人々の姿が増え、服装もラフな様子が眼についた。
いろんな階層の市民がここに集う様子が興味深かった。
4階席から見下ろすと、オーケストラピットが見える。
徐々に客席が埋まり、開演直前には、満席となった。
1階には特に正装した男女の姿が目についた。
天井からさがる豪華なシャンデリア。オペラ座はただ見やすければよいというものではない。豪華な雰囲気を楽しむものだと考えられている。
円形の天井にはゲーテやシラーといった偉人たちの事績や名前の文字が見られた。
当日の出し物は「カルメン」。現代化した演出だった。舞台装置も抽象化している。歌手たちの声にのって、ビゼーの数々の名曲が圧倒的な迫力で劇場をみたした。
エルベ川を渡って対岸から旧市街を見渡す。かつての「百塔の都」「エルベ川のフィレンツェ」と呼ばれた美しい街の姿を偲ばせるすばらしい景観だ。
橋から見る塔のシルエット。
ドレスデンでは、古都の破壊と再生のドラマを見せてくれた。また、ドイツ分断と統一の現実の片鱗もかいま見ることができた。しかし、なにより市民の、都市を誇りに思う強い気持ちを感じることができた。
いいかえれば、われわれが見たドレスデンは、何層にも重なった歴史のフィルターを通した映像である。一番上には、統一ドイツのもとで再建された教会や劇場、そのすぐ下には社会主義東ドイツ、その下には、空爆で廃墟になった瓦礫の街、その下にはナチスドイツの、その下にはワイマール共和国の‥その下に18世紀のアウグスト強王の宮殿や教会がやっと姿を現すのである。
何枚ものフィルターを通してやっと見えてくる都市の姿、それがドレスデンであった。
今回の旅は、友人と我々夫婦の4人の旅行。この旅行はウェブ・トラベルの和田さんの適切なアドバイスとアレンジによって実現した。感謝したい。
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kei (月曜日, 27 10月 2014 05:28)
夜中に仕事をしていて、つかれてドイツの旅をみました!