屋根はどこへいったか

「今日は私から先生に質問があります。」神保町の駅で会った先生に恵美ちゃんが切り出した。12月に入った神保町は相変わらず人通りが絶えない。

「どうしたの、深刻な顔をして」と宮武先生。交差点を渡って、一本裏の露地へ入る。細い道を覆うようにヒマラヤスギが茂っている。先生は自分の家のようにサボウルと書かれた小さな入口に入っていった。店内はまるで、山小屋のようだ。

神保町 喫茶店「さぼうる」
神保町 喫茶店「さぼうる」

「いままで、近代建築について沢山見せていただいて、とっても勉強になりました。近代建築に興味がもてるようにもなりました。でも、どうしても納得できないことがあるんです」白いダウンコートを脱いで真っ赤なセーターになった恵美ちゃんが席につくなり口を切った。

「おやおや、今日は何事かと思ったら、恵美ちゃんからの反撃かあ。よーし、覚悟を決めてうかがいますよ」と建築家の東郷さん。

「私いろんな疑問があるんですけど、一番分からないのは近代建築が屋根をなくしたことなんです。私は日本の建築の一番よい所は屋根だと思っていましたので、近代建築が屋根をなくした理由が一番分からないのです。」

「屋根問題か。うーん。これはめんどうだぞ」と東郷さん。

「一般市民が近代建築に違和感を持っている一番大きな理由が屋根だと私は思うんです。」

卒論に「日本人と近代建築」というテーマを選んだ恵美ちゃんは宮武先生と建築家の東郷さんとともに東京の近代建築を見学しながら解説を聞いてきた。このため論文のテーマは大分しぼられてきた。しかし、いざとりかかろうとすると次から次へと疑問がわいてきて、ますます近代建築が分からなくなるのであった。その疑問の一つが屋根だった。

「うーん、屋根か。フラットルーフは近代建築の一番はっきりとした特徴かも知れませんね。」

千里ニュータウン(1962)
千里ニュータウン(1962)

「私は、生まれたのも育ったのも団地なんです。子どものころは屋根のない四角い建物は当然だと思っていました。」

「恵美ちゃんにとっては、団地が常識なんだね。」

「でも、小学校のとき、家の絵を描かされて、みんなは三角の屋根を描いたのに私だけが四角い箱を描いていたんです。それがとっても恥ずかしかったんです」ミルクティのカップの把手を透き通るような細い指がつまんでいる。

「子どもにとっては、家には屋根がつきものだよなあ」暗い天井を見つめて東郷さんがつぶやく。

「大人になってから、農家の藁屋根やお寺の大きな瓦屋根を体験して、これこそ日本の建築の特徴ではないかと思ったのです。夏の暑さもないし、雨や風にも耐えてきました。なんで、近代建築になって、屋根をなくしたのでしょうか。」

「一番大きな理由は材料の変化ですね。鉄筋コンクリートとガラスが主役になったから屋根がいらなくなったのです」先生の説明は材料からきた。

ル・コルビュジエ『エスプリ・ヌーボー』より(1926)
ル・コルビュジエ『エスプリ・ヌーボー』より(1926)

コルビュジエが繰り返し、屋根は無駄だ、いらないと叫んだのが大きいと思うなあ」建築家の東郷さんはコルビュジエの影響を指摘した。「屋根を取り払って屋上庭園にすべきだ、と主張したのだ。」

「この絵は分かりやすいですね。」

「コルビュジエは雨の少ない地中海の民家をお手本にした。さらに幾何学的な形こそ美しいと主張したんだ。こういう主張が建築家の心を捉えた。」

20世紀の始めに起こったモダニズムの典型的な主張ですね。国や場所に関係なく、世界中どこでも同じデザインで作ろうというわけです」と先生。

「ずいぶん過激な考え方ですね。」

「その中でも、コルビュジエが一番過激なアジテーターだった。“住宅は住むための機械だ”と書いたんだ。」

「自動車や飛行機がどんどん普及し始めた時代ですね。」

サヴォア邸 設計:ル・コルビュジエ、1929年
サヴォア邸 設計:ル・コルビュジエ、1929年

「さらにその主張を整理して近代建築の5つのポイントとして発表したんです。

それが、

1、ピロティ

2、屋上庭園

3、自由な平面構成

4、横長連続窓

5、  自由な立面

というわけだ。これが建築家の心を捉えたわけです。」

「コルビュジエのデザインが魅力的だったから、ことばにも説得力があったんだよなあ。このサヴォア邸がその頃の代表作だ。」

「綺麗ですねえ。」

バルセロナ・パビリオン 設計:ミース・ファン・デル・ローエ(1929)
バルセロナ・パビリオン 設計:ミース・ファン・デル・ローエ(1929)

「私、去年スペイン旅行をして、偶然バルセロナでミースのバルセロナ・パビリオンを見たんです。」

「それはよかった、たしかバルセロナ・パビリオンは、ちょうどサヴォア邸と同じころですね。」

「この二つはモダニズムの始まりを宣言するような重要な作品なんだ。」

「たしかに、両方とも屋根のない幾何学的な建築ですね。」

「でも、私、あれを見てからずーっと、気になっていることがあるんです。近代建築は近代工業の産物だと聞いていたし、鉄とガラスと鉄筋コンクリートが材料だと聞いていました。でも、バルセロナ・パビリオンは石が主役でした。」

「たしかに、あれは不思議なんだよなあ。しかし、傑作と言うものはどこかちょっと変なところがあるもんなんだよ。」

「建築史家の鈴木博之さんがレイナー・バンハムの授業として紹介している話が面白い。バルセロナ・パビリオンの豪華な石のインテリアで、モダニズムでも会社の役員室などを作れることが証明されたので、モダニズムが一気に普及した、と言っている。」

近代建築国際展1932年
近代建築国際展1932年

「ヨーロッパでは、他にも多くの建築家がいろんな建築を競っていた。そのうち、白いキュービックな建築を選び出して、1932年にインターナショナル・スタイルとしてアメリカへ紹介したのが、フィリップ・ジョンソンだ。」

「彼はおまけにミース・ファン・デル・ローエをアメリカに紹介した。ミースはナチスの迫害を逃れてアメリカへ移住し、シカゴを中心に次々に大きな仕事をした。アメリカの工業力とミースの技術が結合して鉄とガラスの近代建築が完成するわけだ。」

「そうですね。これで20世紀のモダニズムのスタイルが完成したわけです。」

ファンスワース邸 設計:ミース・ファン・デル・ローエ(1950)
ファンスワース邸 設計:ミース・ファン・デル・ローエ(1950)

「私は、去年の夏、沖縄へ行ったんですけど、昔の赤い瓦の民家を想像していたんですけど、行ってみたら、全部コンクリートで箱形の近代建築なんでびっくりしたんです。」

「そうだね。沖縄は昔は全部赤い瓦の民家だったんです。だけど、第二次世界大戦の最後に米軍が沖縄に上陸して、全部焼かれてしまったんです。」

「徹底的に破壊されたんだ。」東郷さんが口をだした。

「戦後に復興するとき、目の前にあったのは、米軍の家族住宅だったんだ。それは白くて四角くて、完全に空調のきいた近代建築だったんだ。沖縄の人はそれを手本にしたわけだ。そこで、沖縄の街は全部鉄筋コンクリートの近代建築になってしまった。」

「地中海の建築様式がヨーロッパの近代建築になり、それがアメリカに渡り、さらに太平洋を渡って沖縄に到着したというわけだ。」

「そうだったんですか。そうすると沖縄の人は伝統や文化を二重に破壊されたことになりますね。」

「東京もずいぶん近代化されたけど、まだ個人住宅は屋根のある木造がほとんどだからね。」

那覇市(わたしたちの那覇市、那覇私立教育研究所HPより
那覇市(わたしたちの那覇市、那覇私立教育研究所HPより

1960年ころから、モダニズムを壊す動きが出始めたので、ポストモダンということばが生まれた。」

「あの頃は屋根を乗せるのが流行したね。」

「しかし、一時的な現象で終わってしまいました。」

「じゃあ、またモダニズムにもどったのですか?」

「そうですね。21世紀になっても、基本的にはモダニズムのわく組は生きているし、建築家はそこから抜け出してはいません。」

「つまり、建築家にとってはいまだにフラット・ルーフが常識になっているということですか。」

「そうだね。しかし、いろいろ見学して来た建築の中で、屋根が話題になったものもいくつかあったよね。」

「いままで見学した建築の中で屋根が印象的だったのは、上野の東京国立博物館、武道館、国立能楽堂、それから根津美術館でしょうか。」恵美ちゃんがノートをみながら確かめるようにいう。

「うーん。どれも問題作だなあ。」

「国立博物館は屋根のために帝冠様式として設計者の渡辺仁が非難された。近代建築に屋根を乗せるのはファシズムの建築だというわけです。その後屋根はタブーになったんだ。公共建築に久しぶりに屋根を乗せたのが武道館。これで設計者の山田守は近代建築家としてあるまじきこととして非難された。能楽堂を設計した大江宏は寄せ棟屋根の形は作ったけど、瓦屋根にはしたくないとして、鉄パイプを並べて近代的な表情を持たせたんだ。つまりまだ屋根にこだわりをもっていた。」

武道館 設計:山田守(1964)
武道館 設計:山田守(1964)
国立能楽堂 設計:大江宏(1983)
国立能楽堂 設計:大江宏(1983)
根津美術館 設計:隈研吾(2009)
根津美術館 設計:隈研吾(2009)

「でも隈研吾さんは、根津美術館だけでなく、馬頭広重美術館など、なんのこだわりもなく屋根をたくさん使っています。」

「そうだね。隈研吾は屋根を乗せることに後ろめたさを感じていないようだ。いわば確信犯だね。意識的に屋根を乗せている。根津や馬頭の屋根は自然だけど、浅草文化観光センターでは、7階建ての小さな建築の各階にわざとらしく屋根をつけている。モダニズムの常識への意識的な挑戦ですね。」

「つまり、だんだん屋根のタブーはなくなってきたということでしょうか。」

「タブーの意識はだいぶ少なくなってきたと思いますが、まだまだ建築家たちはタブーに縛られているんじゃないかなあ。」

馬頭広重美術館 設計:隈研吾(2000)
馬頭広重美術館 設計:隈研吾(2000)

「もともと気候や風土を無視したモダニズムは間違っていたのではないでしょうか。雨が多く、寒暖の差が大きい日本には茅葺きや瓦葺きがよくあっていると思います。地中海のフラットな屋根を持ってくるのがおかしいとおもいますが。」

「そうだね、気候風土を無視して、世界中おなじ建築ができるという考え方に問題があったかもしれない。」

「私の家は4階建ての団地の4階だったんですが、夏の暑さはひどいものだったんです。コンクリートの建物全体が焼けて、夜中にその暑さがじわっと襲ってくるのは堪え難いものでした。」

 

山形県立美術館 設計:本間利雄(1964)
山形県立美術館 設計:本間利雄(1964)

「そうだね。山形に本間利雄という建築家がいる。美術館や体育館を大きな屋根で包んでいる。この人は最初からモダニズムにとらわれずに東北の風土に根ざした建築を作ってきた。」

「こういう人が地方から出てくるのはいいね。」

100年間猛威を振るったモダニズムのタブーからそろそろ目を覚ます時なのかもしれないね」建築家の東郷さんが恵美ちゃんの攻撃の前に屈服した。

「そうだ、神保町に屋根を乗せたかっこいいビルがあるので、帰り道に見ていきましょうか」と先生がしめくくった。

山田ビル(山田書店) 設計:山下和正(1983)
山田ビル(山田書店) 設計:山下和正(1983)

「これは30年ほど前、ポストモダンのころにできた9階建てのペンシルビルだけど、とってもおしゃれなビルですね。まわりが全部平らな屋根のなかで、これは断然光っていますね。」

「そういえば、当時設計した山下和正がアメリカの農家の小屋をイメージして設計したと語っていたのを思い出したよ。」

「これは可愛いですですね。」恵美ちゃんが神保町交差点の横断歩道の真ん中で愛用のミラーレスカメラを構えたまま叫んだ。

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。

 

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