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東京海上ビルディング本館

東京海上ビルディング本館、設計:前川國男、1974年、25階、99,7m
東京海上ビルディング本館、設計:前川國男、1974年、25階、99,7m

重厚な赤いタイル、角を切り落とした形、後退したガラス窓など、他のビルと際立って異なる特色がよくわかる。

お濠越しに見ると、左の別館が本館となんの関係もなく立っているのが残念。

本館ビルの右手に小さく東京駅のレンガのビルがかすかに見えている。

ここは、東京駅、皇居、お濠などが交わる角地。丸の内のオフィス街でも、際立って重要な場所であることがわかる。

端正な姿が美しい。気品がある。東京のランドマークにふさわしい。と、改めて思う。

コンクリートの打ち放し仕上げが一世を風靡していたが、風化が激しく、日本の風土には適さないと前川は考え、「打ち込みタイル」の技術を確立した。

前川はそれを超高層ビルにも適用した。

一般的には、超高層ビルはガラスまたは金属板で覆われる。軽くて合理的なのだ。

しかし、前川は、あえてタイルを採用した。暖かい風合いを持った全く異色の超高層ビルの出現だ。

ビルの周囲に柱を配置したので、内部には柱はない。

柱は地面からまっすぐに最高部まで伸びている。

赤いタイルの色は、東京駅のレンガの色と響き合うことを意識したに違いない。

ところが、このビルが建ったころ、東京駅は、取り壊して、超高層ビルにしようとしていた。赤レンガの東京駅を復元保存することになったのは、東京海上ビルができて30年もあとのことだった。

東京海上ビルが東京駅の保存再建を促したと言ってもいいかもしれない。

ガラスの面が柱より後退して、間に人が通れるスペースがあるのは、防災のため、さらにはガラスの清掃に安全を考慮したものに違いない。

そのため、全体に陰影のあるほりの深い表情になっている。

右側の黒いビルは新丸ビルの高層部だが、赤いタイルのビルに対して、いかにも鉄とガラスの硬く冷たいい印象だ。

角を切り込んだ形のため、陰影ができて、立体感のある外観となっているが、経済効率は悪いに違いない。しかし、それが他のビルにない独特の表情を見せている。

切り込んだくぼみが強い陰影を見せている。

他のビルが敷地いっぱいに立っているのに対し、このビルは敷地の60パーセントを広場にして、市民に開放している。

そもそも都市に超高層ビルを作る最大の目的は、土地を市民に開放することである、という基本理念を忠実に実行したものである。

このビルの最大の特色はこの開放された足元にある。

西広場に設置された彫刻「くぐりえびす」(流政之作)

壁面が柱より後退してアーケードのようになった部分に入口がある。

おおらかに開放された広場。

広場には、柱のタイルと合わせて、赤いタイルが敷かれた。

広場に面したレストラン。

東広場に設置された彫刻「波かぐら」(流政之作)

新丸ビルから見ると、その向こうに皇居の森が見える。

東京駅から皇居に向かって真っ直ぐに伸びる行幸通り

100メートルの高さで建った東京海上ビルは、今や周辺を200メートル級のビルに囲まれている。

周辺環境は急速に変化している。

そして、昨年、東京海上ビルは建て替えると発表があり、風前の灯となっている。

 

東京駅前の丸の内界隈は、江戸時代には武家屋敷だったが、明治5年に大火で全焼し、焼け野原になっていた。

財政難に苦しんでいた政府は丸の内界隈を入札に付したが、買い手がいない。そこで、三菱の社長、岩崎彌之助に頼み、岩崎が同意した、と三菱の歴史は語るが、実は、渋沢栄一と三井のグループと競って、三菱が勝ち取ったというのが真相らしい。

時に、1890(明治23)年のことであった。

恐慌直後のことで、その支払いは岩崎もさすがに大変で、13ヶ月の間に8回に分けて支払ったという。

 

三菱の内部ではこんな無駄な買い物をして、と批難ゴウゴウだったという。

ところが、彌之助は平然として「竹を植えて虎でも買うさ」をうそぶいていた。

 

そのころに丸の内は、陸軍関係の兵舎などに使われていたが、それも次第に麻布などに移転し、見渡す限り一望の原野となっており、「三菱ヶ原」と呼ばれていた。

 

しかし、三菱ではここに縦横に街路を通し、ロンドンに習って、壮大なビジネス街を建設しようと考えていた。

 

その計画に当たったのが、イギリス帰りの荘田平五郎だった。

木造を禁じ、洋風のオフィスビルで埋め尽くそうという壮大な計画だった。

建築については、最初のお雇い外国建築家ジョサイア・コンドルに相談し、最初の教え子、曽禰達蔵(そねたつぞう)を起用した。

 

こうして、最初にできたのが、三菱1号館。コンドルの設計により、3階建て、レンガ造、1894(明治27)年の竣工であった。日本のオフィスビルの第1号であった。

 

コンドル設計 三菱1号館(『日本の建築[明治大正昭和]』より)
コンドル設計 三菱1号館(『日本の建築[明治大正昭和]』より)

ところが、この当時まだ東京駅はなく、新橋まで歩いてゆくほかなかった。まだ非常に不便だったのである。

 

しかし、レンガ造のオフィスビルは徐々に立てられ、明治40年頃には、オフィスが軒を連ね、「一丁ロンドン」と言われるまでになった。

三菱2号館。コンドルの設計になる1号館と2号館の間に曽禰達蔵による3、4号館ができ、連続した街並みができ「一丁倫敦」と言われた。
三菱2号館。コンドルの設計になる1号館と2号館の間に曽禰達蔵による3、4号館ができ、連続した街並みができ「一丁倫敦」と言われた。

 

しかし、明治45年となっても依然として丸の内のほとんどは三菱ヶ原のままで、東京駅は鉄骨工事の真っ最中であった。

 

東京駅が辰野金吾の設計で竣工したのは1914(大正3)年であり、これにより、丸の内は激変してゆく。

東京駅と同時に三菱19号館、20号、21号と竣工した。21号館は中廊下のある画期的な近代ビルで、暖房設備があり、エレベーターも2台設置された。これはオフィスビルへのエレベーター設置の第1号だった。

 

こうして、丸の内はほとんどが三菱による赤煉瓦のビルで埋め尽くされ、明治時代の丸の内の街づくりは一応完成をみた。

 

1918(大正7)年に竣工した東京海上ビルは曾禰中條事務所の設計による鉄筋コンクリート造の画期的な近代的なビルであり、珍しく三菱以外のビルだった。

 

東京海上ビルディング旧館、設計:曾禰中條設計事務所 1918(大正7年)
東京海上ビルディング旧館、設計:曾禰中條設計事務所 1918(大正7年)

さらに、東京駅前に1923(大正12)年に竣工した丸の内ビルディング(丸ビル)は完全に近代的なオフィスビルだった。東京海上ビルの3倍、しかも半分の工期で完成した。三菱の設計だが、アメリカのフラー社の技術を導入した。

この丸ビルの軒高、31メートルが丸の内のビル街の基準となり、その後丸の内の統一した景観の形成に貢献した。こうして、大正時代の丸の内の街づくりの基本ができた。

この頃、三菱所有のビルは152棟、三菱以外のビルは13棟、約92%が三菱のものだった。

 

丸の内ビルディング(丸ビル) 1923(大正12年) 三菱地所設計
丸の内ビルディング(丸ビル) 1923(大正12年) 三菱地所設計

1963(昭和38)年建築基準法が改正され、30メートルの高さ制限が廃止され、所定の容積を守れば、高さの制限はなくなった。

 

これを受けて、東京海上火災保険は、不同沈下を起こして傾いている旧館を解体して超高層ビルに建て替える意思を固め、まず、三菱地所(三菱グループの設計事務所)に設計を依頼した。

ところが、三菱地所は、せっかく形成された、31メートルの高さで揃った街の景観を壊したくなかったのだろう、東京海上の超高層化に反対して設計を断った。

 

そこで、東京海上は、前川國男建築設計事務所に設計を依頼した。

前川は、32階、130メートルの超高層ビルの案を検討し、超高層ビルの利点を確認して設計を受諾し、30階建て、127メートルの設計をまとめて1965年10月に東京都に確認申請を提出した。

 

前川の狙いは、超高層にすることによって、足元に広場を作り出し、ゆとりのある都市空間を生み出して市民に開放するというものであった。これによって丸の内の都市空間は必ず豊かになると考えたのだ。超高層時代の丸の内の都市のあり方を率先提示する強い意気込みで取り組んだ。

 

しかし、東京都は、合法にもかかわらず、申請を却下した。理由は、皇居を見下ろすビルは不敬に当たる、というものであった。さらに時の首相佐藤栄作が東京海上に建設を控えるようにと要求した。なんと、法律を曲げてまで超高層化を阻止しようとしたのである。

首相まで使って阻止した背景には、三菱の強い意志があったと当時から言われていた。三菱としては、31メートルで形成したビル街の一角に130メートルの超高層ビルを建てられては困ると考えたのであろう。

丸の内の街づくり、皇居の前の建築のあるべき姿など、大論争に発展した。

新聞を賑わす大論争の末、100メートルなら許可ということで、上部5階分をカットして地上25階、高さ99.7メートルで再度設計し直し、5年遅れて着工した。竣工したのは1974年2月であった。

 

東京海上ビルが竣工してから10年ほどたって、あれだけ東京海上の超高層化に反対していた三菱が「丸の内マンハッタン計画」を発表する。200メートル、40〜50階のビルを60棟建設するというものである。

 さすがに、この計画は実現しなかったが、それでも丸の内には今や200メートルを越すビルが林立している。

 

驚いたことに、今度の東京海上ビルの建て替えの設計者は三菱地所だという。最初に設計を依頼されて、断った三菱地所である。

三菱地所にとっては、前川の東京海上ビルディングは喉に刺さったトゲのような存在なのだろうか。 

 

三菱1号館のレプリカ、後ろは割増の高層ビル
三菱1号館のレプリカ、後ろは割増の高層ビル

1894(明治27)年に竣工した丸の内の記念すべき「三菱1号館」は、1967年(昭和43)年、文部省文化財保護委員会から文化財指定の申し入れを受けた。しかし、三菱は無断で壊すことはないので、文化財の指定は必要ないと断った。

ところが、翌年1968年3月22日突如夜間に足場を立て、翌23日、人出の絶えた土曜日を狙って解体を強行した。建築学会を始め多くの保存要請を無視して強行したものだった。

ところが、2010年、歴史建造物保存を条件に容積率割増の法律ができると、今度は壊した三菱1号館を再建して、保存しましたと申請し、後ろの高層ビルの容積の割増を受けた。

 

 

新しい三菱1号館は、美術館として活用されている。

非常に丁寧に作られているので、再建されたものだとはわからないほどだ。 

 

最近の休日の丸の内を歩いて見ると、特に仲通りの活気のある楽しそうな様子は、目を見張るものがある。この20年ほどの間に三菱地所が努力して丸の内の休日の活性化に努力した成果がよく現れている。

 

それはいいのだが、同時に過去の丸の内の歴史遺産がどんどん捨て去られているのには心が痛む。

 

是非とも、丸の内の豊かな歴史に目を向けて、過去の遺産を生かしながら、先を急ぎ過ぎることなく、落ち着いた街づくりを進めて欲しいものだ。

 

 

(参考図書)

 『えっ!ホントに壊す!? 東京海上ビルディング』TMIBを愛する会編集、発行建築ジャーナル、2022年2月

『縮刷 丸の内 今と昔』発行:三菱地所、編集者:中田乙一、昭和27年11月、非売品

『別冊新建築 三菱地所』日本現代建築家シリーズ15、1992年

『想う力未来へつなぐ』三菱地所設計創業130年記念、新建築別冊、2020年

 

 

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コメント: 6
  • #1

    Midori Kobayashi (金曜日, 01 4月 2022 19:54)

    東京海上ビルのことがよく分かりました。ありがとうございます。
    初めの11枚の写真を見ながら、前川國男の東京海上ビルのその美しさ、格調の高さに感激しました。
    これから本当に壊されるとしたら、「なんとあなたたちは馬鹿なことをしたのか!」と後世の人たちに言われると思います。
    小川さんのこの近代建築の楽しみ「東京海上ビルディング本館」が永遠に資料として次の世代へ残されることを希望します。

  • #2

    M.N (火曜日, 05 4月 2022 00:25)

    「東京海上ビルディングを愛し、その存続を願う会」のホームページができたそうです.
    https://tmiblove.com/

    また,下記のシンポジウムが開催されたそうです.
    「連続シンポジウム 生活環境としての都市・まち・建築・景観を考える 第1回「建築の記憶」パネルディスカッション」
    https://youtu.be/zSfs9M7-bhk

  • #3

    TMIBを愛する会 事務局 (土曜日, 16 4月 2022 08:00)

    東京海上ビルディングを愛し、その存続を願う会事務局です。会ではホームページを立ち上げ、東京海上ビルディングの魅力をより多くの皆様に知っていただくために連続シンポジウム開催及び講演会・見学会等を企画していますが、こちらのサイトで東京海上ビルディングの魅力を詳しくご紹介いただいておりますので、可能であれば、本会のホームページにリンクを貼らせていただけきたいと思いますが、ご検討及びご回答のほど、宜しくお願い致します。
    東京海上ビルディングを愛し、その存続を願う会ホームページは以下のURL
    https://tmiblove.com です。

  • #4

    小川 格 (土曜日, 16 4月 2022 09:01)

    TMIBを愛する会のホームページにリンクしていただければ光栄です。どうぞよろしくお願いします。
    共に頑張りましょう。

  • #5

    TMIBを愛する会 事務局 (水曜日, 20 4月 2022 22:21)

    小川様 ありがとうございます。
    連絡いただきながら、お礼の連絡遅くなり失礼致しました。
    関西出張中で失礼致しました。<m(__)m>

  • #6

    TMIBを愛する会 事務局 (水曜日, 20 4月 2022 22:56)

    事務局 野崎と申します。「TMIBを愛する会」では現在、連続シンポジウムを開催中ですが、シンポジウムと並行して見学会・講演会等も計画しています。直近では4月24日に前川事務所所長とOBによる講演会及び見学会を予定していますが、小川先生にご講演をお願いすることは可能でしょうか? 前川事務所OBを中心メンバーとした会ですので、まともなご講演料のお支払いは確約できませんが、会の活動にご理解を頂けるようであれば、ご相談させていただければ光栄です。ご連絡は事務局メールアドレスまで(HPに記載あり)
    宜しくお願い致します。

案内する人

 

宮武先生

(江武大学建築学科の教授、建築史専攻)

 「私が近代建築の筋道を解説します。」

 

東郷さん

(建築家、宮武先生と同級生。)

「私が建築家たちの本音を教えましょう。」

 

恵美ちゃん

(江武大学の文学部の学生。)

「私が日頃抱いている疑問を建築の専門家にぶつけて近代建築の真相に迫ります。」

 

■写真使用可。ただし出典「近代建築の楽しみ」明記のこと。