おお、なんという透明な建築!!
こんなに空にとけ込んだ建築は見た事がない。
水平線と垂直線。
円や曲線など夾雑物をいっさい排除した直線のみの造形。
幾何学的そのものではないか。
こんな純粋な造形はかつて存在したことがない。
鉄、ガラス、コンクリートによる幾何学的造形、モダニズムが目指した理想の建築そのものではないか。
設計者谷口吉生は、高名な建築家谷口吉郎の子息である。
父、吉郎はモダニズムの洗礼を受けながら、なんとか日本人の建築を実現しようと苦闘した。気候風土の異なる西洋建築の物まねではない、日本人の固有の建築を求めて一生格闘した建築家である。藤村記念堂から始まって、東京国立博物館東洋館、近代美術館などがよく知られている。
それらは、近代建築に日本建築の伝統をなんとか取り込もうと努力したあとは見られるものの、どこか未消化な印象を免れる事ができなかった。
これだけ純粋なガラスのキューブはだれも作り得なかったのではないか。
かつて、ミース・ファン・デル・ローエが夢見たガラスの立方体そのものである。
ここには、父、谷口吉郎がどうしてもなし得なかった、日本建築を消化した上で完璧な近代建築を作り上げるという夢が実現しているのではないか。
モダニズムの理念が、一切の夾雑物を排除して、純粋に結晶し、ここに舞い降りたかのようである。
毅然とした、清らかな美しさは比類のないものである。
基本的には、この建築は臨海公園へのゲートでしかない。この向こうには芝生の広場と海、そして大きな空があるだけである。
その単純な風景をきっちりと正方形に切り取っている。
人々はここから海をながめ、感動して写真を撮る。
西側の入口を入ると階段がある。
いやそこには階段を支えるコンクリートの壁しかない。
階段を登ると、大きな風景が広がる。東京のビル群が見えてくるのだ。
南側、臨海公園を見る。東京湾が視界いっぱいに見える。
サッシの幾何学的ラインに切り取られた東京湾と大きな空。
そうだ、この建築は展望台でもあった。
東側にわたるブリッジ。空中を歩くようだ。
東側の端部、水族館のガラスのドームが見える。
これも谷口吉生の設計だ。
そのむこうは千葉。
ベンチがあり日除けがある。
しかし、夏の暑さは大変だろう。
モダニズム建築をアメリカに紹介するにさいして、フィリップ・ジョンソンは「インターナショナル・スタイル」と名付けた。
地域の気候風土を顧慮することなく、世界中に同じ様式の建築をつくることができるというモダニズム建築の理念。
しかし、夏の暑さ、冬の寒さ、空調なしでは堪え難い状況になるというモダニズム建築の最大の弱点をさらけ出している。
ガラスの壁面と内部のコンクリート壁面との隙間。
南側の芝生から見る。やはりガラスの立方体に変わりはない。
こちらから見ても、高い透明感はそのままだ。障子のようなイメージから日本的な印象を受けるかもしれない。
しかし、それは直接的な日本建築の引用ではない。抽象化され、純化された非常に洗練された表現である。
地下の鉄筋コンクリートの部分はレストラン等のスペースであるが、現在はあまり有効な使われ方がされていない。この建築にふさわしい使い方があるような気がするのだが。
一点一角をおろそかにしない、厳密なディテールの処理。毅然とした張りつめた緊張感が漂っている。
この経験が4年後の東京国立博物館法隆寺宝物館の建築に結実しているのは明らかである。
それは、さらに5年後の、ニューヨークの近代美術館(MoMA)増築(2004)の設計へとつながっているものである。
これだけのガラスの壁面はほんとに珍しい。
だが、そもそも展望台をガラスで包む必要があるのだろうか?
ガラスの箱のなかの階段。
内部の機能は外部には一切露出していない。壁面とは完全に分離し、自立したコンクリートの階段。
どこかで見たような風景ではないだろうか。
そうだ、広島の平和記念資料館(ピースセンター)である。あれも平和公園へのゲートの役割を担った建築であった。
建築のプロポーションといい、建築を貫く強い軸線といい、共通する要素がはっきりと見てとれる。
谷口吉生は丹下健三のもとで建築家としての修業をしたのであった。
師、丹下健三の広島計画から、弟子、谷口吉生は40年の年月を隔てて実現したモダニズムの結晶のような作品なのである。
丹下は広島の計画が高く評価されて、世界の丹下へと羽ばたいていった。
谷口は近代建築のメッカ、ニューヨークの近代美術館の増築という名誉ある設計者に選ばれ、その名を世界に轟かした。
この建築は、臨海公園へのゲートのみならず、東京湾のはるか彼方、世界へと開かれたゲートだったのである。
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