むかしは、どこの家庭にも整腸剤「わかもと」のビンがあった。
あれだけ普及したのだから、わかもとの製造元は儲かったに違いない。
わかもと製薬創業者の長尾欽彌はその邸宅を世田谷区桜新町に構えた。その広大な敷地が戦後、東京都の手に渡って、全体は都立深沢高等学校になったが、その一角にこの「清明亭」のみ残された。
敷地内の多くの建物の中で「清明亭」はとくに長尾夫妻のプライベートな住まいとして作られたらしい。
先日、大江新太郎設計の「清明亭」をせたがや街並保存再生の会のご案内で見学することができたので、ご紹介しよう。
これが、本館からの入口になっている。
くの字に曲がった廊下が「清明亭」へ導いてくれる。
昭和6年(1931年)竣工。
工事請負人、京都 木村工務店、
庭は岩城亘太郎とある。
廊下の窓の形がユニークだ。前代未聞の窓といっていい。
廊下の天井はすべて檜の磨き丸太が使われている。
廊下の突き当たり、玄関にあたる部分に、何やら、床の間のような、マントルピースのような壁龕が現れた。ここに何が置かれていたのか、謎だ。壁龕をかたどる形は華頭窓のような不思議な形だ。
壁龕の内部の仕上げ、色といい、形といい、いかにも不思議だ。
飴色に輝く天井。これが80年前のものだろうか。
オリジナルのランプだ。和風ながら、なんとモダンなデザインだろう。
廊下の下には、地下室へと通ずる道があった。川のようにも見えるが、そうではない。ここには水が流れたわけではない。
今後、耐震補強工事の予定だが、それまでは、内部に入ることができないので、外回りを拝見することになった。
一階の軒下周りである。非常に深い軒に注意してほしい。
庇の下、床下の処理。床下の白壁と石の並びが美しい。
あじろに編んだ戸袋が美しい。
後退しながら、さらに東へ続く座敷。
見上げると、二階の座敷が見える。
その手摺。なかなか凝ったつくりだ。
一階座敷は崖の上に張り出しており、懸崖づくりになっている。こんなところにこんな崖があるとは、意外であった。
昔は、この長尾邸の広大な敷地は川あり、池あり、と起伏に富んでいたらしい。今は殆どが高等学校の敷地として平らになってしまったが、ここに往時の敷地の面影が残っている。
東へ突き出した懸崖づくりの座敷。座敷の窓には大きな桟のない、透明ガラスの窓が入っている。きわめて開放的な座敷である。
懸崖の部分はちょうなはつりの荒々しい表現であるが、筋交いがていねいに入っている。そこには西欧の技術が入っている。
もう一つ注目したいのは、崖の柱、縁側の手摺部分が赤く塗装されていることである。いまは大分剥げてちょっと気がつかないほどだが、出来たころは、鮮やかな赤であったとすると、なんとも派手な作りだったのではないだろうか。
さらに東に回ると、座敷の屋根は唐破風になっており、その形が奥の天井まで続いていることがわかる。
中に入れないので、室内の天井の形が確認できないのが残念。
手摺のディテール。縁板の張り出し部分は銅板で覆われている。
軒裏のディテール。大小の丸太材の組み合わせに大変な苦労が忍ばれる。
軒先のディテール。
二階西の棟の先端部のディテール。桧皮葺のような表現を銅板でやっている。下からはほとんど見えない部分だが、なんとも手の込んだ細工だ。
地下室は鉄筋コンクリートになっている。その入口脇の壁龕。仏教風というかイスラム風というか、不思議な造形だ。いったいここに何を置いたのだろうか。
敷地の外から西側を望む。
複雑に交錯した屋根が見物。
北側の外壁を望む。一見、何でもない普通の民家のようだ。
大江新太郎(1876-1935)は、建築家大江宏の父親であるが、東京帝国大学卒業後、日光東照宮の修復工事に携わったことがよく知られている。
神田明神、明治神宮宝物殿などの設計者としても有名だが、この「清明亭」のような小さな作品はあまり知られていない。
しかし、今回見学して、その小さな作品の中に大江新太郎の真価がよく発揮されており、非常に興味深いものであることがわかった。
大江新太郎は元来、西欧の建築技法を学ぶことを目的とする東京帝国大学の建築科を卒業しながら、卒業後は日光東照宮の修復、明治神宮、さらに伊勢神宮の昭和4年の式年遷宮にあたり主任技師として采配をふる、という和風建築の保存修復の道をたどった。
さらに、関東大震災後には、鉄筋コンクリートで神田明神を設計している。鉄筋コンクリートによる神社建築の先駆けである。
さらに晩年には、すでにモダニズムの大波が日本にも打ち寄せてきていたのだが、新太郎は、西欧からの圧力に見向きもせず、ひたすら日本の古建築の修復で培った技法を駆使して、和風建築に自由自在に腕を振るっているのである。
「清明亭」は、費用を惜しまず、腕のよい大工職人を自在に使って作り上げた見事な近代の和風木造建築の傑作である。
見学会では、大江新太郎の孫・法政大学名誉教授大江新先生による講演があり、さらに深沢高等学校の生徒さんによって薄茶が振る舞われた。
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