20.巨匠の住宅を味わう

 恵美ちゃん:うぁー、東郷さんおしゃれですね。

 

遅れて入ってきた東郷さんを見つけて、恵美ちゃんがさけんだ。ちょっとおなかの出て来た東郷さんが、今日はツイードのハンチングをかぶっている。

 

 東郷さん:いいだろう、銀座でめっけたんだ。

 恵美ちゃん:お似合いですよ。

 東郷さん:で、今日はなんだっけ。

 恵美ちゃんあらいやだ、今日は住宅ですよ。

 

神保町すずらん通りの紅茶専門店、ティーハウス・タカノが今日の指定場所だ。30分も前から宮武先生と恵美ちゃんは東郷さんを待っていた。

 恵美ちゃん:東京近郊で一般公開されている住宅を三つ、前川自邸、林芙美子邸、猪股邸と見てきましたね。

 東郷さん:そうだったなあ。どこもなかなか見応えがあったよ。おれは、ジンジャーティを頼みますよ。

 恵美ちゃん:東京でこんなに手近に見られる住宅があるなんて知らなかったわ。

 宮武先生設計した建築家も、前川国男、山口文象、吉田五十八と、近代日本建築の横綱級が並んだのは見事なものだ。

左:吉田五十八(1894〜1974) 中:山口文象(1902〜1978) 右:前川国男(1905〜1986)
左:吉田五十八(1894〜1974) 中:山口文象(1902〜1978) 右:前川国男(1905〜1986)

 恵美ちゃん:前川自邸と林芙美子邸が太平洋戦争の始まったころに建てられたというのが信じられません。真珠湾攻撃がたしか、1941年12月でしたね。

 宮武先生林芙美子邸が1941年、前川自邸が1942年、ほとんど同時にできたものだというのもふしぎですねえ。

 東郷さん:木造住宅が30坪(約100平方メートル)に制限されていた時代のものだというのが面白いなあ。

 恵美ちゃん:でも、林芙美子の家は自分とご主人と別の名義で2棟建てているから、合計60坪ですよね。どうしてそんなことができたんでしょうか。

 東郷さん:そんなことが通るくらい力のあった超売れっ子の流行作家だったということでしょう。

 恵美ちゃん:でも、わたし、林芙美子の『放浪記』を読んでみたんですけど、ものすごい貧乏生活で、こんな豪邸を建ててしまうなんて想像できません。

 宮武先生その『放浪記』が爆発的に売れたそうです。

左:林芙美子邸の門 中:猪股邸の門 右:前川自邸全景
左:林芙美子邸の門 中:猪股邸の門 右:前川自邸全景

 東郷さん:三つの住宅を見て考えたんだけどねえ、日本の住宅は、戦前から戦後にかけて、急速に和風から洋風に変わったわけだけど、その変化がこの三つの住宅によく現れているような気がしたんだよ。

 恵美ちゃん:えーと、前川自邸は洋風ですね。林芙美子邸は和風、猪股邸は洋風に少し和風も混ざっていましたね。

 宮武先生そうなんだ。日本の社会は、明治から大正、昭和にかけて、会社も学校も完全に和風から洋風に変わったけど、住宅だけはいまだに和風を残しているんです。だから住宅は面白いんですよ。

 恵美ちゃん:えー、住宅だって、もう完全に洋風になりましたよ。住宅展示場へ行ったって、マンションを見たって、もう和室のある家なんてめったにありませんよ。畳の部屋なんてないし、障子も床の間もないですよ。

 宮武先生じゃあ、うかがいますけど、恵美ちゃんのお友達で家の中で靴をはいて生活している人はいますか?

 恵美ちゃん:うーん。そんな人はいませんね。靴を脱ぐのは和風住宅のなごりなんですか?

 宮武先生日本人はどうしても家の中では裸足で暮らしたくなる。だから、日本の住宅はどうしても「玄関」が必要になるんです。

 恵美ちゃん:あっ、そうか。そういえば、林芙美子邸も猪股邸も玄関がとっても魅力的でした。でも前川自邸は玄関がちょっと狭苦しかったような気がします。

左:猪股邸玄関 右:林芙美子邸玄関
左:猪股邸玄関 右:林芙美子邸玄関

 宮武先生そうなんです。前川さんは、はじめ、靴をはいて生活するつもりで、玄関はいらないと思っていたらしいですよ。でも、そうもいかないらしいと思い直して玄関を作った。だから、狭くて、お客が大勢のときは大変だったらしい。下駄箱もかなり無理して作っているでしょ。

 恵美ちゃん:前川さんは、洋風の暮らしを目指したんですね。林芙美子は着物を着て暮らしていたような印象があります。だから、林芙美子の家が和風なのはイメージがぴったりですね。

 宮武先生吉田五十八は、昭和10年(1935)ころに当時の流行作家吉屋信子から住宅の注文をもらったんです。信子の要求は「椅子の生活の出来る数寄屋住宅を建ててください」というものだったんです。「畳のない数寄屋住宅」は吉田の年来の持論だったから、よろこんで引き受けたそうです。それが大評判になって、吉田五十八の振興数寄屋が完成しが。それが30年たっても猪股邸に引き継がれているのが面白いと思いました。

 東郷さん:おれが面白いと思ったのは、林芙美子邸と猪股邸の配置図がよく似ていることなんだ。敷地のかたち、門の位置、玄関から居間、寝室など部屋の配置が似ているのが面白い。

左:林芙美子邸 右:猪股邸配置図
左:林芙美子邸 右:猪股邸配置図

 恵美ちゃん:この二つは時代も違うし、お施主さんも全然違うのになんだか庭と家の関係がよく似ていますね。

 宮武先生そうですね。門の雰囲気、門から玄関への雰囲気もよく似ています。林芙美子邸は敷地が傾斜地だから、門が面白いし、門から玄関のあたりが変化があって風情がありますね。

 東郷さん:おれが面白いと思ったのは、二つの配置は似ているのに、林芙美子邸の南側がギザギザしているのに、猪股邸が一直線になっていたところなんだ。林芙美子邸の茶の間がL字形の縁側に囲まれてとっても開放的なつくりになっているのに対して、猪股邸の居間は直線で庭に面していることなんだ。林芙美子邸のほうが和風建築の特徴をよく取り入れているのに、猪股邸はモダニズムの影響を受けて直線的な感じがしたんだよね。

左:林芙美子邸茶の間の縁側 右:北側土庇
左:林芙美子邸茶の間の縁側 右:北側土庇

 恵美ちゃん:林芙美子邸の南側の茶の間の縁側はよかったけど、北側の土庇(どびさし)のところもいいと思いました。

 東郷さん:そこが和風住宅の一番魅力的なところだよ。林芙美子が家を造るときに「風通しのいい家にしてください」といったのがそのポイントだね。

 東郷さん:敷地との関係でいうと、前川自邸だけがまったくちがいんだ。

 恵美ちゃん:前川自邸は南より北側の庭が大きいですね。

 東郷さん:普通なら、建物をもっと北へ寄せて、南側の庭を大きくとると思うけどねえ。

 宮武先生前川さんは、庭というものにはあまり興味がなかったのかもしれませんねえ。

 東郷さん:建築と外部環境との関係は大事にした人だけど、庭を楽しむという意識はなかったかもしれないね。

 恵美ちゃん:前川自邸の室内はとてもリッチですけど、気持ちは外を見ていないような気がします。

 恵美ちゃん:猪股邸の窓の敷居はすごく幅が広くて、レールがすごいたくさんありましたけど、どうしてあんなにいるんですか。

 東郷さん網戸、ガラス戸、障子と3種類の建具を3枚ずつ入れているね。それを全部壁の中に引き込んで残さないために工夫したものなんだ。川合玉堂の画室を設計したときに、光のムラがあると絵が描けないから、障子は全部開けてくれと要求されて工夫したものだそうだ。それ以来、どこでも使っている工夫なんだ。

 恵美ちゃん:猪股邸は居間の窓が大きく開いていたので驚きました。たしかに明るいですね。でも林芙美子邸の居間の明るさとはなんだか違いますね。林芙美子邸の居間は縁側があって庭との関係が落ち着いて、こまやかな感じがします。

 東郷さん:うん、猪股邸の開口部は部屋と庭との関係が硬いんだよなあ。林芙美子邸の縁側を挟んだほうが柔らかくて気持ちがいい。くつろげると思うよ。だけど、おれは前川自邸の居間の大きな窓が好きだなあ。

左:前川自邸居間 右:寝室
左:前川自邸居間 右:寝室

 恵美ちゃんわたしが、面白いと思ったのは、寝室なんです。前川自邸はベッドルームがあったから、ベッドで、林芙美子さんはお布団で寝ていたのも間違いないと思いますけど、猪股さんはどっちなんでしょうか。

 東郷さん:猪股邸は一番奥の和室が寝室だろうね。つまり布団で寝ていたと思うよ。

 恵美ちゃんそうすると、前川さんと林さんは、洋風と和風が一貫していますけど、猪股さんは昼は洋風、夜は和風と、和洋が混ざっていますね。

 宮武先生そうですね。それが日本人の生活の実態かもしれない。

 恵美ちゃんこのお店は紅茶が専門ですけど、先生は紅茶がお好きなんですか?

 宮武先生そうですね。昔、ロンドンにいた頃、コーヒーがまずくてね、イギリス人は紅茶しか飲まないんですよ。それから習慣になってしまったんですよ。

 東郷さん:フランス人はコーヒーしか飲まないね。

 恵美ちゃん紅茶はもともと中国から行ったんですよね。どうして紅茶のお茶碗は、お皿に乗っていたり、把手がついているのかしら。

 

真っ白なセーターを着た恵美ちゃんが、透き通った細い人差し指と親指で、薄い磁器のティーカップをつまみあげた。

 宮武先生そうですね。生活文化は移動するけど、いったん根付いてしまうとなかなか変わらないものですね。住まいは生活文化に根ざしたものだから、いろんな角度から考えないと分からないものなんです。だから、建築家も住む人の生活に対する深い理解が必要なんです。

 恵美ちゃん私が面白いと思ったのは、どの家も部屋の用途が途中で変化していることなんです。林芙美子邸では、小間は最初は母が使っていて、その後、書生の寝室に、さらに客間にもなったそうです。また、最初書斎としてつくられたアトリエ棟の一番手前の部屋は明る過ぎるといって納戸を書斎に使うようになったそうです。前川自邸は夫婦の住まいのはずが事務所になりました。客用の寝室も所長室になったり、書斎になったりしました。猪股邸では、居間として作ったメインの部屋が客間になって、夫人室が居間になったと言われています。

 宮武先生そうですね。建築家が最初に考えた用途はなかなか予定通りには使われませんねえ。生活も変化してゆくし。住宅にはそんな変化を受け入れる余裕がほしいものですね。

 恵美ちゃん:そういえば、この三軒は、生活の仕方が違うのに、みんな瓦屋根が乗っていて、外観が和風みたいな気がしますけど。

 東郷さん:やっぱり住宅は屋根があったほうが具合がいいんだよ。コンクリートで平らな屋根にすると大変なんだ。夏は暑いし、冬は寒い、しかも雨は洩りやすいし。住宅は勾配のある屋根が一番なんだ。

 恵美ちゃん:つまり、住宅は和風がいいということですか。

 宮武先生:それは、人の暮らしは風土に適応することが大切だということですね。日本は夏は湿度が高くて暑い、冬は乾燥して寒い、和風建築はこの気候風土に適応して出来たものだからねえ。オフィスビルはどんどん世界共通のスタイルになってしまいましたけど、住宅は世界共通のインターナショナル・スタイルにしてしまうのは、問題があるということですね。

左:前川自邸 右:林芙美子邸
左:前川自邸 右:林芙美子邸

 恵美ちゃん:この3人の建築家は「巨匠」ということですけど、住宅以外ではどんなものを作ったんですか。建築界ではどんな評価を受けているんですか。

 

 東郷さん:歳の順にいこうか。まず吉田五十八(よしだ いそや)。子どものころから歌舞伎などの伝統芸能に親しんでいたから、建築家になってからも和風を手放すことはなかった。和風の近代化というテーマひと筋に生きた人だ。住宅も沢山設計したけど、料亭は全国で一流とされている。芥川賞選考の会場、築地の「新喜楽」が有名だよ。外務省の飯倉公館や大和文華館も有名だ。

 恵美ちゃん:こそいえば、熱海の岩波別邸も吉田五十八でしょう。

 東郷さん:「惜櫟荘(せきれきそう)」という名前で呼ばれている。岩波が手放したものを、時代小説の作家佐伯泰英が手に入れて大々的に改修したんだ。

 恵美ちゃん:テレビで見ました。素晴らしかったです。

 東郷さん:吉田五十八は一般社会では一番人気が高かったけど、建築界ではほとんど評価されていない。モダニズム全盛の時代だったから、和風を基本にしたこの人の作品をどう理解すればいいかわからなかったんだよなあ。

 

 東郷さん:次は山口文象(やまぐち ぶんぞう)。戦争前にグロピウスのアトリエに入門したバリバリのモダニストだ。戦後に設計集団RIAを作って庶民の住宅を追求したんだ。その後全国の都市再開発に辣腕を振るった。今大評判の金沢の近江町市場を大々的に作り直したのは山口文象が残したこの設計事務所だよ。

 恵美ちゃん:あの市場は昔のままかと思っていましたけど。

 東郷さん:昔の雰囲気を残しながら上手に再開発したね。

 

 宮武先生:では最後に前川国男。彼はル・コルビュジエの事務所に入門したバリバリのモダニストだけど、戦後、そのままではダメだと気がついて、鉄筋コンクリートの打ち放しをやめて、打ち込みタイルという手法を開発して、落ち着いた建築を作り続けたんです。戦後の建築界を丹下健三と二分した。上野の東京文化会館が代表作だけど、埼玉県立博物館がいいですね。

 東郷さん:必ず広場を作って建築を街に開放しているのは、常に市民のための建築を考えてきたこの人の見識だなあ。

 

 恵美ちゃん:みんなすごい人だったんですね。この三軒の住宅でも、ずいぶんいろんなことを考えさせていただきました。住宅は面白いですね。これからも機会があったら見学したいと思います。今日はありがとうございました。

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。