JR京葉線、葛西臨海公園駅、下車5分という便利さ。
なにやら、お寺の築地塀のような塀に導かれて先へ進む。
なかなかオシャレな休憩施設が寄り添っている。
出ました、ガラスのドーム。ここが水族館の入口だ。
水族館自身は地下に隠し、入口のドームのみ見せている。
このため、大きな空が目一杯広がり、その中心に透明なドームだけが見えてくる、なかなか心憎い演出だ。
海側は浅い池になっている。
池は、東京湾の水平線へとつながっており、ヨットのようなものが見えて来る。
横へ回ってみると、それは、ヨットの帆を模した休憩施設であった。
大きく膨らんだガラスのドーム。水族館を表すシンボルをこれだけにしぼったわけだ。
八角形のドームは宙に浮いている。開放的なドームだった。
降り注ぐ強い日差しを遮る日除け。半透明の日除けが、ドームの透明感と開放感を一層強調している。
なんという明るさ。なんという開放感。
隙間だらけの日除け。いったいだれがこんな日除けを思いつくだろう。
水族館へと下るエスカレーター。そうだ、このドームはこのエスカレーターを雨・風から守ることが唯一の役割だった。
それをこんなに雄弁な、こんなに豊かな表現力のある建築にしてみせたのだった。
見事です。
この水族館は、円形の巨大水槽をマグロがものすごいスピードで回遊する姿を見ることができる。そのほか、ペンギンの泳ぐ姿など見所はいっぱい。
しかし、まてよ、近代建築には「形態は機能に従う」という理念があった。それは、次第に否定されて来たのは事実だが、それでも、建築は本来の機能を表現することを目指すべきだ、とはだれでも考えているはずではなかったか。
本来の機能とは別に、ドームのようなものを載せるというのは、東京駅のようなもので終わったはずではなかったか。
よく見ると、このドーム、どこかで見たような形をしているではないか。
そうだ、スネッサンスの始まりを告げた、フィレンツェのドゥオモではないか。ブルネレスキが苦心の末に架けた8角形の巨大なドーム。
ドームという1点に注目するなら、谷口吉生はモダニズムに挑戦していると言わざるを得ない。
しかし、もう一度見直してみよう。
鉄とガラスという近代の材料を使い、近代の技術を駆使して作った8角形の幾何学的な造形。近代そのものではないか。
とするなら、ブルネレスキのドームのほうが近代の幕開けを告げる作品だったのではないのか?
さらに言うなら、スネッサンスがそもそも近代の始まりだったのではないのか?
うーん。なんだか難しくなってきた。
つまり、モダニズムといえども、過去の作品から学んでいるということ、過去の建築としっかりつながっているということだ。
モダニズムは過去の建築を切り捨てて、まったく新しい原理に基づいて成立したと言われている。しかし、ここには過去の傑作を引用しながら、モダニズムとして成立した立派な作品があった。
過去の建築のエッセンスを取り入れ、新しい素材、新しい技術を駆使して新しい美を実現する。モダニズムも過去と連続していることが分かる。
こうして見てくると、この単純な建築も、なかなか味わい深いものではないか。
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孝思 (水曜日, 12 7月 2023 15:30)
野鳥園から外周を、水族館として内側を幾度も見てきたのだが。本年たまたま、谷口の建築作品としてみてみた。従来、そんな視点での評価の無かったことに愕然とした。高く評価されるべきものだと思う。施設の立て直しが計画されているようだが、どうなることやら・・